常滑市議会議員 竹内嘉彦 です 

次世代、子どもたちが活躍するシーン、わくわくするような出来事を見たまま、感じたままにお伝えします。

御遷宮、『遷御の儀』前の最後の日曜日。大混雑でしたが、いい日曜日でした。。。

2013-09-29 22:43:25 | 文化

今日は『愛知県 神社庁 神社総代会 知西支部』から、伊勢神宮へ参拝にでかけました。

秋晴れの下の伊勢神宮御参拝でした。

途中、関ドライブインで、他の地域から出かけてきたバスと、車列を組むための休憩時には、少し天候が心配になるくらいの雲が、、、

 

しかし、伊勢神宮へ着く頃には心配など吹き飛ぶ秋の空となりました。

 

 

伊勢神宮駐車場ではトイレで珍しい現象が

男性のトイレ待ち、女性の皆さんが驚き顔でした。

そして、女性トイレの入口に、小児用の便器があり、配慮が行き届き、感心いたしました。

 

伊勢神宮内宮 宇治橋、予想どうりの混雑ぶりでした。

宇治橋から見える日の丸、木立の前に美しく、いい風景と思います。

 

参道は拝殿へ近づくほど混み合っていました。

日の丸を掲げ参拝する一団もいました。

一列で行動するあたり、想像どうりの一団でした。

  

神楽殿で太々神楽の奉納をし、拝殿へと進みました。

拝殿へは式年遷宮の準備が整った『雨儀廊』の下、垣内へすすみました。

 

 

垣外での参拝客は、待ち時間で行列を成してました。

 

参拝後、バスに乗車し、たなびく日の丸に見送られ、、、

まだまだ混む宇治橋を横目にし、帰路へつきました。

 

参拝後、雲一つない帰り道でありました。


愛する郷土、、、 愛するニッポン、、、 愛する人々。。。

2013-09-23 21:58:36 | 文化

東日本大震災の頃より「絆、おもいやり」が再認識され始め

東京オリンピック招致のプレゼンテーションでは「おもてなし」の気持ちを世界に伝えた日本

今日は次世代に繋ぐ、大事とされる日本の、大和民族の心を再認識し、促すことに多く出会います。

 

本市、常滑青年会議所の主催する竹田 恒泰 氏の講話を、先ほど聞いてきました。

竹田市の持論を織り交ぜた楽しい講演でした。

日本人が骨抜きにされた由縁にある教科書検定基準

戦後の教育とメディアの責任がある事を論じていました。

「我が国」を「この国」と言い換えることにより、当事者から第三者へと意識を転化させ、他人事、無責任な日本人を増やし

日本の良きところを消した教科書で教育をし、等々、次世代に正確なことを伝える大事さを言われていました。

 

本日の日中は、となり街、半田市の「榊原弱者救済所」の記念碑の除幕式典に招待を受けでかけました。

この出来事は、西 まさる 著「幸せの風を求めて」で紹介され認識していました。

明治31年、半田市の鴉根の丘に開かれた、‐社会から見捨てられた弱い人間を救済し、保護する施設‐として開かれました。

浜松の「金原 明善 氏」に薫陶を受け、開いたものでした。

 

開設した「榊原 亀三郎」という人物は、侠客ヤクザとして名の知れた人物でした。

そんな人物が開設した当初を援助したのも、舎弟のヤクザでした。

なかなか地域から理解されませんでした。が、のちに援助を続けた舎弟も、足を洗い保護活動に専念しました。

そののちには地域の有力者も影から援助しましたが、時代背景からも表面的に援助できる人の出現は後年になってからでした。

 

今日は地元、鴉根区をはじめとするみなさんが集まり盛大に記念碑除幕式典、ならびにレセプションが開かれました。

 

多くの写真資料が、ちびっこ広場として拓かれた救済所跡地に掲げてあります。

  

   

その中の一つに常滑焼の写真もありました。

長三 作 白泥土の 『藻掛管耳水差』『藻掛急須』です。

長三 とは 伊奈 長三 のことです。現在のLIXIL、旧 INAX、 伊奈製陶所の開設者の祖先です。

白泥土とは朱泥急須と同様に常滑焼ならではの土です。

板山土として産出され常滑まで運ばれたものです。

救済所の周りで掘り出されました。。。 救済所の仕事でもあったのかな・・・?(想像)

明治31年に始まったこの事業、大正14年に亀三郎が亡くなり閉じてしまいました。

開所以来28年間で15,000人余りの人を救済した施設でした。

 

榊原 亀三郎に世話になった人々は、馬に乗った亀三郎の写真を大事にしたそうです。

しかし、弱者救済所に関わったことが知られることを避けて暮らし(亀三郎の教えであったとも言われています)、後年、子孫が仏壇などにある写真が「幸せの風を求めて」に掲載されていて祖先のことを知った人が多く出現したのも事実です。

 

今日1日、人の大事さ、人づくりの重要なことを、また深く知ることができました。

「人と繋がる大事さ」「人を敬い、もてなす心」を認識して、次世代とまたこれからも接していきたいと思います。


保育園視察を終えて、、、

2013-09-16 08:27:24 | 政治活動

常任委員会委員として、施設訪問をしました。

小、中学校、幼、保育園。

本市の施設は、財政が豊かなときに建設され、一気に老朽が目立つようになってきました。

 

数箇所掲載しますが、まだまだ多くの箇所があります。

 

 

そんな中、保育士さんをはじめ、みなさんの努力で楽しく子どもたちは過ごしています。

耐震補強が行われた園舎、割れてもケガをしないガラス、使いやすくされたトイレ

  

行政、保育士の努力の中、すくすく育っていることが感じられました。

  

園庭に孔雀を飼育する園、自然を感じさせ、旬を育むクリ、多くの努力を拝見しました。

 

移動動物園の開催にも出会い、PTAの指導でスクポン体操をお母さん方とともに練習する園児もいました。

 

本市は、保育園と幼稚園の指導体制も連携し、こども園の指導体制にも通じる形でありました。

 

保育士さんの努力とともに、父兄の努力も素晴らしいものがあると思います。

 

駐車場の不足から考えられた、ドライブスルー形式の登、下園風景。

各種の支援活動の協力を求める掲示板、PTAの自己努力で用意されたものだそうです。

 

本市には「鈴渓義塾」という私塾がありました。

小鈴谷小学校の前身となった学校です。

 

その小学校の精神とともに開設された「盛田保育園」。

現在の小鈴谷保育園です。

(株)ソニー創業者 盛田昭夫さんの実家が開設しました。

その名残の温度計が残っていました。現役です。

 

子育て支援センターにも出かけました。

しかし、多くの方が利用するセンターと、そうでないところとあり、利用効率を考えさせられることもありました。

 

そんな中、常滑の方言を、のれんにしたものを見つけました。

こんなことも、次なる世代にも知っていて欲しいものと思います。

今回の視察、懐かしの給食も体験しました。

保育園での体験で、1人前の量も保育園仕様

モノ足りぬ量で、・・・

しかし、保育士さんが特別にデザートを用意してくれ、、、

ありがとうございました。

 

現場を知る努力。役目を持った立場として当然のことと思います。

市民の皆さんにも理解はしていただきたいことと思いました。

しかし、多くを見て、これまでの行政の怠慢を感じさせられたこと、

肝に銘じた行動を二元代表の一員として、さらなる努力を感じました。

 

一部、常に行政経営者側に、クレームをつけるのを由とする人もいることは事実ですが、、、