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こころの宇宙

あるカウンセラーのほっこり日記

1月17日

2012-01-18 20:35:53 | 切ない思い

1月17日は私にとってとても大きな意味ある日である。

 

一つはもちろん阪神大震災のあった日だからだ。

 

この震災のあった当時は、阪神間の実家に住んでいたので、

被災した。

地震が起こった時は、この世の終わりかと思うほどの揺れだったし

街並みは戦時中のロケ現場かと思うような有様だった。

 

とにかく家の中のものがめちゃくちゃに壊れたので、

「もの」というのは壊れるんだなあと当たり前のことをしみじみ思い、

それ以降「物欲」が著しくなくなったのを覚えている。

 

とにかくなるだけ「もの」を所有しない。

背の高い家具は倒れてくると凶器なので、私は背の低い

(冷蔵庫以外は)家具しか自宅には置かない。

 

家の倒壊はまぬかれたが、ライフラインなかなか復旧しなかったので

普通の生活がいかに幸せなのか、しみじみと味わった。

 

それから、あの温度差は忘れられない。

阪神大震災は、ある意味局地的な地震であった。

私は兵庫の西宮というところに住んでいたが、お隣の大阪に出たときの

ショックは鮮明だ。

街は震災前と何も変わらない賑やかさと煩雑さと明るさで、

同じこれが日本か、関西かと衝撃を受けた。

この手のものは、体験していないと分からないものらしく、

大阪在住の知人や友人の何人かが、震災をネタにして冗談をいう神経

がよく分からなかった。

 その無神経な友人たちが悪いのだろうが、

私はしばらく大阪人に対してかなりひねくれた感情を抱いていた。

(ただし、今は私は大阪に住んでいるし大阪は好きだ)

 

それから震災後の3月には、報道がオウム事件一色になってしまい、

全国規模では、阪神大震災への関心はいっきょに薄められてしまった。

 

あれから17年もたったかと思うと、時のたつ早さにおののいてしまう。

 

震災の記憶は年々風化されてしまうらしく、震災が起こった

兵庫県内でも阪神大震災があったという事実を知らない若い世代

が増えてきた。

 

変わらぬ悲しみと痛みを抱え続けている人は大勢いるのに。

 

ただ、表面上街は見事に復活している。

でも、阪神間で妙に新しい建物が続く整然とした町並みをみると、

ああ、ここは被害が甚大だったのだなあと逆に感じさせられる。

 

時が経つのは人には恩恵なのか、残酷なのか、私にはよく分からない。

 

 

二つめは、1月17日は私の最愛の師匠(カウンセリングにおいて)

である神田清美先生を失った日だ。

 

ちょうど、二年前、阪神大震災が起こった同じ未明に亡くなった。

 

先生は神戸でずっと活動していたので、先生自身震災に対して

強い関わりや思いがあったと思う。

だから、同じ日に、同じ時間くらいに死んじゃったのかなと

考えたりする。

 

先生がいなくなって2年も経つかと思うと、やっぱり時の経つ早さに

驚いてしまう。

 

私は父も含め、大切な人の何人かがすでに亡くなっているが、

私が死んであの世にいったら、一番はじめに会いたいのが

神田先生だ。

 

先生は今でも、どこかで私たちを見守っているとは思うけど、

「先生、私、こんなに頑張ったんですよ。」

とかなんとか言ってみたい。

 

こういう記事は、1月17日に書くべきだろうが、昨日は気持ちがいっぱい

いっぱいで書けなかった。

 

東日本大震災では、阪神大震災をはるかに上回る被害が出て、

この世に生きているということは、困難や、哀しみや、苦しみ

から逃れられないということを改めて認識したが、

 

どうかどうか、少しでも痛み少なく幸い多い世の中であって

欲しいと、そんな風になって欲しいと

心から祈らずにいられない。

 


愛されているし、大切にされている

2011-02-10 13:29:59 | 切ない思い

亡くなった臨床心理士の神田清美先生は、私が産後にうつ病になったと

き、カウンセリングして私のうつを治してくれた人だが、とても不思

議な人だった。

 

私が最も苦しい間、カウンセリングの時間外にも私が送るたくさんの

メールに逐一返信してくれたが、その言葉もどれも基本的に淡々として

そっけなく、ちょっと突き放すような文面だった。

 

ほめないし、励まなさいし、なぐさめてもくれない。

 

ただ、今の私に必要なアドバイスだとか、深層心理学的にみて、私がど

んな精神状態になっているかだとか、私がどこに向かおうとしているのか

とか、先生なりの考えを送ってきたり、また私も一応カウンセラーなので、

心理学的見解を述べたりしてメール上でディスカッションしているようなや

り取りがあって、それが当時の私にとってとても貴重な支えとなっ

た。

 

辛いときに泣きついても、励まなさないし、なぐさめないし、たんたんとし

き放すような文面がほとんどでそれでも、私は、神田先生から本当

に愛され、大され、認められていると思った。

 

それはとても不思議な体験で、先生ならではの芸当かなと思う。

 

先生を紹介してくれたヒーラーさんにそれを伝えると

「それって凄いね。でもかんちゃん(神田先生の愛称)らしい」

と彼女は答えた。

  

先生は本当に優れたカウンセラーだったので、多分、私の性格を見抜い

て、そういう対応をしても大丈夫だろうと感覚的に感じておられたのだと

思う。

 

 それでも実際のカウンセリングは、当初はそれなりにソフトに対応して

くれたが、私が徐々に元気になってからある時期、こちらがあきれる

くらい、憎々しくずけずけと物を言ってきて、くそばばあと思うような態度

の時が多々あって、そういう先生に心底私は怒りを感じたし、閉口する

いであったが、後からそれについては種明かしをしてくれた。

 

「『お前の気持ちなんか分かるか』、という悪役をわざとやるの。

子供は思春期のときに、親に反抗して、抵抗して自立していくでしょ。

あれはある程度、分からずやの親だからそれが成立するのよ。

親が分からず屋だから、子供はそれを超えていこうとする。

思春期で、それがやりきれていない場合、消化不良のままそれを何年

も引きずって本当の精神的な自立が完成しないまま年をとってしまう。」

と神田先生はいった。

 

「じゃ、先生は私に思春期のやり残しをやり遂げるために、それをして

くれたということですね。」

私は感慨深く言うと(以下、会話は先生: 私:という形で)

先生:「そう。でも、人間には10代の思春期だけでなく、一生に何度も思

    春期は訪れるから。人が大きく変化するときは、ある意味思春期   

    だから。」

私: 「というと?」

先生:「女性は結婚、出産、更年期など人生の節目でものすごく大きな心

    理的な変化が起こるのよ。そのスピードとか変化が劇的すぎると

    意識がそれについていかなくて『うつ』という形になってしまう。」

私:「理性とか思考とか自我の部分がダウンしている方が、

   無意識の部分では大きく変化しやすいですからね。

   見た目、冬に枯れているように見える木が春に向けて新しい命が準

   備されているようなものですね。」

先生:「そう。本人的には『どうしてうつ病なんかになったんだろう』とおもう

   んだけど。そういう時のサポートは思春期のときの子供に対するサ

   ポートと似ているのよね。より成長してこころが新しく生まれ変わる

   わけだから。」

私:「それに実際、そういう劇的な変化の時には思春期や幼少期にあっ

   た親との葛藤がまた浮上してきたりするんですよね。今までは理性

   の力で抑え込んでいても。

先生:「そうなのよ。だから、結局『乗り越える』ということがテーマになる

    の。その時に、カウンセラーが物分かりが良すぎてもだめなの。

    あなたの気持ち分かるよってやってるだけじゃだめなのよ。

    憎まれ役がピシっとできないと。」

私:「でも、悪役すぎたら、クライアント(相談者)さんは離れていきますよ

  ね。」

先生:「だから、もちろん加減が大事なのよ。」

私:「嫌われ役だなんてイヤだなあ。(苦笑)」

先生:「嫌われてなんぼのもんなのよ。カウンセラーなんて。

    そして、信念は頑固なほどゆずっちゃいけないのよ。 」

     

その時、先生のカウンセリングにかける凄みというのをつくづく知った

気がした

 

でも、先生がどんなに嫌われ役をやっても、私はずっと先生のことは大好

きだったし、先生からも愛され、大切にされているという感覚は一度も失

わなかった。

 

多分、先生が私に対して有り余るほどの愛情が根底にあったからこそ、

先生が表面的にどんな態度を取ろうとも、私はその愛情について疑う余

地がなかったのだと思う。

 

先生は常にポーカーフェイスだったが、眼鏡の奥の優しい瞳が今でも

忘れられない。

 

本当にカウンセリングというものに命をかけておられたなあ、

あんなに全力で疾走したから早く死んじゃったのかなとかも思ったり

する。

 

当分、まだ私は先生のようなカウンセラーになれそうもない。

 

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出会えて本当に幸せだった

2010-10-22 00:04:05 | 切ない思い
 彼女はとても元気で明るい女性だった。

 恋愛の悩みと自分を見つめたいということで私のカウンセリングを受けに来てくれた。

 彼女とのカウンセリングは楽しいものだった。一緒によく笑ったし、まだカウンセラーになってまもない私の

 アドバイスも一生懸命耳を傾けてくれた。

 随分落ち込んでくるときもあったが、そんな時もカウンセリングの後は

 「先生のお陰で元気になりました!じゃあ、また!」

 と笑顔でいつも挨拶してくれた。


 そんな彼女のカウンセリングを半年ほど続けたある日、彼女はカウンセリングを学びたいと言ってきた。

 私は嬉しくなって

 「ぜひ!喜んで!」

 と言って、第一回のカウンセリング講座の予約を一ヶ月後にいれた。


 
 しかし、その予約の日にいくら待っても彼女は現れなかった。

 
 一回も予約の日に休んだことはなかった。まして真面目な彼女はドタキャンなどありえなかった。

 やたらカウンセリングルームが陽の光に照らされて、いつもよりきらきらと輝いているのをしばらく私は見つめた。


 何かしらいいようのない不安にかきたてられて、私は彼女の携帯に電話した。

(まだ携帯メールがほとんど普及していない時代だった。)

 電話はつながらなかった。

 
 
 私は不安なまま事務所に戻り、落ち着かない気持ちで雑用にとりかかった。


 
 しばらくして、事務所に彼女が紹介してくれた別のクライアントさんから電話がかかった。

 用件は、カウンセリングの日程を変更して欲しいとのことだった。

 
 「あの、〇〇さん(彼女のこと)が今日連絡のないまま休んだんだけど何か知っている?」

 私がそのクライアントさんに尋ねると

 「先生、知らなかったんですか?」

 「?」

 「彼女は末期がんなんです。今、入院していますが家族以外は面会謝絶なんです。」

 「でも、一ヶ月前はあんな元気で・・・」

 私はあまりのショックに狼狽しながら言うと、

 「この一ヶ月で癌であることが分かって、その時はすでに余命わずかだったんです。」

 私はほとんど泣きそうになるのをこらえながら、

 「もし、彼女に何かあったら教えてくれるかしら。」

 とそのクライアントさんに頼んで電話を切った。



 そして、その三時間後くらいに再びそのクライアントさんからの電話が鳴った。

 「今、彼女が亡くなりました。」



 
 何て偶然なのだろう。

 新しく講座を受けると約束したその日に亡くなってしまうなんて。

 しかも彼女の友人のクライアントさんが日程変更の電話をくれなかったら、今日亡くなったということすら

私は知らずに過ごしてしまうところだった。

 

 家族や友人に黙ってカウンセリングを受ける人は多い。

 彼女の紹介したクライアントさんの存在がなければ私は、彼女が亡くなったということ自体も知ることができなかったかもし

れない。 


 当時、私はまだ自分の担当したクライアントに死なれたことはなかった。

 彼女は自殺したわけではなかったが、まだ経験の浅い私にはどうにもならないほど衝撃的なことだった。


 
 時間が経てば、悲しみは癒されるというが、むしろ時間が経てば経つほど、彼女を失った悲しみは私の心を苛み続け、

自分が何のために、カウンセラーをしているのか分からないほどむなしさが積もっていった。


 
そんなある晩、彼女の夢を見た。

夢かうつつか分からないほどリアルだった。

いつものように元気で明るい彼女だった。


「 先生楽しかったよ。

 先生にあえて本当に幸せだった。

 私ね、あっちの世界(天国だろうか)で修行したら、先生を守るためにまた帰ってくるよ。」

と言って深々と心に染みとおるような笑顔を私に向けて、それからバイバイと手を振った。


何か声をかけたかったけど、彼女はあっというまに光の中に消えてしまった。


涙を流したまま目を覚ました後、私は思った。



彼女はこの世を卒業したんだなあと。

そして、今でも幸せなんだなあと。



その後、彼女の紹介したクライアントさんのカウンセリングがあった。

そのクライアントさんが言った。


「彼女が死んでみんな凄く悲しんでいるけど、私はちょっと違うんです。

 死んだのは本当に悲しいことだけど、自分の悩みがとってもちっぽけに思えて。

 彼女の分までたくましく生きよう、強く生きようと思いました。」

そのクライアントさんは微笑みながらいった。

「そうね。」

私は静かに答えた。

この人とも今日で会うのが最後だなと思いながら。


「彼女が受ける予定だった講座のテキストを見せてもらえませんか。」

私がそのクライアントさんにテキストを渡すといとおしそうに感慨深げにしばらく見つめていた。

「彼女が何を学びたかったのか知りたくて。」

その人はしみじみ言った。



カウンセリングの最後にそのクライアントさんは

「先生お元気で。 彼女の分まで私、頑張ります。」

私は手を出してそのクライアントさんと握手しながら

「ええ、彼女の分まで。共に頑張りましょう。」

私もそう答えた。




あれから何年も時がたった。



今でも時々彼女のことを思い出す。

辛いときに思い出すと、まるで彼女がすぐそばにいるような錯覚を覚える。

そして、

「先生、負けないで、いつも応援している。」

そんな彼女の声が聞こえる気がする。

笑顔を含んだ優しく元気な声が。




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花火の絵

2010-10-06 00:22:01 | 切ない思い

 私は昔、幼稚園に通っていた時、辛くて園を飛び出したことがある。

 担任の先生の言葉が耐えられなかったからだ。

 

 それはお絵かきの時間のことだった。

「花火」というテーマでクレヨンで絵を描くのが課題だったと思う。

 

 みんなはまあるく放射線状に散った花火の絵を描いていた。

 私は、画用紙いっぱいに自由にたくさんの色を散らした絵を描いた。

 それを見た先生は

「何これ?どこが花火の絵なの?」

 と冷たく言い放った。

 

 もうショックでショックで悲しくて。

 私は発作的に幼稚園を飛び出していた。

 とても家まで一人で歩いて帰れる距離ではなかったけど。 

 

 最初は、幼稚園の掃除のおばちゃんが道端にいる私を発見して

「何してるの。早く帰りなさい。」(制服を着ているからすぐに分かる)

と優しく幼稚園に連れ戻してくれた。

 

  でも、私はおばちゃんがいなくなるのを見計らって再び園を飛び出した。

もうあの先生のいる教室に帰るのは嫌だった。

 

 今度は幼稚園の先生(担任とは別の)が私を捕獲して園に連れ戻して

くれた。

 今度はあまりにも泣きじゃくっていて、何か必死に抵抗していたのだろう。

 その先生は園長先生の元まで私を連れて行きった。

 園長先生は私に

「どうしたの?何かあったの?」

などと尋ねたと思う。

 

 あまりにも泣きじゃくっていたし、まだ4、5歳だったので

「絵が・・」

とか

「先生が・・・」

とか断片的に嗚咽しながら答えるだけで、全然状況も気持ちも説明できな

かったと思う。

 

 その後、どうなったか覚えていない。

 園長先生は担任の先生に何か伝えたのだろう。

 私はその後、担任から冷たいコトバは言われなくなった。

 けど、しばらく幼稚園に行くのを随分嫌がった記憶はある。

 

 幼稚園の先生も学校の先生も人間だし、いろんな人がいるので

誰でも『先生』との嫌な思い出というのはあるだろう。

 

 でも、私は幼稚園の思い出というのはあまりないが、あの哀しく切ない

エピソードだけはやけに鮮明である。

 

 ああ、娘にはこんな切ない思いはさせたくない、と願わずにはいられない

が、やっぱりそうもいかずいろんなことがあるんだろうなあ・・・

 

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記憶のかけら

2010-08-18 23:43:26 | 切ない思い

 亡き師匠神田清美先生が亡くなって、7ヶ月経った。

  先生の思い出と思慕の念が急激に失われていくことに呆然とする思い

がある。

 私は先生にまつわる記憶のかけらをあわててすくい出そうとする。

 

 でも、それらはどんどん手からこぼれていくような気がしてならない。

あんなにも敬慕し、愛した人をこれほどのスピードで忘れていってしまうの

か。

 まさか。

 先生と私のつながりとは、絆とはたったこれだけのことだったのだろうか。

 

 生きていくということは、なんてとても残酷で薄情なことなのだろう。

 

 ある本に

「忘却とは神が人間に与えた大きな恩寵の一つである。」

 と書かれていた。

 

 忘却 ー 忘れ去ること。

 

 人は、その悲しみと喪失を忘れ去ることができるから、生きていくことがで

きるのだろう。

その遺志を胸に前向きに日々暮らすことはとても大事なことなのだろう。

 

 でも、日々の忙しさにとりまぎれて、先生と過ごした日々がモノクロのフィ

ルムのようにぼやけていくことがとても哀しいことだと思わずにいられな

い。

 

  私が感傷的な人間すぎるのかもしれないが、 まだ、先生の生の温もり

を忘れていくのは、ちょっと早すぎる。

 

 そんな自分を少し許せないと思ってしまう。

 

  でも、先生は私のそんなセンチメンタルな感情をよそに、きっと私が元

気に日々過ごしていることをとても微笑ましく眺めておられるだろう。

 

 それでも

 「先生、先生」

 と私は心の中でつぶやく。

 

 まだ、私の記憶の中で、鮮明なまま生き続けて欲しい。

 

 

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8月6日について

2010-08-08 01:29:02 | 切ない思い

 8月6日は、亡き師匠、神田清美先生の誕生日だった。

 

 なぜ、生まれた月日を知っているかというと、私は易学(中国の占い)

が多少できるので「今年の先生の運勢を占わせてください」といって、先生

の生年月日を聞いたのだ。

 私は、占った後、先生に

「今年は、何か新しいものが生まれる年です。先生は何を生み出すのでし

ょうか。」

などと(他にもたくさん書いたが)、メールで送った気がする。

 

 先生は大変喜んでくれて、ありがとうとお返事をくださった。

 

 しかし、ほどなくして先生は病気のためカウンセリング事務所をしめた。

 

 でも、先生は本気で新しいものを作り出そうと考えておられたようだ。

病気は新しいものを生み出す前の大きな試練で、これを乗り越えれば必ず

今までにないものを創造できると本気で考えていた。

 

 闘病生活は過酷を極めたが、この闘いが終われば、従来心理療法に

とらわれない、みんなが自由で心から癒されて人として豊かに成長できる

「空間」「スペース」を作ろうと考えておられた。

 

 だから、病気による過烈な痛みを耐え抜き、その精神はとどまることなく、

おやかに成長し続けた。

 しかし、体の衰弱がもうこの世界にとどまることができないほどの極限に

達している悟ったとき、惜しみなくこの世を旅立っていったのだと思う。

 

 先生は、精神障がい者や、発達障害や、いわゆる社会的弱者とされる人

たちが、そうでない人と何の垣根も隔たりもなく、みんな優しい気持ちで過

ごせたらどんなにいいだろうかと本気で考えておられた。

 

 世界が本当に平和で、人々が互いを尊重し、慈しみあえる世の中になれ

どんなにいいか、そしてそのために、自分は何ができるか、本気で考え

ておられた。

 

 先生は時に口悪く、小憎たらしいほど冷静で現実的な話しをすることがし

ばしばあったが、その影にこれほどピュアで理想主義な人もいないだろうと

われ姿が隠されていた。

 

  苛烈極まる闘病生活の中でも、先生は確実に何か新しいものを生み出

し、それを残された私たちの胸に刻み込んでいったと思う。

 そしてその遺志は一つの形になりつつある。

 

 8月6日は広島に原爆が投下された日だ。

私の伯父も祖父も被爆した。

父の親戚にいたっては、爆心地近く住まいがあったためあとかたもなく消

えた。

 

 広島の人々に恐ろしい地獄と、生き残った人びとには言葉に尽くせぬほ

どの過酷な人生を与えた同じ月日に、先生が生まれたというのは、何とな

く意味あることのあるような気がする。

 

 14万人の死者を出した歴史的な日と、たかが一介の臨床心理士に過ぎ

ない先生が生まれた日とのつながりを意味あるものとしてとらえることは、

世間的に見るとかなりおろかしいことかもしれない

 

 でも、先生が人々の心の平和と安らぎのために命をかけて、というか、あ

る種の使命をおって波乱で壮絶で過酷な人生を疾走し、その炎のような情

熱のあまり肉体が朽ち果てるまで自らを追い詰めて自分の役割、自分の

人生をまっとうしていったことを考えると、8月6日に先生が生まれたこと

は、やはり私には意味あることがあるような気がしてならない。

 

 

 

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昨日、夢を見た

2010-06-26 00:43:06 | 切ない思い

 昨日、夢を見た。

 

 小、中、高校とずっと好きだった人がいたのだが、その人と結婚式をあげ

る夢だった。

 夢の設定としては、もう、今の夫と結婚することが決まっていたのだが、

私が片思いしていた彼が

「長年好きでいてくれたので、その私の気持ちに応えたい

とかなんとかいって、彼と彼の周囲の人たちが、結婚式だけでもあげようと

式を準備してくれて、二人で式に臨むのだった。

 

 その人とは、結婚式しかあげないのに、私はもうバカみたいに嬉しくて嬉

しくてとても喜んでいると、その人はものすごい照れた顔をして笑っていた。

 

 ・・・という夢だ。

 目が覚めても、何だか嬉しくて余韻にひたっていた。

 

 私がずっと好きだったその人は、さんま(芸人の)みたいに調子が良くて

話がうまくて面白いやつだった。

 

 小学校の時はじゃれあうように仲が良かったが、中学校になって男とし

て強く意識するにつれ、やがて遠巻きに見るようになった。

 面白いやつだったので、男子からも女子からも人気があって、別の女の

子とつきあうのも見ているしかなかった。

 

 高校を卒業した後、二回ほどドライブいったり、飲みに行ったりしたが、や

っぱり面白いし、いい男だと思った。

 社会人になってから会ったときは、私の顔を見るなり

「良い味出てるやん。雰囲気あるで。」

といった。

 「キレイになった」とか「可愛いくなった」とか言わず、「良い味出ている」と

か「雰囲気がある」とかいう表現が彼らしいところで、そういうところが好き

なんだと思った。

 

 片思いの人の思い出というのは、いつまでも切なく、楽しいものだ。

 

 普段はもうふっつりと忘れているのに、こういう形で夢に出てくると、

ああ、なつかしいなあと思う。

 

 心理療法には、「夢分析」という手法があって、夢を分析をすれば、今の

その人の心のありようとか、深層心理の状態とかを理解できるのだが、

こういう楽しい夢は分析するのは、無粋というものなので、味わって楽しん

でおきたい

 

 ちなみに、彼に片思いをしている間は、

「もうこれ以上良い男は出てこない!

などと一人で確信していのだが、高校卒業後は、何だかんだといろんな男

性とつきあい、つきあう人はだいたいものすごく好きになったので、魅力的

な男性というのは、世の中にはいっぱいいるのだと素直に思った。

 

 ただ、往々にして全力で愛するつきあいとは、物凄くしんどくなりがちで、

私はどうしてこう苦しい恋しかできないのだろうと悩み、それが心理学を学

きっかけともなった。

 

 今の夫と会ってすべてががらりと変わった。

すごく安らかで、楽しくて、癒される男女の関係というものがあるのだと知っ

たのだ。

 

 結婚して6年も過ぎ、子どもも出来れば、恋愛感情というのはほぼなくな

ってしまうのだが、

昨夜、夫が帰ってきて夕飯を食卓に並べていると、

「ありがとう。美味しそうやな

といつも感謝とねぎらいの言葉を忘れない夫を見て、

私はこの人と結婚してつくづく良かったと思った。

 

 それでも、小、中、高校生とずっと好きだったあいつは、

いつまでも私のこころの奥底に、青春のほろ苦さとともにさん然と輝いてい

るなあと、昨日みた夢を見て、静かに思った。

 

 

 

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あなたにほめられたくて

2010-06-11 00:14:02 | 切ない思い

 亡くなったカウンセラーの師匠、神田清美先生は全くほめてくれない

人だった。

 けれど、言葉ではほめられなくても、一人の人間として尊重され、

愛され、大切にされていることはとてもよく分かった。

 

 それは不思議な感覚だった。

 

 それでも、私としては、同じカウンセラーとして誉められたいという欲求が

あって、

神田先生の親友である人にそういうと

「じゃ、誉めてって頼んだら?」

というので

「それじゃ意味がない」

と私は返事した。

 

 ただし、一度だけ心底ほめてくれたことがある。

 私が一般の人向けに

「カウンセリングとは」

というタイトルでレポートを書いたのを読んだとき

「うーん、さすが直感型だけあって文章がうまいなあ~」

とうなるように賞賛してくれた。

普段誉めない人からそのような言葉を聞くのは、天にも昇るような嬉しい心

地だった。

 

 先生の言葉には、二重の嬉しさがあって、

もちろん「文章がうまい」ということがまず一つ。

 もう一つは「直観型」といわれたこと。

直観型とは、言葉の通り直観やひらめきで物事を判断する性格をさし、

心理学者ユングが人の性格をタイプ別に分けるときに使用した言葉だ。

 

 私は一見、理性的で非常に思考的、分析的(悪く言うと頭でっかち)な人

間に見えるらしい。

そのため、精神的な成長を促す言葉として

「考えるよりもっと感じて」

といわれることが多かった。

 

 しかし、いつもその言葉には違和感があった。

 私は人生の重大な決定事項において、理屈でもって判断をくだしたことが

く、(小さなことはくよくよ考えるが)

ほぼ直観と衝動によって決断してきており、それについて後悔することが

あまりない。

 それくらい、私の中の直観と衝動は絶対的な感覚としてやってくる。

 だから、

「考えすぎ」「頭でかっち」とレッテルを貼られるのは何とも理不尽な感じがし

てきたのだ。

 

 当初から、先生は私のその本質を見抜いてきて、直観型の持つ良さを引

き出すようなサポート、アドバイスを数々くれたような気がする。

 

 なんにしろ、先生から誉められたことはこれが最初で最後であり、

先生はめったに誉めない人だと思っていた。

 

 ところが、神田先生の死後、先生のクライアントさんや先生から指導を受

けてきたセラピストさんから話を聞くと、どうやらそうでもないことが分かっ

た。

 

「先生は誉めて人を伸ばすタイプだと思ってました。」

と聞いたとき、先生は相手によって意識的にか無意識的にかは分からない

が対応を変えているのがよく分かった。

 

 敬愛している人から誉められたいと誰もが欲すると思うので、もっと言葉

誉めて欲しかったなあと感じるが、今となってはもうそれは叶わぬのぞみ

だ。

 

 それでも、先生がスピリットに刻み込んでくれた数々の宝石のようなもの

私の中にはある。

 それを大切にカウンセラーとして活動していきたい。

 

 でも、先生、もし、私がカウンセラーとして成長していって、もっと人間的に

豊かになって、もっと良いカウンセリングができるようになったら、夢の中で

いいから誉めてくれますか

 

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夢であえたら

2010-03-31 21:30:40 | 切ない思い

 父が亡くなって一年たった。

当時、落胆する私に

「私が心の側にいてしっかりあなたを支えますからね」

と言ってくれた師匠の神田清美先生ももういない。

 

 一年という月日は長いようで短い。

 親不孝なのかもしれないが、父の死より神田先生の死の方がずっと私に

こたえている。

 

 先生が死んで、どんどん時間はたち、何度ももう癒されたとか、もう立ち

直ったとか思うのに、何度も何度も先生が生きていたら、と思ってしまう。

 

 個人的な悩みについては、もう先生なしで頑張っていけそうだ。

でも、カウンセリングでの難しい局面になると、

「神田先生だったらどう思うだろう。」

「こんなとき神田先生だったらどうするだろう。」

と考え込むときもあれば、

「神田先生だったらもっと良いカウンセリングができるのに。」

「神田先生だったら、もっと良いサポートができるのに。」

と無力感にさいなまれるときもあれば、自分をひどく責めてしまうときもあ

る。

 そうかと思えば、先生が天から降りてきてくれたかのような直観が湧く

時もある。

 

 信じられないと思う。

先生と私はたった一年しか時間をともにしていない。

それなのに、先生がいなくなったことがいまだにこんなに悲しくて、寂しくて

そして、こんなに先生が好きだったなんて。

  先生の元クライアントさんの何人かから、私はとっても神田先生に

似ていると言われる。

 すごく嬉しいけれど、どうせなら、先生の持つあの強さまで似てくれたら

良かったのに。

 

 今夜こそ夢に先生が出てきてくれた良いのにと思う。

 

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春のお別れと卒業

2009-04-09 10:55:11 | 切ない思い
 3月末に父親が急死した。


 転倒による事故死で、あまりにもあっけない死に方なので、言葉もないという

感じだったし、永遠に父を失ったという実感が湧かなかったが、

父の遺体を火葬場まで運ぶ霊柩車の後を、

バスにゆられて外を眺めていると、青い空に桜が咲き誇り自然はすがすがしく

輝いているのを見ると、ふと

「ああ、父はこの世を卒業したんだなあ」

としみじみ思った。


 父は、脳梗塞になる前は、独善的で威圧的で私は本当に嫌いな時期も

あったが、二度の脳梗塞の後は、人が変わったように子どものように

無垢な感じになり、いかにも愛すべき老人という風になった。


 あまりにも人格が大きく変容してしまったので、父親を考えるとき

混乱することもあるのだが、

私が多感な時期においては、決して良い父親ではなかったので、

心理学を勉強したときに、

私の性格を形成する上で、非常に独善的で支配的な父親の存在は

もうまったくマイナスだったなあ、と腹だたしく思ったことも多々あった。


 しかし、父親が私を育てる上で一貫したメッセージは

「たった1回きりの人生だから好きなことをして生きろ。」

だった。

そして、本人もそれを実践している人だった。


 家では無口で、話すことといえば

「早く寝ろ」

「ドアを静かに閉めろ」

と常に命令口調で、何らかの口答えもまず許さない人だったが、

私が何か目的を持ってそれに没頭している間は、

終電で帰ってこようが、何日外泊しようが、口出ししない人だった。


 そのお陰で、私は20代の前半に

「カウンセラー」という天職にめぐり合えた気がする。


 カウンセラーになるために、二度目の大学に行ったときも、

仕事が面白くてその活動に専念しすぎて、全く結婚する気配がないときも

「結婚しろ」

だとか、

「もっと普通に就職しろ」

だとか、

そういう類の口出しや私が決めたことについて反対されたことは

なかった。


 でも、昔、私は父親が嫌いで、

また、父が恋しい幼い時期に家にいなかったことが寂しくて、寂しくて仕方なかっ

た。



 父親は高校教師だったが、自分の好きな「テニス」に熱中していたので、仕事以

外の時間はそれにすべてを費やしていた。

そのため、休日はもちろん、正月から家にいなくて、

幼かった私には、それが寂しくてならなかった。

 教師のくせに自分の子どもに対して、まともなコミュニケーションができない

人で、あたたかな優しい言葉をかけられた思い出も

ほぼない。


 それでも、彼が私に残した

「たった1回きりの人生だから好きなことをして生きろ。」

というメッセージは本当に大きなギフトであると感じざるを得ない。


 もし、父が「好きなこと」だけして本当に家族をほったらかしだったら

それも憎んだかもしれないが、一応一家の大黒柱として、

経済的なことを基本としてやるべきことはやってきたので

その言葉に私としては説得力を感じている。



 そして私は父と同じようにやるべきことはやるが、「好きなこと」

を最も大切にして生きてきたし、今後もそのようにしていくと思う。


 ああ、私は「父の娘」だったんだと、彼が亡くなってからしみじみ思わざる

をえない。


 失って分かる大切なものがあるのなら、死というのもただ嘆き悲しむものでは

ないのかもしれない。

  

 彼は脳梗塞の後、色々と不便になった自分の心身を持ちながらも

最後まで楽しんで生きることを忘れなかった。


一人きりの孫、私の娘も本当に可愛がってくれた。



 もう、父はこの世は堪能しつくしたのだろう。



 「自分の好きなことを大切にしてそれを生きる」


というのは、今後も私の精神の柱としてあり続けるし、

それは、また私の娘にも強く受け継がれると思う。



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恋愛の修羅場と普通の主婦と

2009-02-26 13:17:00 | 切ない思い

  一度恋におちると、それは自分の意思ではどうしようもなくなって

その深みにはまってしまうのが過去の恋愛のパターンであった。

 自分が相手のナンバーワンであっても、オンリーワンではない場合でも、

ナンバーワンにも、オンリーワンにもなれない場合でも、一度愛してしまうと

もうどうしようもなくなった。

 

 もう10年前くらいの話だが、クリスマスイブの晩に、さあ、今から彼の部屋に行こう

と電話をかけると、

「〇〇(彼氏の名前)がね、あんたと別れたがっているわよ。」

と女の声が出てきた。

「やめろよ」などと、後ろで彼の声がする。

 頭の中が真っ白というか、真っ赤になってその女性と言い争って電話を切った後、

今から彼の部屋に乗り込んで行こうと思ったが、一緒にいた友人が

 「やめとき。修羅場になるわ」

と一言でいってくれたおかげで、私は踏みとどまった。

が、あまりの裏切られた思いから、眠れず食べれずで私は憔悴しきり、一日たつと

三キロ痩せていた。

 

 また、別の恋人とつきあっていたとき、

「一週間出張いってくるね。」と彼はいったが、後からそれは別の女性と旅行に

行っていたことが分かった。

 

 自分の納得できるまで、相手を愛するということが当時の私のテーマだったらしく

(どんなテーマやねん、と今なら思うが)客観的に見て

「絶対やめといた方がいいよ。」

という状況でも、徹底して相手を愛する、ということがやめられなかった。

(かなり重たい女だったと思う)

 

 そうしていると不思議に、はじめ好きな割合が、私が7、相手が3という場合でも

だんだん、私が想う以上に、相手が私を必要とし、愛してくれるようになるのだが、

そうなると、課題がクリアできたみたいな気がして

「もう、あなたから卒業するね」

と勝手に卒業してしまったりもした。

 

 課題を勝手に設定するのはいいが、往々にして実りにくい恋が多く、その深みに

はまる恋愛をする、というのは地獄の底を見るような思いをすることが多かった。

 

「恋とはするものではなく、落ちるものだ」

と誰かがいったが、それはその通りで、一度落ちてしまうと、

もう自分の意思のコントロール外であった。 

 

 そのせいかぬぐってもぬぐってもぬぐい切れない悲しみがいつも自分の中にあっ

て、それを払拭するために、またはそのむなしさから逃れるために、

今から思えばカウンセリングという仕事に没頭し、「もっと、もっと学ばなければ。

もっともっと人のためにならなければ」と自分をせきたてるようにしていた。

 

 「いつも笑っているのに、ふとした瞬間、すごく寂しそうな顔をするんですね。」

とある受講生に言われたことがある。

その当時は、むなしいという感覚はあまりなかったが、今から思えば根底にある哀し

みが不思議なほど活動的なパワーになって、当時の私は表面的には今よりずっと、

パワフルだったと思う。

 

 そして、私はそうやって結婚することもなく、子どもを持つこともなく、カウンセリング

の仕事を一筋に生きていくのかな、と思っていた。

 

 が、人生は何が起きるか分からない。

 

神様が「もう、その分野で苦しむのはやめにしないか」

と思ってくださったのか、

ふとしたことで、今の夫と出会った。

 

 夫とつきあう上で、哀しみもむなしさも必要なかった。

納得するまで相手を愛する、という課題を持つ必要もなかった。

ゆがんだ恋愛経験を持つ私は、誠実な夫に対し

「いつボロが出るんだろう」

と疑心暗鬼になったりすることもあったが、

夫は変わらず、誠実なままである。

 

 夫の実家が商売をする家だったので、私の意に反して豪勢な結婚式と披露宴

をあげ、でも多くの人に祝福され、その四年後には、子どもまで生まれた。

 

 「あの私」が妻になってお母さんになって子育てしている。

 

「私が育児をしているなんて、何かおかしくない?」

と友人にたずねると

「あら、どうして?」

不思議そうにする友人にいつも

「違和感があるのよ。」

と答える。

 

 私たち親子は仲良がいいし、はたから見るとそれなりに、私も良い母親だろう。

でも、時々やっぱり違和感がある。 

 

 結婚もせず、子どもも持たず、でも、カウンセリングのような人をサポートする仕事

に没頭して、それなりに自由に、でも、少しむなしさを抱えながらでも愛したり恋したり

して生きているもう一人の自分がいつもどこかにいるような気がしてならない。

 

*写真は「夢学」(白揚社)のブックカバー

 

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天国

2006-01-30 17:27:20 | 切ない思い

  先日伯父が亡くなった。
74歳だった。

  伯父のお通夜に出席しながら私は伯父の娘
(つまり私のいとこ)の死を思い出していた。

  いとこは19歳で亡くなった。
  しかも行方不明になって一年後に山の中で発見された
のだ。

  彼女は16歳くらいで心を病み、引きこもるように
なった。
  亡くなったのはその症状がかなりよくなって
からで、「今からアイスクリーム買ってくる」
と出かけたきり帰ってこなかった。

  警察は彼女の死に事件性はなく、事故だと
結論付けた。


  「もっと何かできたかもしれなかったのに。」
固く閉ざされた彼女の棺を見て、当時中学生の私は
心の中でぼんやり思ったのを覚えている。

  彼女のことは、今の職業を目指したひとつの原因に
なっているのかもしれない。

  天国で伯父は、もう娘と再開できただろうか。


できちゃった婚

2006-01-20 20:36:04 | 切ない思い

  もうすぐ結婚して二年たつ。

  一緒に住みだして一年半ほどだが、入籍したのが
二年前の2月29日である。

 四年に一度しかめぐってこない日にちなので、
「何か意味あるの?」
とか
「そんな四年に一回しかこない日にしてアホやなあ~。」
などと馬鹿にされたりするが特に意味はない。

 早く入籍したかっただけである。
それと、二年前の2月29日がちょうど、日曜日で大安だったのである。

 私たちはつきあって四ヶ月で結婚した。
そのスピードの速さの理由のひとつには、私が妊娠したからである。

妊娠が分かったときにはすでに婚約していたが、一応
「できちゃった婚」みたいなものである。
結婚は当初より半年早まった。

  実際に入籍するまでに子供は流産してしまったが、
予定通り私たちは入籍した。

  子供のお陰で私たちは確実に結婚できた。
でなければ、私は彼と結婚しなかったかもしれない。

  30歳を超えていた私は、結婚というものは籍をいれるだけか、
もし結婚式をするとしても本当に親しい人だけでささやかにするもの
だと思っていた。

  しかし、彼と彼の両親は、とにかく大勢の人を招待して盛大に
するのが当然だと思っている人たちで、その考えを変えることは
とても無理だった。

  私のこころはその考え方にどうしようもなく激しい拒否反応を示し、
今まで何のために「自分らしさ」にこだわって
生きてきたのだろうか、結婚とは何と型にはめられ、
自由でなくなるつまらないものだろうか、やはり私は結婚に向いていない
のではないか、これからの結婚生活もすべてとてもむなしいものに
思えて、どうしようなく深刻なマリッジブルーに陥ってしまった。

  それでも私は彼と別れなかった。
すでに入籍していたからだ。
「結婚生活送る前からバツイチになってしまうのはなあ。」
と考えるとかろうじて冷静になれた。

 だから、私たちが別れずにすんだのは、生まれることはなかったが、
一度は宿ってくれた命のおかげである、と思っている。

 実際に結婚生活をおくると、いろいろあっても
誠実でユニークな夫のお陰で毎日楽しいし、
盛大な披露宴で新婦として注目を浴びるというのも
なかなか面白い体験だった。

あれだけ大勢の人に祝ってもらえることは
今後の私の人生ではないだろう。

 それは、今となっては良い思い出であり、そのことを彼と彼の両親に感謝
している。

 流産のほうは理性を超えて、体が無条件に悲しがった。
ぼおっとしていると、涙が自然にこぼれる事が何日か続いた。

 私の知り合いの第六感にすぐれたヒーラーさんが
「同じ魂が三年以内にまたやってきますよ。次は無事に生まれるでしょう」
といった。
そのことに根拠があるかなんてどうでもよかった。
当時はそれを信じてやりきれないこころの痛みを乗り切った。

 私のカンは鋭いとよく言われるが、実際いい加減なときも多い。
でも、そろそろまたその子に会えそうな気がする。