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こころの宇宙

あるカウンセラーのほっこり日記

一人では頑張れない

2010-10-03 00:10:09 | うつ病の体験、うつ病について

 私は産後、妊娠中の著しい心身の消耗からうつ病になったが、うつの苦

みをある知人によく電話で聞いてもらっていた。

 その人は、ヒーリングの仕事をしていたので、私の気持ちがわかってくれ

と思っていたからだ。

 

その彼女から

「自分の力で立ち直って欲しいから、申し訳ないけどもう話は聞けません。」

とメールがきた。

 

 私はとてもショックだったが、いくらヒーリングの仕事をしているからといっ

ても、プライベートでこういう話を聞かされるのはうっとおしいのだと思い、

「本当は自分の力でどうのっていうより、話を聞くのがしんどくなったんじゃ

ないの?」

 とメールを送ったが、返信はなかった。

 

 その後、数年たって、先日本当に久しぶりにその知人と話す機会があっ

た。

 その時彼女は

「あの時、本当に○○○さん(私の名前)の力で立ち直って欲しいから

そう思って書いたのよ。」

と言った。

 

 知人は本当に私のことを考えて言ってくれたていたのだった。

それが分かったのはとても嬉しかった。

 でも、それは、うつ病の苦しみを味わったことのない人がいう言葉かな

とも正直思った。

 

 一言でうつといっても、人それぞれうつになるまでの背景も違うし、うつの

症状も違う。

 でも、私の味わったうつというのは、「自分の力で頑張って」治せる

というものではなかった。

 

 

 私はもともと、物凄く気力があり、根性があり、そして努力家だといわれ

てきた。

 だから、気力と根性があれば何事も乗り越えられるし、努力さえすれば

どんな困難も克服できると信じていた。

  

 でも、うつはこの「気力」と「根性」と「努力」という私が自身の長所と感じ、

最も頼みとしていたものを根こそぎ奪い取っていった。

 二度と一人では立てないくらい足腰を徹底的に折られる感じだ。

 

 

  私はうつの苦しみと恐怖と不安という海で、ただただ溺れているしかな

った。

 だから、わらをもすがるように助けが欲しかったのだ。

 

 確かにうつを治すには、本人の「治そう」という意志と、自分を見捨てな

い覚悟と、最終的にはその人の心の自然治癒力ともいうべきものが

が何よりも大事になってくる。

 

 でも、その治そうとする本人の意志や、心の治癒力を支えるものは周囲

温かなサポートがあってこそのものなのだ。

 

 幸い私は家族の理解と絶大な援助があり、また心から寄り添ってくれた

亡き師匠の神田清美先生との出会いがあった。

 

 私の母も夫も青白い顔で石のように横たわる私をよく辛抱強く見守ってく

れたと思う。

 そして、神田先生は、カウンセラーとしてだけでなく一人の人として

私の心のそばにいて、私の回復のために尽力してくださったと思う。

 

 技術だけでなく、専門家としてだけでもなく、「共にいてくれた」という

感覚が、何よりも私の心に安らぎを与え、私の心の治癒力を最大限に

引き出してくれたのだ。

 

 うつ病になる前の私は、様々な困難を乗り越えられない人は

どこか、努力や気力が足りない人だと見下げていたのかもしれない。

 

 でも、努力とか、気力とか、そんなもの自体がふっとんでしまうということ

が人生にはあるのだということを知った。

 そして、うつは、努力とか気力とかそんなものではどうにもならないことが

人生には起こるのだということも教えてくれた。

 

 「自分の力で立ち直って欲しい」

という願いや思いやりの気持ちを持っていた優しい知人には、もちろん

謝したい。

 でも、「自分の力」なんて笑ってしまうくらい惨めなほどに奪われるのが

うつだというのも、多くの人に知って欲しい。

 

 神田先生が回復までの道のりを本当に私と共に歩み、寄り添い、私の

存在をかけがえのないものとして接してくれた喜びは今も忘れられない。

 

 だから、どうしても先生がしてくれたように、私はうつ病のクライアントさん

と向かい合いたい。

 

 専門家にあるまじきことだと批判する人もいるだろう。

 とても青臭いことかもしれない。

 

 でも、「生きる」か「死ぬか」を突きつけられるほどの重いうつには、

カウンセラーの存在をかけた支えが、暗闇の底にいるクライアントに光を

与えて前を向いて歩く覚悟を与えてくれる。 

 

 技術も知識も経験も、すべてカウンセリングでは重要なことである。

 ただ、私は一番「共にそばにいること」ということを最も大切なこととして

私の元を訪れる人たちを支えていきたいと思う。


うつ病と自殺を考える日々、そしてその回復と新たな道のり

2010-09-11 15:28:19 | うつ病の体験、うつ病について

 「死にたいと思ってる」

 産後うつ病にかかった私は、一度母親に向かってそういったことがある。

 息をするのも苦しい。

 何かにしがみついていないと、どんどん奈落の底に落ちていくようだ。

 先が見えない真っ暗闇のトンネルの中で私はなす術もなくたちすくんでい

た。

 苦しい。

 苦しい。

 誰か助けて。

  私はずっと心で叫んでいた。

 死にたい。

  いっそ死にたい。

 でも、本当は死にたい訳じゃない。

 ただ、この苦しみから逃れたいだけなのだ。

  一時も早く。

 そうやって私は一時期死ぬことだけを毎日考えていた。

 

 娘から「死にたい」といわれた母は著しく動揺し、目が泳いでまったく挙動

不審な状態に陥った。

 それから完全に黙ってしまった。

 

「何か言って。」

 私は沈黙に耐えれず母に懇願した。

 勇気付けて欲しい、励まして欲しい、何か優しい言葉が欲しい。

 お願い、何でもいいから。

 

 しかし、母はまったくうつろな目で無表情にいった。

「そんなこと言われても、どうしたらいいか分からない。」

 

 その時、私は悟った。

「死にたい」

 というのは、自分も他人も傷つけるということを。

 言われた方はとまどうだけだし、私は励ましの言葉は得られない。 

 それ以降、身内に対してその言葉を発することは二度となかった。

 

・・・・・・・・・

 

 私は産後、すぐに極度の精神不安に陥った。

過酷すぎる妊娠生活が、私の心身を極度に追い詰め消耗させたのだ。

妊娠前は42キロの体重が、出産前には39キロに落ちていた。

それはどういう意味か考えるのも恐ろしかった。

 

 私は痩せていた上に、胎児が大きくなってもあまりお腹の皮が弾力をもっ

て前にせり出すことができなかったようで、お腹の中の赤ん坊は、上へ上

へとせりあがり、胃の空間がほどんどなくなり、肺は圧迫され、ほとんど食

べられず、呼吸もするのも大儀な状態で、ほぼ寝たきりになった。

 

 その上、お腹が大きくなった分、寝ていることすら苦しい。

 手足は枯れ木のようにやせ細り、トイレに行くのも地面をはうように行っ

た。

 お腹を隠せば、ただのやみやつれた病人のようだった。

 

 しかし、お産は軽く、無事に出産を終えた後、私は無事に娘が生まれた

安堵感と苦しい妊娠から解き放たれた解放感で、輝かしい歓喜を味わっ

た。

 

 その歓喜はつかの間に終わり、一週間後、得体の知れない恐怖感に突

襲われて、私は真っ暗闇の中に堕ちて行った。

 何なんだこれは。

 すぐに精神病院に駆け込んだ。

 そして一度は薬で持ち直した。

 しかし、その後、本格的なうつ病へと陥ってしまう。

 

 心理的には何も悩んでいなかった。(少なくとも私はそう感じていた)

 育児ストレスも何もなかった。

 

 だから、私は心理カウンセリングは受けず、他の方法で何とか回復を目

指した。

 実家の近所の鍼灸院に通い、霊感のある人のヒーリングも受けた。

 実は新興宗教まで入った。(後から思うとその行動は信じられない)

 わらをもすがるというやつだ。 

  精神科に通い続け抗うつ剤も色々試した。

 しかし、どれもはかばかしい結果は出なかった。

 どうすればいいのだろう。

 

 心理学などくそくらえだと思った。

 どうして、自分がこれほどまでに落ち込んでいるのかさっぱり分からな

い。私が学んできたあらゆる知識を動員しても。

 ただ、闇だけが自分をすっぽり包み込んでいる。

 

  死にたいが、娘の将来を考えると、どうしてもそれだけはしてはならない

と思った。

  自分の生存に必死で、彼女に対してほとんど愛情をもてなかったが、

 それでも私が自殺すれば、彼女はきっと耐え難い苦しみを将来感じるとき

がくるだろうということは分かった。

 かろうじて、この世に踏みとどまろうと思った。

 

 この地獄から抜け出すために私の知りうるすべての手段を実行しようと

思ったが、何をしても回復の兆しが見られない。

 

 ただ、一つ、私は、かつて最も自分が信頼していた心理カウンセリングだ

けは受けていなかった。

 心理的な悩みがない以上、それは無駄だと決め付けていた。

 

 しかし、万策つきた時、私はふと思った。

 

 私はカウンセラーでそれを誇りとして生きてきたのだから、またカウンセリ

ングでもって自分自身を癒せということじゃないかと。

 もし、神がこの世に存在するならば、私にそのようなメッセージを投げか

けているのではないかと。

 全くこじつけのようだが、その時私はそう確信した。

 

 迷いに迷ったが、私はカウンセリングを受けることを決意した。

 そして、その時出合ったのが、今は亡き師匠神田清美先生だった。

   先生は臨床心理士だったが、なんと言うかとても宇宙的な人だった。

 心理療法と魂などスピリチュアルな概念を統合した、独自の確立した理

 論持っていた。

 

 ある時、先生はいったのだ。

「あなたはもっとあなたの内側が豊かになるために、うつになったのよ。」

 その言葉は、稲妻のように私の心を打った。

 うつ病はネガティブな体験ではないというのだ。

 私が新しく生まれ変わる通過点なのだと。

 それは思いもしない考えだった。

 目からうろこが落ちた瞬間だった。

 

 そして、その後、私は劇的に回復し、 私はうつを完全に脱出することが

できた。それは本当に劇的なことだった。

 

 先生は私に魔法をかけたんじゃないかと思ったほどだ。

 しかし、先生のカウンセリングは技術だけではなかった。

 先生は本当に並々ならぬ愛情と労力を私のために注いでくれた

「全身全霊」という言葉がぴったりなくらいに。 

 

 「先生は私に一体どういう見立て(診断)をしてどのようにサポートをしてく

れたのですか?」

 私は体感的には分かっていたが、先生の口からそれをはっきり聞きたか

った。

  「じゃあ、今度それについて話し合いましょう。」

先生はそう言って微笑んだ。

 

 しかし、それは先生の口から語られることはなかった。

 先生は体調を急激に崩し、カウンセリングオフィスを突然閉じたのだっ

た。

 そして、そのまま、私たちは二度と会うことなく先生はこの世を去ってしま

った。

 

「先生は私に何をしてくれたのだろう?」

 その課題は私の中に残ったが、後は自分でその答えを見つけていく

しかない。

 

 先生のカウンセリングを受けて、私はカウンセリングとは捨てたものじゃ

ないと心から思った。

 そして、先生のような本当のカウンセラーになりたいと思った。

 

 再びカウンセラーとして活動を再開したとき、自分はもう以前とは違う何

かを身につけたことを実感した。

 再開後、私のもとに来るクライアントさんたちは格段に重い症状の人が

増えたが、私はその人たちについて、「自分とは違う病的な症状を持った

人」とは感じなくなった。

 誰でもそれは起こり得る、ごく自然な一つの心のありようとしてとらえる

ようになったのだ。

 

 私は今、神田先生と出会うために、そして、自分がさらに真のカウンセラ

ーになるために、自分がうつ病になったのではないかと思っている。

 

 ただ、私は回復したからうつを体験したことが自分のプラスになったとい

えるのであって、うつ病の真っ只中にいる人にとっては、その苦しみは筆舌

につくしがたいもので一時も早く逃れたいものだ。

 

 しかし、それでもうつの体験は意味あることだと、私は思う。

 生きるとは。死とは。人生とは。

 うつは根源的な問いを私たちに投げかける。

 

 その痛烈な苦しみの中でも生きる希望を失わず、新たな道が歩めるよ

う、私のもとを訪れるクライアントさんのために、先生のように「全身全霊」

でサポートしたいと思っている。

 うつで死んではならない。

 うつに殺されてはならない。

 必ず回復への道筋はあるはずだ。

私はその道のりをクライアントさんとともに歩みたいと思っている。 

  

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     「growing & healing room ♪Kanonn~カノン~」

 

        http://www.kokorospace.net/
 

 

  

 

 


心の病

2009-10-15 15:43:39 | うつ病の体験、うつ病について

 産後、私は神経症やら、パニック障害やら、うつ症状やら

様々な、精神症状を体験したのだが、そのお陰で、

カウンセラーとして復帰したときに、随分その経験が役にたっているように

思う。

 

 自分がそれを体験する前までは、決して自分はなることのない症状だと思ったし、

「健常者」と「心の病理を持つ人」という線引きをしてカウンセリングにのぞんでいた

と思う。

 

 「心の病理を持つ人」は異星人であり、自分とは違う人種の人であり、

その人たちを救うべく、使命感を持って、身構えて頑張っていたわけだ。

 

 でも、自分の心は自分が一番理解しており、自分の心は自分でコントロール可能

であるとどこかで信じ、心の専門家であると思っていた自分が、

鬱や神経症やパニック障害を体験することによって、

それは、誰にでもなりうるものであり、また、同時にその症状は、心身の深いところ

からくるメッセージであり、声にならない声であり、自分を否応がなしに変化させる

凄まじい力を持ったものだと今は感じている。

 

 たとえば、鬱症状は心身からの

「もう、どうもでいいから休んでくれ」

という叫びのようなものであったり、

無意識からの

「今までとは違う新たな生き方をしろ」という

強いメッセージであったりする。

 

 そのために、今まで通り自分で自分はコントロールできなくなり、

気力や根性はまったく役にたたなくなり、エネルギーは著しく低下して、ほとんどやる

気が起こらず、地の底にたたきつけられてしまう。

 

 私のカウンセラーの師匠は

「鬱とはワープゾーンのようなものだ」

と言った。

 通常なら年齢や経験とともに、じっくり人は変化するが、

劇的に変化せざるを得なくなるのだ。

 

だから、鬱は、結婚、離婚、出産、中年期、大切な人の死、更年期、

初老期、大病した後、など人生の節目に起こりやすい。

 しかし、凄まじい力を持ったものだけに、その辛さは言いようのない

ものであり、経験したことのない周囲の人たちからは

「異星人」扱いされ、孤独の淵に追いやられてしまう。

 

「誰にも分かってもらえない」

というのが鬱症状や神経症を体験した人が往々にして、感じることだ。

 

だから、一度ならず死を考えるし、

だんだんと、引きこもっていくことも少なくない。

 

 ただ、自分が体験して、またカウンセリングしてつくづく思うのは、

この症状は新しい生き方をする大きなチャンスであり、また、この症状を発祥する

ことで、もっと大きな危機から、身を守ろうとして生き残ろうとする心身の智恵

なのだということだ。

 

 でも、こんな苦しい思いをするくらいなら、そんな新しい生き方のチャンスはいらん

し、もっと何とかならんのかというのが本音だし、一日でも早くその症状から抜け出

したいというのが、切なる願いだ。

 

 大きなチャンスと激痛とを併せ持つ(もっと多面的要素を持っているが)、精神症状

を抱えた人が

少しでも心に安らぎを得られるようになり、希望を抱き、

「力強く生きていこう」

とか

「それでも生きててよかった」

とか、

もっと言えば

「二度となりたくないけど、この病気にかかってよかったかもしれない」

と思ってくれるくらいのサポートが

できればなあ、と日々感じる。

 

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 「growing & healing room ♪Knonn~カノン~」

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ツレがうつになりまして

2009-06-12 22:52:47 | うつ病の体験、うつ病について

 「ツレがうつになりまして」

という漫画があるが、それを原作としてNHKでドラマ化された。

 

 私もかつて鬱になったので、共感したり、こういう点は違うなあ、などと

思いながら、しみじみと見入った。

 

 鬱の大きな症状は、そのあまりに苦しみから、自殺したくなることだ。

ただ、この苦しみから逃げてしまいたい、自分を消してしまいたいと思う。

私が、自殺を選ばなかったのは、幼い娘がいたことと、

「自殺しても魂は浮かばれない」という根強い考えというか恐れのためだった。

そのおかげで私はこの世に踏みとどまれた。

 

 ドラマの中で、精神科医が、なぜ鬱になった人間がそれほどまでにあせって

苦しくなるのか説明するシーンがあった。

 「それは、人に言葉があるからよ。」

 「動物だったら、調子が悪ければじっとできる。でも、人間には言葉があるから

次々と言葉が出てきて自分を追い詰めてしまう」

 

そう、その通りだなあ、と思って見ていると、

「自分を責める言葉が出てくると、目の前に川があるとイメージするの。

その言葉がその川にのって遠くに流されていくのを見ていくの。」

心がすっと落ち着くような安らぐアドバイスだ。

 

 鬱になる人は真面目で責任感が強く、頑張りやが多い。

とても努力家で、完ぺき主義なタイプだ。

 鬱になった「ツレ」は、病気になって自分の弱さを知って

ささやかな、日々の風景の美しさと変化が目に飛び込んでくるようになったと

みんなに話した。

そして、あせらず、自分を特別な人間だと思わず、後でできることは後回しに

して、ゆっくり生きていきたいと言う。

 

 鬱症状は苦しく、時として長引き、地獄の底を見るような思いをさせられる。

しかし、その鬱とどうつきあうか、また鬱を通して自分と向かいあっているうちに

人が本当に人らしく、また豊かに生きる道も教えてくれる。

「仕事ができるから」「能力があるから」ではなく、

弱さ、もろさを持った「あるがままの自分」を受け入れ、大切にすることが

どれだけ大事なことか知らされる。

 

 私は鬱から何とか回復することができた。

せっかく鬱を体験したのだから、「あるがまま」の自分を大切にすることを忘れない

でおきたい。

そして私が回復できたのは、家族を中心とした大勢の人の支えのお陰だ。

私は生かされて生きているのだ。

 

 この思いを胸に、もし、鬱で苦しんでいるクライアントさんがきたら、

私はその人の心のそばにいて、しっかりと支えるだろう。

鬱症状のひとつ下にある、その人が豊かに生きる可能性を見据えながら

私はその人が新たな人生をスタートできるように、全身全霊で支えるだろう。

 

   

 

 

について、

 


本当の強さ

2008-09-28 01:49:02 | うつ病の体験、うつ病について

私は出産後35キロしか体重がなかった。

妊娠初期はつわりで飢餓状態で入院し、妊娠後期は胎内の赤ん坊で押し上げられ

た胃の容量はわずかなものとなってほとんど食べられなくなり、いちご一個だけで過

ごすような毎日を余儀なくされた。

こんな状態で二つの生命が維持できるのか。

私に死の不安がよぎった。

手足は枯れ枝のようにやせ細り、肌は全く水分を失ったしわしわの桃のようになり、

立つのも困難になった。

臨月になると苦しさがまし、精神状態が過度に不安定になり、夜、静まり返った病院

に聞こえてくる踏切の警笛の音を聞いて、いっそ線路に飛び込んで楽になりたいと

思った。

過酷な妊娠中の苦しみとは正反対に、出産はとても楽だった。

陣痛が起こって二時間ほどで、娘は誕生した。

衰弱しきった私とは対照的に、血色の良いとても元気な赤ん坊だった。

とても暖かな二月のことだった。

出産の喜びと安堵もつかの間、私は不安障害になった。

わけも分からずただ不安と焦りが湧いてくる。

生きていることが不安で不安で仕方がない。

すぐに精神科にかけこんで、薬をもらって飲み続けるとむと三ヶ月ほどでその症状は

おさまった。

秋になったらカウンセリングを再開しよう、そう思って暑い夏を過ごした。

ところが九月の末のある朝、私の気分はどん底だった。

鬱になったのが、分かった。

しかし、なぜ鬱になったのか分からない。

産後、なかなか体力が回復しない私のために母親が全面的に子育てを協力してくれ

た。

週末はほとんど夫が子供の面倒を見てくれた。

私に、育児の負担はほとんどなかった。

それ以外に多大なストレスやショックがあったわけではない。

それでも私は鬱になり、暗闇に閉ざされた世界へと落ちていった。

今度も精神科にいき色々な抗うつ剤をためしたが、前回のように簡単に症状はおさ

まらなかった。

何もしたくない。

息をするのも苦しい。

石のように縮こまって毎日を過ごした。

どん底の中で、何度も発作的に死にたくなった。

娘の存在が、自殺を踏みとどまらせた。

一月になって、何とかしようと思い、妊娠前に通った鍼灸院に毎週連れていってもら

った。

四月になって、カウンセリングを受けようと思った。

軽いパニック障害も併発していたので、勇気を振り絞って毎週電車に乗って通った。

はじめは、カウンセリングで30分話すのがやっとだった。

でも、私の信じていたカウンセリングは私を裏切らなかった。

素晴らしい先生との出会いもあり、私の鬱は劇的に良くなっていった。

私はなるべく早くカウンセラーとして活動したいと思うようになった。

ヒーリングも定期的に受けるようになった。

お世話になったあるヒーラー(ヒーリングする人のこと)さんが私に言ってくれた言葉

がある。

「あなたは今まで、一生懸命になることで、クライエント(相談者)さんを支えようとして

きた。でも、この一連の試練を乗り越えることで、自然体のままでクライエントさんを

支える強さが生まれつつあるわ。

これからどんどん人としての器も大きくなるでしょう。

本当の強さを手に入れられるの。

もっと多くの人を、今までよりもっと困っている人を支えられるようになるでしょう。」

その言葉は嬉しかった。

どん底の経験も、人を癒す力へと昇華されるなら、すべての苦しみも光に変わる。

でも、乗り越えられたのは、私の力だけではない。

私を必死で支えた母。

私の回復を心底信じ、無条件に愛し続けてくれた夫。

そして、私の命そのものである娘の存在。

鬱からほぼ回復し、私を力強く応援し続けてくれた夫の母。

私は非常に恵まれた環境の中で苦しんだ。

それでは、そのサポートがない人々をどう支えようか。

「それは、カウンセラーの真価が問われるところね。」

カウンセラーの先生は言った。

ああ、そのために私はもっと強くなろう。

もっと勉強しよう。

カウンセラーとして力がつけられるなら、私は何でもするだろう。


悲しいこと

2008-09-13 17:13:22 | うつ病の体験、うつ病について

うつになって悲しいかったことは、子供がほとんど可愛いと思えなくjなったことだ。

娘が七ヶ月くらいのときに鬱になったので、彼女の世話はほとんど最小限しか

できなかった。

娘を見ても、無感情どころかやっかいな存在としか感じられなかった。

それは本当に悲しいことだった。

しかし、幸運にも娘は私の母の深い愛情と、夫の濃やかな愛に守られて、私の鬱の

影響はほとんど受けていない。

鬱が完治して元気になると、娘への愛情はほとばしる水のように私の内面から湧き出た。

娘は今一歳七ヶ月になろうとしているが、もちろん手がかかって憎たらしく思えること

も多々ある。

娘はよく言えば活動的、悪く言えば、乱暴者で、私の顔に頭突きをくらわし、

私はあまりの痛みに目から星が出るのを感じたほどで、頬はしばらく赤黒く腫れた

し、私の足にいきなり梅酒のビンを倒してきたので、あまりの痛さに足の親指が折れ

たかと思った。

それでも、日々イキイキと何事にも目を輝かせ、表情は豊かでくるくると変わり、

昨日までできなかったことが今日からはできるようになり、そのような成長ぶりが

どうしようもなくいとおしい。

あまりにも過酷な妊娠生活と、産後だったが、それでも神さまが彼女を生むのを許し

て下さったことに心から感謝したい。

彼女の寝顔を見ているときが至福のときだ。

「あなたはお母ちゃんの一番の宝物よ。」と安らかに寝ている娘の耳元で

私はいつもささやいている。


やまない雨はない

2008-09-09 10:48:19 | うつ病の体験、うつ病について

私が鬱病のどん底にあったとき、息をするのも苦しかった。

先が見えない。

生きているのが辛い。

死んで消えてしまいたい。

その時私を支えた言葉は

「やまない雨はない」「夜明け前が一番暗い」

だった。

よく聞くありふれた言葉。陳腐な言葉。

でも、この言葉は真実である。

どんな激しい雨でも、必ずやむ。そして、夜が明ける前の空は一番くらいのだ。

私はこの言葉を呪文のように何度も唱えた。

この言葉にしがみついた。

そして、「私は絶対に自分を見捨てない。絶対によくなってやる。」

石のように体を縮こませながらも、私は私に誓った。

今、鬱に苦しんでいる人たちに言いたい。

鬱は必ず治る。

必ず必ず治る。

だから、あきらめないで。決して自分を見捨てないで。

止まない雨はないのだ。

厚い雲の向こうには必ずあたたかな太陽と透き通る青空がひろがっている。


復活します

2008-09-06 17:43:51 | うつ病の体験、うつ病について

随分ながーい間ブログを書いていませんでした。

この感、私にとって人生最大の苦しみが(喜びもあるかな)やってきました。

まず、妊娠

妊娠したかと思うと、しばらくして強烈なつわりがやってきて、何も食べられず危うく餓死しかけて入院。その後安定期を経てまたまた切迫早産、妊娠性腎炎で入院。

一度退院したものの、一ヵ月後切迫早産で再び入院。

妊娠後期は、赤ちゃんが胃を圧迫するようになり、ほとんど食事ができなくなり、臨月は一日イチゴ一個しかたべられなくなることも。がりがりにやせ細り、体力不足で歩くこともできなくなり、こんなことで出産できるのかと思っているうちに、35週で陣痛たった二時間で、顔色のつやつやした元気な女の子が生まれました。

出産後の私の体重はわずか35キロでした。

そして、喜びもつかの間、産後一週間で不安神経症に。

わけもなく不安で不安でたまらない。生きていることが不安でたまならない。なぜ不安なのかさっぱり分からない。すぐにおかしいと思った私は、精神科にかけこみました。薬物療法で二ヶ月ほどで、気持ちは落ち着きました。

やれやれこれで秋から、カウンセリングができるかも、と思っていたら、夏の暑さにウツウツしているうちに、9月のある朝、目が覚めると真っ暗な気分で起き上がることができない。何もしたくない。気分はただただ真っ暗。「ああ、これは鬱だ。」と思いました。

薬物療法もはかばかしくなく、自分の症状にぴったりの薬となかなか出会いません。出張でカウンセリングをしてくれる人がいたので、カウンセリングを受けましたが、あまりにもしんどくて、ほとんどしゃべることができないのです。

「これが鬱か。鬱がこれほど苦しいなんて。」私は比較的軽めのうつ病のクライエントさんのカウンセリングを担当させてもらったことがありましたが、心のどこかで自分は決してかかることはない、とタカをくくっていました。

「私は何も分かっていなかった。鬱がこれほど苦しいものなんて。」

そして、鬱の一番怖いのは、死にたくなること。先の見えないトンネルの中にとじこめられているようで、発作的に死にたくなる。私が死なずにおれたのは、まだ一歳に満たない娘のおかげでした。この子がいるのに死ねない。支えは子供でした。

そのうち、少し回復してきて、症状の良いとき(比較的気分の明るいとき)と症状の悪いときと波がでてくるようになりました。ヒーリングを受けるなどして、色々症状の回復を狙ったのですが、ヒーリングを受けてもその時は調子がよくても、次ぎの日反動でどん底状態に落ちてしまいます。

そんな状態がしばらく続きましたが、私は今年いちがつから本気で治そうと決心しました。まず、体から元気になろう。妊娠が過酷だったので、体が回復していないに違いない。

次ぎにカウンセリングを受けようと思いました。私の受けたいカウンセラーは出張カウンセリングは行っていなかったので、電車で通わなければなりません。うつ病の人間が一人で電車に乗ることがどれだけ勇気がいることか。また、私は軽いパニック発作も持っていたので、乗り物に乗ると、わけもなく緊張し激しく動悸がするのです。

でも、必死の思いでカウンセリングに通いました。私はカウンセラーなので自分の信じているカウンセリングで自分を治したかったし、どのようなプロセスを経て、鬱が改善されていくのか体験したかったのです。 

カウンセリングの回数を重ねたある日、カウンセラーの先生が私に言いました。

「うつになることで、自分の内側が開かれるの。自分の内側が広がるの。自分の内側が豊かになるの。」

それは絶妙のタイミングでした。そして目から鱗が落ちた瞬間でした。あまりにも早い時期に言われても、この言葉は全く入ってこなかったでしょう。でも、その時は、その言葉を素直に受け取れました。

そして私の中にある、鬱=苦しみ 鬱=病的 鬱=ネガティブというイメージは一掃され、その後落ち込みがやってきても、「ああー今私の内側が豊かになってるんだなあ」と思い、鬱による落ち込みで落ち込まなくなりました。そして、私は急激に鬱から回復していったのです。

今でも、なぜ自分が鬱になったのかは、分かりません。通常、過剰なストレスや、生きがいを見失ったとき、鬱になるものですが、私はどれにもあてはまりません。

妊娠・出産で使い果たしたエネルギーが戻ってなかったからうつになったとか、ホルモンのバランスがくずれたままだったとか、そういう説明ならできるかもしれませんが。

今、私が言えるのは、私にとってこの鬱は神様からのギフトでした。

鬱の間、夫と母をはじめ、多くの人が私を支えてくれました。何よりも良かったのは娘が私の鬱の影響を受けることなく健やかに伸びやかに育ってくれたことです。私は多くの人によって愛され、支えられていることを改めて認識しました。

自分が鬱になることで、改めてクライエントさんの苦しみが分かりました。どれほど支えてくれる人がいても、鬱の苦しみが分かるのは、なった人間だけです。私が今度うつのクライエントさんを担当することがあったら全身全霊でその人を支えるでしょう。もっともっと力をつけてより多くの鬱のクライエントさんが回復するサポートをしたいと思います。

以前の私には何かどうでもよいプライドをもっていました。どん底を見ることで、そんな余計な力みが一切なくなりました。肩の力が抜けて自然体になりました。周囲の人から「優しくなった」といわれることが増えました。

同時に底力もついたと思います。地獄の中にいるような苦しみに耐え、乗り越えたという自信です。それから神様は人が乗り越えられるだけの試練を与えられるということも実感しました。

それから、鬱という一見非常にネガティブで苦しい体験も必ず、その人にとって意味あるものだということも実感しました。それは人によって「今のままではいけない、新しい生き方がある」というメッセージを携えていることもあります。

そんなこんなで、苦しい苦しいトンネルを抜けて、ようやく私の大好きなカウンセリング活動を再開できるようになるまで、回復、もしくは成長できたと思います。