私は産後、妊娠中の著しい心身の消耗からうつ病になったが、うつの苦
しみをある知人によく電話で聞いてもらっていた。
その人は、ヒーリングの仕事をしていたので、私の気持ちがわかってくれ
ると思っていたからだ。
その彼女から
「自分の力で立ち直って欲しいから、申し訳ないけどもう話は聞けません。」
とメールがきた。
私はとてもショックだったが、いくらヒーリングの仕事をしているからといっ
ても、プライベートでこういう話を聞かされるのはうっとおしいのだと思い、
「本当は自分の力でどうのっていうより、話を聞くのがしんどくなったんじゃ
ないの?」
とメールを送ったが、返信はなかった。
その後、数年たって、先日本当に久しぶりにその知人と話す機会があっ
た。
その時彼女は
「あの時、本当に○○○さん(私の名前)の力で立ち直って欲しいから
そう思って書いたのよ。」
と言った。
知人は本当に私のことを考えて言ってくれたていたのだった。
それが分かったのはとても嬉しかった。
でも、それは、うつ病の苦しみを味わったことのない人がいう言葉かな
とも正直思った。
一言でうつといっても、人それぞれうつになるまでの背景も違うし、うつの
症状も違う。
でも、私の味わったうつというのは、「自分の力で頑張って」治せる
というものではなかった。
私はもともと、物凄く気力があり、根性があり、そして努力家だといわれ
てきた。
だから、気力と根性があれば何事も乗り越えられるし、努力さえすれば
どんな困難も克服できると信じていた。
でも、うつはこの「気力」と「根性」と「努力」という私が自身の長所と感じ、
最も頼みとしていたものを根こそぎ奪い取っていった。
二度と一人では立てないくらい足腰を徹底的に折られる感じだ。
私はうつの苦しみと恐怖と不安という海で、ただただ溺れているしかな
かった。
だから、わらをもすがるように助けが欲しかったのだ。
確かにうつを治すには、本人の「治そう」という意志と、自分を見捨てな
い覚悟と、最終的にはその人の心の自然治癒力ともいうべきものが
が何よりも大事になってくる。
でも、その治そうとする本人の意志や、心の治癒力を支えるものは周囲
の温かなサポートがあってこそのものなのだ。
幸い私は家族の理解と絶大な援助があり、また心から寄り添ってくれた
亡き師匠の神田清美先生との出会いがあった。
私の母も夫も青白い顔で石のように横たわる私をよく辛抱強く見守ってく
れたと思う。
そして、神田先生は、カウンセラーとしてだけでなく一人の人として
私の心のそばにいて、私の回復のために尽力してくださったと思う。
技術だけでなく、専門家としてだけでもなく、「共にいてくれた」という
感覚が、何よりも私の心に安らぎを与え、私の心の治癒力を最大限に
引き出してくれたのだ。
うつ病になる前の私は、様々な困難を乗り越えられない人は
どこか、努力や気力が足りない人だと見下げていたのかもしれない。
でも、努力とか、気力とか、そんなもの自体がふっとんでしまうということ
が人生にはあるのだということを知った。
そして、うつは、努力とか気力とかそんなものではどうにもならないことが
人生には起こるのだということも教えてくれた。
「自分の力で立ち直って欲しい」
という願いや思いやりの気持ちを持っていた優しい知人には、もちろん感
謝したい。
でも、「自分の力」なんて笑ってしまうくらい惨めなほどに奪われるのが
うつだというのも、多くの人に知って欲しい。
神田先生が回復までの道のりを本当に私と共に歩み、寄り添い、私の
存在をかけがえのないものとして接してくれた喜びは今も忘れられない。
だから、どうしても先生がしてくれたように、私はうつ病のクライアントさん
と向かい合いたい。
専門家にあるまじきことだと批判する人もいるだろう。
とても青臭いことかもしれない。
でも、「生きる」か「死ぬか」を突きつけられるほどの重いうつには、
カウンセラーの存在をかけた支えが、暗闇の底にいるクライアントに光を
与えて前を向いて歩く覚悟を与えてくれる。
技術も知識も経験も、すべてカウンセリングでは重要なことである。
ただ、私は一番「共にそばにいること」ということを最も大切なこととして
私の元を訪れる人たちを支えていきたいと思う。