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KANO 1931海の向こうの甲子園

2015-03-04 17:44:51 | 銀幕

製作と脚本:魏徳聖(ウェイ・ダージョン)、監督:馬志翔(マー・ジーシャン)

この映画、去年から話題になっていて私も良さそうだから見たいなと思ってました。そして後から監督が馬志翔と知り更に楽しみにしていました。
馬志翔氏は俳優でもあり、ドラマで鮮烈な演技を見て強い印象を受けた事がありました。
もちろん映画に馬志翔はいませんが(さりげなく群集の中にはいたらしい)。
念願かなって2月6日と3月2日に鑑賞しました。

少しネタバレしてます。

実話を基にして脚色も加えた映画なんだそうです。

映画は第二次大戦の台湾にいる日本軍の様子から始まります。
もう日本の敗戦の色合いが濃くなり、傷病兵の痛々しい姿が映し出される中、台湾経由でさらにフィリピンの戦場に向かおうとする一軍は台湾南部へと進む汽車に乗り込む。
嘉義駅に着いたら起こしてくれと一眠りする一人の青年将校。



彼はいったい何者?この物語に出てくる嘉義農林学校野球部のメンバーだったのか?
その青年は1931年の甲子園大会に思いを寄せる。
当時の甲子園の参加校は今より広範囲なのに驚きました。台湾だけでなく球場の掲示板に満州の「大連」の学校名が書かれてました。考えてみればどちらも日本国内だったのですね。

そしてさらに2年前(1929年)の嘉義農林学校野球部の話が始まります。
近藤兵太郎監督と野球部員たちとの出会い

彼らは日本人、漢人、蕃人(台湾ネイティブ民族)のチーム

彼らはまだ一勝もしたことのない弱いチームでしたが、近藤監督は部員の潜在的な能力を見抜き、さらに俊足の生徒、打撃力のある生徒をスカウトして厳しい練習を始める。
それからの彼らの頑張り、勝負に目覚め泥だらけになってプレイする姿、彼らに起こる悩みが瑞々しく描かれてます。

少年たちは鍛えられ筋肉が付き無駄な脂肪もなく、とても美しい背中を見せます。

(サントラ盤のブックレットより)夜、自主的に練習する部員たち。ピッチャーのアキラこと呉明捷くんの動きに合わせて部員たちがバットを振っている。
彼らを応援する人たちの暖かさも良かったです。
このころの台湾は思った以上に日本の生活が浸透しています。

嘉農野球部が活躍した同時期に嘉義の地域では八田與一技士の指示で水難に悩む農地のために嘉南大圳(かなんたいしゅう…鳥山頭ダムを含む水路)を建設し完成します。
八田與一氏も頼もしい笑顔で嘉農の野球部員を応援します。

でも当時日本統治下の台湾では・・・日本人は台湾人に対して優越感のようなものを思い揶揄する人も中にはいました。
本人は得意げに言ってるのですがこういう間違いは、はたから見るととてもみっともない。

そんな無遠慮に対し、野球部員小里くんはきっと目を向き、きっぱりと言います。
「言ってる意味がようわかりません。」

近藤監督も地元の議員に言います。
「蕃人は足が速い、漢人は打撃が強い、日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない。」
近藤監督は公平な目線を持った人で。能力を評価し適したポジションに置き采配を振るう。

私はまったく体育会系の人間ではないのですが、体育会系の年配の方からよく聞いてたことがあります。
「スポーツマンが爽やかだなんて、とんでもない。スポーツマンほど我がつよい人はいないし、だからこそ勝ちにこだわるのだ」
嘉義農林学校の野球部員たちも描かれてないけどそれなりにエゴのぶつかりもあったのかもしれない。
でも、彼らはお互いのエゴが寄り添い溶け合って化学反応を起こしたように見えました。

その化学反応の波長に周りの人間も共鳴してどんどん外側へと拡がっていく。
彼らのひたむきなプレイが地域の人たちの心を共鳴させ、台湾全土を共鳴させ、そして海を越え甲子園の観客さらにラジオを通して試合の成り行きを知る日本中の人たちにも共鳴させていく。
チームを揶揄する者たちもやがて彼らの快進撃とひたむきさに感服する。それがまた見ていて気持ちいい。
その時、以前揶揄してた人がしみじみと呟いた言葉こそが製作者と監督のメッセージと感じました。
そして、映画を見ている私達も画面を通して共鳴して、登場人物と一緒に涙してしまう。


最初に現れた青年将校
錠者という青年将校は1931年の甲子園で彼らに打ちのめされ、複雑な思いと共に嘉農(嘉義農林学校)の活躍を見守ったのです。
スポーツに限らないですが表舞台に登場し活躍する人たちの後ろに数えきれない大勢の人の挫折が存在する。そして憧れつつ外側から見る人はもっと大勢存在する。
わくわくした気持ちで彼らの活躍を見届ける多くの人の中に、苦みと共に見届ける人がいる。
甲子園の様子は嘉農の部員や近藤監督の目線と観客席の、とくに錠者の目線の二つで語られる。
やがて複雑な思いは野球へのひたむきさ、あきらめない気持ちに驚き、涙し、叫ぶ
「天下の嘉農!」
観客席全員も一緒に叫ぶ

錠者は嘉農の存在が忘れられない。戦争が激化し夢が持てなくなってさらに思いが深くなったのかもしれません。
彼は嘉義駅で暫く汽車が停車する機会に降りてみる。振り返り召集された少年兵を見る。その額と顎に入れ墨がある少年がいる。
台湾の少年、そして台湾ネイティブ民族の少年が日本兵として招集されていたことを彼は映画を見る私たちに示唆する。私はその事実を知りませんでした。その事実を知らせたいという魏徳聖氏と馬志翔氏の意志を感じました。

そして嘉農のグランドに自分の魂を置いて去ります。
戦場の修羅場には持っていきたくはなかったのでしょう。ここに置けば、誰かが拾い上げまた野球が始まる。彼の魂はこのグランドで野球と共に生きていく。

彼のその後の運命は最初のシーンで同乗の将校が予言してました。
嘉農の日本人部員も同じ運命をもった人がいたと映画の中で説明書きがありました。

近藤監督に教えられた台湾人の部員はその後、日本や台湾の野球界で活躍し、台湾野球の土台を作ったそうです。


近藤監督役の永瀬正敏がどっしりとして頑固で気骨があって、厳しさと公平さと温かさを持っていて味わい深い。いい感じで渋いおやじができる年齢になったんですねえ。
八田與一役の大沢たかおは少し意識的に太ったようでがっしりして、みんなから尊敬される頼もしい人物がとても合っていました。
そして錠者役の青木健がこの物語を進める狂言回しの役目を持っていて、主人公たちだけでなくもう一つの視点で嘉農を見て奥行きを出していたように思いました。
自信と挫折、憔悴と感動の振幅のある心の動きを表現。帯刀した軍人の姿が似合う、武士の風情を感じる俳優さんだと思いました。

映画館の席には年配の男性が多かったです。野球を愛する方々なのかも、そして昔の台湾を知る方かもしれないと思いました。
185分と長い映画でしたが、物語に入っていき見たあとに爽やかな気持ちになりました。


予告編を貼ります。

映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』予告編


もう少し長い予告編を見つけました。よろしければこちらも見てみてください。
《KANO》六分鐘故事預告

2 コメント

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ブラヴォー! (パブロ・あいまーる)
2015-03-04 23:46:46
blueashさん、今にもあのスクリーンのいろんなシーンがよみがえって来るよな、ステキなレビューをありがとうございました!!

あ~、アタシもこんな風に言いたかったのよ(爆)
でも、全然、上手く言えないし、伝えきれてないのよね~、とほほ^^;
つくづく、あふぉ~だから仕方ないんだけどw、

ぶるーさんのコレを読んだら、とーっても伝わってきて、なんだか、ウルリとしそうでした(笑)
ホントに、純粋にすべて受け入れられる映画でした。

でも、つぶれたマメに砂をつけたら、ばい菌がー!って、監督、もっとちゃんと消毒してよーって、気になるわけです(爆)←やっぱ、邪念が入るオンナww←そして、腐ィルターもかかってしまうオンナ、とほほ^^;

何しろ、とても丁寧な解説や感想を、素直に感動しながら読みました、それはホントだからね~(爆)
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謝謝☆♪ (blueash)
2015-03-05 16:53:13
P子さん☆
ほめていただきありがとうございます☆すっごく嬉しい。頑張って感想を書いて良かった(^^)/♪
傷口に砂は、あれは痛そうでしたね。見てる方がジンジン痛みを感じてしまいました。破傷風菌とか、私もつい心配になってました。
そして腐ィルター。実は監督に腐ィルターを通して見てました。12年前の台湾ドラマ「ニエズ」(見たのは数年前ですが)で阿鳳という伝説の少年の役を演じていて、当時もかなり大柄で少年の役には厳しいじゃないかな、なんて思って見てたら演技で圧倒されてしまったのです。ええ、キスしーんとかもありました。
持ち物にひっそり阿鳳と名前を付けていました。えへへ(*´ω`*)
そしてあふぉ~なんてとんでもない!いろんな方と柔軟に対応してさりげなく気を配って楽しく接しているですよ~☆みんなが出来る事じゃないですよ✨
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