~窓をあけよう☆~

花様年華 In The Mood For Love

7月28日にシネマート六本木にて鑑賞しました

「花様年華 In The Mood For Love」2000年作
現在シネマート六本木では王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品特集が開催されています。王家衛作品の新作(「グランドマスター 一代宗師」)も発表され、これまで発売されたDVDも再販(「楽園の疵」は再編され「楽園の疵 終極版」としてあらたに販売)。あらためて鑑賞することができるのは後発でファンになった私のような者にもとても嬉しいです。
当日、思った以上にシアター内に人が多いのに驚きました。一緒に鑑賞したレッドさんがやはりトニー・レオンの人気が高いからなのでは、と言われてましたが、なるほど。またこの映画はポスターでも映画のシーンでも深紅色が印象的ですが、その映画にレッドさんとご一緒するのもご縁のような気がしました。

物語は1962年の香港、新聞記者 周慕雲(チャウ・モーワン)と社長秘書 蘇麗珍(スー・リーチェン)の恋物語
二人共30代で、それぞれ伴侶がいます。偶然同じ日に隣同士の大家さんの一室に引越しをしてきます。当時の香港の住宅事情を推し量ると、住処はとても貴重かつ狭いものだったようです。
両者の大家さんはいわゆる日本でいうマンションのようなアパートのお隣さんで、お互いの玄関がすぐそばにあります。そのなかでどれくらいの部屋数があったかはわかりませんが、1部屋(バス、トイレつき)を人に貸して家賃をとってます。その部屋も見たところせいぜい6帖くらいで、夫婦で住むために大きなベッドを入れたらかなり狭い感じをうけます。

周慕雲の妻もキャリアウーマンであり、蘇麗珍の夫も海外出張の多い商社マンなので両者ともむしろ豊かな生活をしている方だったと思います。また両者の大家も街の中心地近くに人に貸せる部屋数を持つ家に住んでいるというのは、家具や調度品を見ても豊かな家庭だったのでは。大家のスーエンさんとクウさんは仲良しでもあり、一緒に徹夜マージャンなどして楽しんでいます。
そんな人が密接に関わりあう環境のなかで、お互いの伴侶が不倫をしたことで傷ついた二人が話し会い、いつしか自分達も惹かれ合うようになる。でも伴侶と同じことは繰り返したくない。



周慕雲をトニー・レオン、蘇麗珍をマギー・チャンが演じてます。
この映画から醸し出す美の世界に圧倒されます。
マギーは髪にボリュームを持たせてアップにし、アイラインを強くひいたいかにも60年代のメークをし、スラリとしたスタイルにピッタリと合わせた旗袍(チーパオ・・・チャイナドレス)を着こなしてます。当時の旗袍の襟は高かったそうですが、マギーの服はその高さが強調されてます。

ありえないような襟の高さ。
旗袍の服の生地もモダンで斬新。これは美術監督ウイリアム・チャンの母親が60年代に着ていたドレスをもとに作ったそうです。全体のシルエットはほぼ変わらないのに、バラエティに富んだ生地のドレスを次々と見せてきます。マギーは最初から最後まで旗袍を着こなしてます。からだのラインにピッタリとあわせたドレスにこの襟ですから、この服ではくつろげない。実際60年代の女性だってどんな時もこの服を着てたわけではないでしょう。これはこの映画における戦闘服とさえ思いました。

それにしても美しい





かかとの細い黒いハイヒール。がま口のバッグ。60年代香港ファッションの洗練に魅了されます。

ファッションだけでなく生活小物もまた美しいです。
翡翠色のティーカップ

借りた部屋には台所がないので基本的に外食生活をする蘇麗珍が屋台でラーメンを買って入れるフタ付き入れ物。写真が見つからず残念。
周慕雲がくゆらす煙草の煙も天井にあたり美しい渦を巻いていく。

またこの映画の背景は大概室内か人通りのない路地裏です。表通りの喧騒や猥雑さが存在しない、路地裏にはさもありなんという風にひなびてるけど、転がっているだろうゴミは見当たらない。
蘇麗珍の務める社長室は奥行きがあまりなく、まるで小舞台にみえてしまう。
主人公達が住む部屋だって、あんなに狭いのに、ドレスはどこにしまってあるのだろう。
映画の中で現実感を超えて新たな現実が作り出されている。

梅林茂の作曲したテーマ曲は弦楽器のピチカートを伴奏にバイオリンでメロディをかき鳴らし、その曲を背景にからだの線に沿ったドレス姿の蘇麗珍や周の妻が体のラインをしならせながら歩いて行く。二人が食事したり、後半居をホテルの2046号室に変えた周慕雲(手頃な値段のホテルに住む人もいたらしい)とためらいながらも訪問する蘇麗珍が歌を歌ったり小説を一緒に書いているときにはナット・キング・コールの歌うラテンの曲が流れる。二人がすれ違って会えないときには思わせぶりな「キサス・キサス・キサス」(もしも、もしも、もしも)という歌が流れる。
二人が想いに苦しんでいる時、ラジオから流れるのは「花様的年華」の歌。このハッピーバースデイの歌を替え歌にした曲は人生の花の時の美しさとはかなさを歌っている。
恋ははじめの甘い時よりも苦しい後半のほうが本体なのかも。
苦しいから悩み迷い、蘇麗珍は一度は周慕雲の転勤先まで追っかけるのだけど・・・・・・・・
口紅のついた吸殻はわざと残した。罪な女性だ。後から気づきましたが、周が大事に持っていたスリッパ・・周の部屋に遊びに行った日に大家さん同士が徹夜麻雀をして帰れなくなった翌朝、仕方なく周の妻のハイヒール(あとで八つ当たりのように投げていた)を履いて出かけてきたふりをして代わりに置いて行った彼女のスリッパを、取り戻したようです。

ギリギリの葛藤の末、彼女は会わない事を選んだ。痕跡だけを残して過去の思い出を回収したことを知らせた。

花の時を表しているのは、文字通り大輪の花のような美しさの蘇麗珍ことマギー・チャン。そして、彼女の魅力を引き立てながらも私達の心につよく印象つける魅力を発する周慕雲ことトニー・レオンでもあると感じました。



優しげにちょっと悲しげに微笑む表情には奥行きと包容力を感じました。物語の後半、周の切ない想いが中心になると見ている私も共鳴していました。
自分の人生をかけた恋、忘れられない人のことを誰にも言えずそっと一人心の内に秘める苦しさはいかばかりか・・・
その心の奥の悲しみがさりげなく、でも切実に伝わってくる

きっと言葉にすると本当の想いとは離れてしまう。その言えない気持ちを表情で表現するトニーの凄さ。

トニー・レオンは王家衛監督の想いと一体化して表現する貴重な存在なんだろうと思いました。
マギーとトニーが一番美しい時に作られた映画であり、王家衛監督も監督としてひとつの頂点を極めた花の時だった気がします。

二人の関係はどこまでだったのか、蘇麗珍はその後離婚したのか夫と復縁したのか、曖昧になってますが、それは見るものの判断に委ねるということでしょう。私は復縁したと思いました。もちろんこれは人によって判断の分かれるところで断言はできないですが。彼女は余韻を残しながらも恋を思い出に昇華させていった気がする。そして周慕雲はずっと昇華できず心にいっぱいの疼きを響かせて、続編映画「2046」でさまようことになる。蘇麗珍はたおやかだけど芯の強い女性。王家衛監督の1990年の作品「欲望の翼」でも蘇麗珍は登場し、恋に溺れながらも不誠実な恋人にきっぱりとした態度をもっていました。もちろんかなり辛そうだったけど。後をひいたのは実はレスリー・チャン演じるヨッディの方だったのかも。

 

人知れず疼く想いに、周はどういう行動を起こしたか


最後、アンコールワットのシーンにいつもジーンとさせられます。この映画を見てから、この寺院遺跡は憧れの地になりました。

その時に流れるマイケル・ガラッソ作曲の「アンコール・ワットのテーマ」でも弦楽器のピチカート伴奏に、こんどはチェロでメロディを奏でます。それは周の想いを表しているように感じました。

この映画の英語の題名「IN The Mood For Love」はジャズのスタンダード・ナンバー「I'm In The Mood For Love」からきているそうです。この歌はやはりナット・キング・コールが歌ってますが、監督がイメージしたのはブライアン・フェリーが歌うカバーの方だったようで香港での予告編にはこの曲が使われ、日本でも以前販売されたDVDにも収録されていました(今回再販されたDVDに入っているかちょっと知らないのですが)。聞いてみると揺らぎのある歌声が二人の気持ちの揺れとが重なりあう気がしました。

その予告編を貼り付けします🌷

 


コメント一覧

blueash
浮雲ともう一つの物語
レッドさん☆
こちらこそご一緒いただいてありがとうございます(#^^#)

人物たちが彷徨う世界

本当にそうですね。最後まで答えが見つからず迷い、物語が終わっても彷徨っている人物が多い。
周慕雲も東邪も西毒も
グランドマスターは未見なので何とも言えませんが。
王家衛監督の強いこだわりを表現するエネルギーと情熱もすごい。妥協のない人ですね。
俳優さんは大変だろうけど、結果銀幕のなかで新たな魅力を放っているのもすごいです。

「浮雲」は未見なのでネットであらすじを読みました。森雅之演じる富岡があまりに身勝手な男で驚きました。高峰秀子演じるゆき子があそこまでこだわり入れ込むのも驚きです。映画を見たら感想は変わるのかもしれませんが理不尽さが先に立っちゃいました。
でも、その身勝手なイイ男っぷりに思わず「北京故事」の陳捍東を想起してしまいました。富岡も捍東ももてまくり、好きな人がいるのに他の人と関係をもったり、愛する人を何度も裏切る。何度裏切られてもこの人と思った人を愛しぬくゆき子と藍宇も重なってしまう。最後愛する人の亡骸を前に身勝手な男がやっと愛を表現するところまで重なってしまいました。
結局、形を変えてメロドラマは今もあって、私もどっぷりはまっていたのでした。
悩ましきいい男に森雅之は似合いますね。でもゆき子と蘇麗珍はタイプが違う。だから高峰秀子でなくもう少しクールな雰囲気の久我美子はたしかに適任。
南国が舞台。男性のポマードでかためた髪。花様年華はたしかに昭和20~30年代の日本映画も感じさせられますね。どこか懐かしい
レッド
http://she-guo.jugem.jp/
28日、どうもありがとうございました。
深紅に黒文字というこのポスターは美しいなあと思って眺めていましたが、自分のハンドルとの関連はまったく思い及びませんでした(笑)。恐縮です。

さて、一昨日に『楽園の瑕 終極版』を鑑賞してきまして。この日の『花様年華』ほどの入りではなかったですが、お盆休みのせいなのか、平日11時開映なのにずいぶん入っていました。
むかしむかし、レンタルビデオで観たときほど、「なにがなんだかわからない」ということも無かったです。自分が王家衛の映画の文法に慣れたからかも知れません。
というか、『楽園の瑕』も『ブエノスアイレス』も『花様年華』も、そして『グランド・マスター』も、人物たちが彷徨う世界はまったく変わらないように感じます。
結局この監督は、時代がいつであろうと場所が何処だろうと、登場人物の設定や関係性がどうであろうと、フィルムに封じたいものはいつも同じでまったくぶれず、それを精緻に彫り上げるために膨大な情熱を傾けるひとなんだな、と思いました。

ただ、「自分好み」ということでいえば『楽園の瑕』よりも、6年後に撮ったこの『花様年華』のほうが、はるかに上です。
衣装や調度の美というものも大きいのかもしれません。
もうひとつ、ラストに近づくにつれてトニーさんがどんどん南方へとさすらっていくあたりで、自分の大好きな映画を思い出すから、というのもあります。
成瀬巳喜男の『浮雲』なんですが。
森雅之には未だ及ばないものの、この映画のトニーさんには彼に近い色気を感じます。ぜったいにありえないけど『花様年華』の日本版作るとしたらトニーさん→森雅之、マギー→久我美子かなあ、とか思って観てました(笑)。
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