地元の市の主催である歴史セミナーに参加して、鎌倉時代の後期に千葉県下での活躍が知うられてる仏師で、仏像内部に「賢光」の名が記された作例が、現在県内に5件確認されています。その内市原市内の南部にある「長栄寺」と北総地域の印西市の2箇所を所有者・檀家の皆さんと印西市教育委員会のご協力により、特別に拝観させて頂き、又その作例の発見にご尽力された慶応義塾大学名誉教授紺野敏文先生のその作風や変遷の解説を頂き、貴重な仏像彫刻が大切に受け継がれ、今もなお信仰され続けていることを知ることが出来た一日でした。

今回訪問の寺院は何れも「天台宗」の寺院であるが、先ず地元の「長栄寺」小高い丘の上の寺院で山門の長い階段を登った処に本堂がある古刹である。

長栄寺蔵の在銘仏は「木造十一面観音立像」像高は158.8cmで制作年代は文永元年(1264年)と内部に墨書銘があり、髻(モトドリ)上に仏面を、地髪部には頭上面を等に計十一面を表し、現在市原市有形文化財指定になっている
。


北総の地である印西市にある多聞院(奈良市・興福寺の塔頭の一つ)には鎌倉時代の三尊形式の毘沙門天像が特別拝観させて頂く事ができた。


毘沙門天像は、本来は彩色されていたものと思われるが、現在は素地像で、像高は
139cmで、中尊の毘沙門天は、髻を三束に結び、宝冠台を着け、眉をつり上げ、怒りの目で、口を真一文字結んでます。
毘沙門天と吉祥天の像内の銘文に、正応2年(1289年)仏師賢光によって造像されたことが記されています。
この像全ては千葉県有形文化財指定になってます。
同じ印西市で多聞院からさほど遠くない所にある「西福寺蔵の「木造不動明王立像
及び毘沙門天立像」も拝観させて頂く事が出来た。

「木造不動明王立像」で、像高は他の仏像より低く62cmで、光背は火焔光背とし、框座付き岩座となっている。

「木造毘沙門天立像で、像高は65.5cmで光背は火炎付き輪光、台座は框付き岩座の上に邪鬼を載せる。
両仏像共に印西市有形文化財指定である。
今回のセミナーのテーマは今まで地元では余り参加してない分野でもあったので、先ず地元にこの様な素晴らしい作家と作品があり親しく作品に接し出来る事は大変恵まれた環境に居る事を実感させて頂きました。
尚本文中の仏像用語は全て市原市教育委員会が今回のセミナー用に用意して頂いたレジメより引用させて頂きました事をお断りさせて頂きます。

今回訪問の寺院は何れも「天台宗」の寺院であるが、先ず地元の「長栄寺」小高い丘の上の寺院で山門の長い階段を登った処に本堂がある古刹である。

長栄寺蔵の在銘仏は「木造十一面観音立像」像高は158.8cmで制作年代は文永元年(1264年)と内部に墨書銘があり、髻(モトドリ)上に仏面を、地髪部には頭上面を等に計十一面を表し、現在市原市有形文化財指定になっている
。


北総の地である印西市にある多聞院(奈良市・興福寺の塔頭の一つ)には鎌倉時代の三尊形式の毘沙門天像が特別拝観させて頂く事ができた。


毘沙門天像は、本来は彩色されていたものと思われるが、現在は素地像で、像高は
139cmで、中尊の毘沙門天は、髻を三束に結び、宝冠台を着け、眉をつり上げ、怒りの目で、口を真一文字結んでます。
毘沙門天と吉祥天の像内の銘文に、正応2年(1289年)仏師賢光によって造像されたことが記されています。
この像全ては千葉県有形文化財指定になってます。

同じ印西市で多聞院からさほど遠くない所にある「西福寺蔵の「木造不動明王立像
及び毘沙門天立像」も拝観させて頂く事が出来た。

「木造不動明王立像」で、像高は他の仏像より低く62cmで、光背は火焔光背とし、框座付き岩座となっている。

「木造毘沙門天立像で、像高は65.5cmで光背は火炎付き輪光、台座は框付き岩座の上に邪鬼を載せる。
両仏像共に印西市有形文化財指定である。
今回のセミナーのテーマは今まで地元では余り参加してない分野でもあったので、先ず地元にこの様な素晴らしい作家と作品があり親しく作品に接し出来る事は大変恵まれた環境に居る事を実感させて頂きました。
尚本文中の仏像用語は全て市原市教育委員会が今回のセミナー用に用意して頂いたレジメより引用させて頂きました事をお断りさせて頂きます。