暇人の戯言

40有余年の俸給生活を終えて、サンデー毎日の生活ですが、思いつきの侭の記録です!

史跡足利学校を訪ねて

2006-04-02 13:44:40 | 歴史探索
足利学校の創建に就いては様々の説があり、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説があるが、鎌倉建長寺の住職(住持)が長享元年
(1487年)に足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利は誠に風雅の一都会と詩文の中で賛美している。
又天文19年(1550年)フランシスコ・ザビエルをして日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学として世界に紹介され、学徒3000人と云われるほどになったが、江戸末期に役割を終え、明治5年に幕を下ろした。
その後「史跡足利学校跡保存整備事業」により平成2年に江戸中期の姿に蘇る。




学生は当時全国から集まり、学生の大半は僧侶で、それ以外の俗人には僧侶の学徒名がつけられ、校長(庠主)先生は当時学問のトップレベルの学問僧が任命さてれた。


足利学校に隣接する足利氏の館跡にある緵阿寺(ばんなじ)は開祖800年の歴史を持ち、国の重要文化財の本堂等があり、境内の周りは館跡らしく堀と土塁が廻っている。


ご本尊である大日如来を祀る「多宝塔」