60歳、還暦、定年を迎えてもしつこく会社に通うおっさんのブログ(旧:風に吹かれて)

60歳定年を迎えても我慢して会社に通う(働いているとは言ってない)おっさんの右往左往、沈思黙考する毎日。

2024/4/8 4月8日の日記(9日のお昼に書いてます)

2024年04月08日 23時59分59秒 | 日記

私がブログを書いているところはgoo blog で、もちろんgooのトップページから入るんだけど、いっつも思うのは、なんでgooのトップページはこんなに分かりにくくて余計な情報ばっかりあって、ちゃんとしたニュースじゃなくて煽り記事みたいなネタばかり出てくる。
読みにくくてしかたないし、またその煽り記事を読んでみるとたいしたことが書いていない。やめてほしいと思う。

朝から会社に来て、何もしない内にもう夕方、本当に仕事をしなくなった。
もちろん、それが会社というか人事として許されるわけはなく。

今日はね、もうちょっと面白い話しを書こうと思ったんだけど。

昨日はほぼ定時に勤務終了後、危険物取扱者の試験勉強のための問題集を買おうと丸善に行く。目的のものはすぐに見つかったのだが、この手の本が置いてあるエリアは理系だったり自然科学系だったり、建築関係、動植物、数学、医学、と普段の自分とは無関係な本ばかりなのだが、これが見てみるとなかなか面白い。
今日は、建築関係の本で、基礎的な内容がジャンルごとに分けられてシリーズ化(ジャンルごとにシリーズ化・・・合ってるのか?)されている本を見つける。これらの本の中に、表紙にネットミームである現場猫が使われているものがあり、興味を惹かれて見てみるとなかなか興味深い。
建築の詳しいことは知らないので、こういう本を買って読むと知識豊富になれそう。
こういう本は、まずは図書館で探し、なければリクエストを出して買ってもらうことをよくやる。
図書館にあれば、自分で買わなくてもすむし、必要なときに借りれば良いし。
もう、あんまり本を増やしたいとは思わないので、なるべく図書館で借りるようにしているのだが、たまに「これは手元に置いておきたい」「この手の本はあまり数が出ないから、初版でも買わないとなくなる」なんて本もある。
でもそういう本って、自分で言うのもなんだが、あまり「かっこいい」本じゃないんだなぁ。人に見せると(特に女性)「えー、こんな本が好きなんですか~・・・」と引かれてしまうような内容だったりする。
そういうところがだめなのかな・・・

最近、再び、資格を取ることに熱心になっていて、先月受けた(そして落ちた)危険物取扱者第三類、今月雪辱予定のその第三類とついでに第二類、来月はFP2級、その次は陸上特殊無線技士・・・と受験が続く。
続くというか続けているのは自分の勝手なのだが、しかしこれ、意味があるか?

生活にも仕事にも必要のない資格を取るために時間と金を費消して、そして資格が取れても何に使えるというわけでなし・・・
これこそまさに「足の裏に着いた米粒」・・・取らないと気持ち悪い、でも取っても食えない。
こういうことに時間を使うのなら、映画見るなり本読むなり旅行するなり、今後の人生計画を念入りに考えたり、株式投資の戦略を考えたり、というようなことに使った方がより有効なのではないか、と思う。
特に最近はまったく畑違い、興味もない危険物取扱者の勉強なんかしていると、年齢の影響か、今までのように勉強ははかどらないし、覚えるのにも苦労している。おそらく若ければ一発、あるいは2、3回で覚えられたような内容が覚えられない。それだけの時間を費やしても、得られるものはないかごくわずか。
・・・なんか、馬鹿なことをしているなぁと思う。

でも、しかたないのかも。
ほかにできることはないのだ。あるいは、長年の会社通い(働いているとは言ってない)だったが、結局、偉くもなれず、何かの専門を究めたとも言えず、そもそも一生懸命仕事したとも言えず、「この会社通いの日々が永遠に続くのだ」と思っていたら(思っていないけど)、あっ!というまに60歳を迎え、人事に呼ばれて定年になったのだ。

なんといいましょうか、まぁ、会社員人生の第一章が終了したのだ。ということは、例えば、「前の部署では不遇だったけど、今度のこの部署では頑張るぞ」とか、「一生懸命仕事して偉くなるぞ」とか、そういうことはもうないのだ。60歳までなら、どこかで取り戻す、とか、「今これをやればこの先給料が上がる」とか「この仕事を頑張れば上司に認めれて引き上げてもらえるかも」なんて計算や目論見ももてたかもしれないが、もうそういうのはないのである。

現役時代を振り返ると、結果的には頑張っていなかった。頑張ろうとしても頑張れない体質(そんなもんあるのか)だったので、今になって「なんであの時頑張れなかったのか」と思うけど、その時頑張れなかったのにはそれなりの(自己弁護だけの)理由がある。
まぁお医者様の説だと、「それがADHDというものなのだ」そうだけど。

こんなことをぐだぐだと書く時間があれば、何も考えずに1問でも多く問題を解いて勉強すればいいのだ。
今日の所はそんなことで。
と、書いたのが、4月10日午前1時38分。






コメント
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