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2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。
在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。
ここで叫んでもしょうがないですが・・・
近頃とくに、在宅介護の当事者が関わってしまう事件が多いような気がする・・・ テレビや新聞で垣間見るだけで胸が締め付けられる思い・・・ それは自分かもしれない。自分が同じことをしてもまったく不思議じゃない。という思い。
今苦しんでいる人は、ともかく、ケアマネージャーに訴えてみてほしいです。
特養などの施設でも、けっして申し込んだ順番に入所するとは限らないということは事実です。 入所者の介護度とかいろいろな要素をバランスを考えているんです。
私の親とは無関係の、ある施設の施設長さんも、
あきらめずに まずは相談してほしい。 あらゆる道はあります。
と、すべての介護者に伝えたい。
と言っていました。
ひとつ、私の経験から言えるのは、
施設には必ずケアマネージャーを通したほうがいいです。
良い施設に出会うためには、良いケアマネージャーと出会うことです。
「良い」というのは「合う」という意味です。 もし選べるチャンスがあるなら。
と言いたかったのには根拠があるからです。
後で知ったことでしたが、1年半前・・・いろいろ大変だった時、ケアマネージャーがロングショート先を探してくれたんですが、実はなかなか受け入れ先が見つからなかったんです。
原因は、過去に一度、私がみつけたショート施設に一泊だけしたものの母には合わない所だったのか「もう二度と行かない」と言われてしまってそれっきりにしてしまったことがあって、
そのことがいわゆるブラックリストみたいなものになってて断られてしまうらしいのです。
過去の実績を施設は重視しますから。 理不尽な面ですがそういうことあるらしいです。
母は結局はケアマネさんが懇意にしている特養に入れてもらえたわけですが、もしもそのように懇意にしている施設がないケアマネだったら?と考えると怖いことです。
うちのケアマネさん自身も仕事にはいろいろと葛藤があって、第一、主婦業を大切にしたいしケアマネの仕事はあくまでもパートでやっている、「だからこんなふうにたまにはお喋りできるのよぉ」なんて、母が本入所した後で話してくれました。
そう言ってもこれらのお仕事をしてくれている皆さんの大変さ、忙しさは気の毒になる程ですが、それでも私たち家族としてはその方たちに苦労させるのをわかっていて相談せざるを得ないのです。
母の在宅16年のあいだ、居宅事業所は3度変わり、もちろんあちら側の都合でです、ケアマネが変わった回数は片手では数えられないし私も確かなことは覚えてないくらいで。
でも最後の2年半ほど、本当に宝物のように素晴らしい事業所に出会えたことは幸せでした。 ケアマネさん、所長さん、ヘルパーの人たち。 ブログにも何度も書いてきましたが、心のこもったお仕事をする人たちでした。
うちの場合はこの事業所と出会ったのは偶然半分、前のケアマネと私が足で探したのが半分、という感じでしたが、
ほとんどの場合は自分で探すことが出来ないという仕組みというか現実があるのもやりきれないところです。
悲しい事件が起こらなくなる社会になりますように。
何か役に立てることがないかと考えつつ・・・。
もうすぐお盆です。 こちらは7月なので。
畑は草むしりに追われています。 むしってもすぐまた生えて大きくなるので、作物よりも草のほうが大きくなってしまってます。
なんとかお盆には畑のナスなどを供えて迎えたいんです。
今年はジャガイモが不作でした。 叔父の教えに従って芽かきをしすぎたせいじゃないかと思うんですが・・・言えず
元気で動けるだけでも良しとしなければですね
皆さまもどうかどうかお元気で過ごされますように
『東京に原発を』 25年前に広瀬隆さんが書いたこの本、見覚えある方もいらっしゃると思います。
当時も世界じゅうの人が身を震わせる事故が起き、日本でも原発への関心が高まりました。
ある都立高校ではこの本が副教材になりました。 当時高校生だった人達は覚えているでしょうか。
本の内容は、今は誰もが知ることになった原子力発電の危険性、発電すると(していなくても)“死の灰”が大量に溜まっていき、それを処理する能力を人類は持ち合わせていない。
経済活動を維持するために必要なら、原発を東京に造ればよい。 広瀬さんの理屈によれば “都市型原発”というのはじゅうぶん可能だそうです。
人口が集中しているから危険? じゃあ人口が少ない所ならいいのか?
ホントにそうですよね。
他にもいろいろ興味深い内容があります。
広瀬さんが今年3月の震災後に書いた本も読んでみましたが、ほとんど同じことが書いてあるのです。
25年前の本のほうが、(語弊はありますが) 面白いです。 当時だから書けた、ということも多々あるんじゃないかと思います。
今となっては原発を造る問題は過去のことになるのでしょうが、
放射能との戦いは、事故が起こる前から始まっていて終わることはないのです。
体の中へ取り込まれた放射性物質は、甲状腺に、あるいは骨に、蓄積されて何十年ものあいだ体の中で放射能を放ち続けるものもあるそうです。
もしも数年後に放射能の影響独特の病気になる子供が増えたとしても、私たちはそれを放射能のせいだと立証する術がないのです。
特に低線量被爆には、過去の調査もないし根拠になる数値がないのです。
まさに日本人はパンドラの箱を開けてしまった ということになるのでしょう。
福島の事故がレベル7だというのは、チェルノブイリと同レベルの量の放射性物質を撒き散らした ということなのです。 しかし事故の性質が違うから影響の出方が違うのでしょう。
それほどの事故を、私たちは起こしてしまったのです。
除染しても、安心して住むことはできない、 若い世代の人、子供たちを思うと本当に胸が痛みます。
影響の少ない地域へ避難したくても、いろんな事情で避難できない人が沢山いることを思うと、どうしたらいいのか、 私などが何を言えるでしょう。
せめて、日本じゅうの人がいつも支援していることを忘れないでいてほしい・・ そして、政府の発表やマスコミに出る報道がすべてだと思わないで。
あれから半年、これからも記憶が褪せることはないでしょう。
私自身も東京であの日以降経験したこと、恐ろしい揺れ、停電のパニックと暗い町、価値観さえ覆され、・・ きっと皆さんそうですよね。
そのうえで、原発に NO! とはっきり言えないでいました。
なぜなら、私達が使う電気のために造られた発電所のおかげで振り回され、人生台なしにされながらも今なお事故収束のために身を削って取り組んでいる人にとってみれば、『何をいまさら』 ということになる と聞いたからです。
しかしそれでも、茨城県東海村の村長さんは脱原発を宣言したそうです。
東海村と言えば、日本の原子力発祥の地、発電所だけでなくあらゆる原子力施設が集まる場所、原子力によって生活を支えられている住民が沢山いるのです。
村長さんの話を聞いて (ユーチューブは削除されていたので貼りませんでした。もし興味ある方は検索してみてください)、 私も NOと言っていいのかな という気がしました。
節電しない奴が何言ってるんだ って言われそうですね
でもコマメに電気消したり節電してますよ。 未来を生きる人たちのために残す世界を考えなければね。。
本当はもっと休んじゃおうかと思ってたんですが、
どうしてもここに書いて聞いてほしいと思うことがあって・・・
休みも必要だけど、 私はやっぱりここで書いて、 読んでくださる皆様に聞いてもらっていないとどうにも煮詰まってしまうみたいです
ワタシが悪ゥゴザイマシタぁ~~ またよろしくお願いします
またぼちぼちとマイペースで続けていくつもりですので、
どうぞ皆様も読み逃げ大歓迎ですし これからも気楽に読んでいただけたらうれしいです
少し気分を変えて タイトルを変えてみました。
どんなかたちであれ
介護を受けている人も
介護をしている人も
家族や友人が介護をしたりされたりしている人も
幸せを感じる瞬間が増えていきますように
という願いを込めて・・・ ありきたりですが。
私自身は、幸せでないと感じるときもありますが、 幸せだと感じることもあります。
皆様や皆様のご家族が 幸せを感じる瞬間が増えていきますように
そして私も
もっと幸せになりたい
と思って・・・
『介護de しあわせになる日記』 を、どうぞよろしくお願いします。
ところで、 ただいま我が家にとってはショックな出来事が進行中です。
ケアマネさんが・・・ 辞めてしまわれるのです。
ブログでも何度も取り上げさせていただいた、行動力のある若いイノウエさん(仮名)です。 優しくて、母にもとても親切にしてくれたイノウエさん・・・
母がデイに行くと野球の話をして気分を盛り上げてくれたイノウエさん・・・
イノウエさんが辞めると母が知った日も、 野球の話をしながら一緒に帰りの送迎を待って、送迎車が見えなくなるまで 【バイバイ】 してくれていたそうです。
理由ははっきりとおしえてくれませんが、 とにかく今 問題なのは、 イノウエさんが辞めるのを境に、 母のケアプランの事業所を変えたい、 とイノウエさんが言って来たのです。
イノウエさんは母が行っているデイにある事業所のケアマネさんなので、 こちらとしてはなにかと都合がいいのですが、 介護保険のシステム上の問題とか、 いろいろ難しいことを説明しようとしてくれましたが、 どうしても事業者側の都合としか思えなくて・・・ しかも今度は、隣の市の事業所に変えてほしいと言うんです。
うちからの距離としては隣の市のほうが近いこともあるんですが、 今の事業所と系列は同じだけれど経営母体が違うんだそうです。
うーん よくわからない・・・ 今すぐでなくても今後は母に、隣の市のデイに行って欲しいということか??
母としては、いくら近くても、慣れたデイから違うデイには行きたくないはずですが・・・
今日いろいろ話し合って、私は
【 とにかく、 それが母にとって いいことなんですか? それを中心に考えていただきたいんです 】
と言うのが精一杯でした。
一緒に今日 家に来てくれた、イノウエさんが後任にしたいケアマネさんは、
「ほらぁ、だめよ。 ご家族様は納得されていないのよ。」 とイノウエさんをたしなめ、 イノウエさんはとても苦しい表情でした・・・
ちょっと今 このことで揉めてます。
また事態の変化があったらここでご報告します。
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今月始めに、主婦の友社の介護情報雑誌 「ほっとくる」 から、このブログに取材依頼のメールをいただいて、 先週、編集の人と会って1時間半ほどお喋りしました。
(今回 私に依頼をいただいたわけは、取材対象の地域などが限定されていたからだそうです。)
たくさんお喋りした割には、記事はすごくすご~く小さくて、
最初に介護保険を申請した時の体験談がチョットだけなんです。
ボツになる可能性もあると思うし、ここに書くのはやめようと思っていたのですが、そのとき貰った見本誌を読んでみたら、いろいろと思うことがあったのでやっぱり書いてしまいました。
介護の雑誌があるのは知っていましたが、見るのは初めてでした。
1冊だけ読んで語るのは間違ってますが、 感想としては
とってもためになるじゃん!もっと早く買って読めば良かった! です。 自宅で介護している人だけを対象にしている雑誌は、「ほっとくる」だけなのだそうです。
もちろん、私から見ると “キレイゴト”しか書いてないです。
私が知っている限りの皆さんのブログを訪問するほうがずっと勉強になるし、面白いし、感動します。
だから、技術的なことや介護保険の詳細などについて補完する参考書的な役割でいいかな。と思いました。
そんなことを相手にもチラッと言ってみたんですが、やはりどうしても諸事情で、私たちがブログで書いてるようなリアルなことは書けないみたいです。
それに、 雑誌というのは(メディアはすべてそうですが) 正しい情報を伝える役割と同時に、 売れるものを作らなければならないのでしょうね。
話せば話すほど、 本を作っている立場の人は、 介護者の現実の生活実態を把握してはいないんだということがよくわかりました。
だからこそ、現実の私たちが積極的に情報を伝えていかなければならないと思いました。
そう考えると、【ブログ】の果たしている役割は大きいですよね!
(こんなこと書いて大丈夫かって? 大丈夫です。 編集の人はブログを読んでいるわけではないということは、話してよくわかりました。)
お忙しいんでしょうね。 最近もある介護のお仲間さんが、介護雑誌に問い合わせをしたところ、なしのつぶてで対応してもらえなかったと聞きました。
それが一番不思議なんですよね。 そこまで忙しいはずはないんです。
変な言い方ですが、読んでみればわかってしまうんです。 昔のことですが 私はある専門誌の編集部で雑用のアルバイトを何年かしていたので、雑誌を作るところがわかるんです。
本来、雑誌だったら【読者】 というのが一番大事にされるべきですが、実際はそうでもないんですよね。 雑誌作りには、読者よりも大事な人たちが、いるんです。
介護の雑誌はまだまだ発展途上ということなのでしょうね。
情報の充実のためには、私も協力を惜しみません。 だって、ネット環境がなくて介護している人のほうが多いかもしれませんし。
これからも、 リアルな在宅介護の現実を書いていきましょう。
来年も頑張りましょうね
・・・実は今も、母のリアルな排泄関連のモンダイで頭を抱えているんです。
皆さんのお知恵を借りたいところなんです。 それはこの次に・・・
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