山号:高龍山
院号:福寿院
宗派:真言宗智山派 龍福院(浅草)末寺
本尊:不動明王
創立:寛永7年(1630)
開祖:尊栄
明治期には本堂と庫裏があったそうですが、現存する建物は不動堂と大師堂のみです。
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小文間西方にある道路より一段高い境内に通じる石段。
階段右側には「四国五拾四番」と彫られた札所塔があります。
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参道から見た境内の全景。
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参道右側の手水舎、手水鉢(宝暦3年、1753)と土砂加持記念碑(明治35年、1902)。
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不動明王像(昭和2年、1927)が手水舎の柱に寄り掛っていました。
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参道左側に並ぶ石塔。左から石門石坂改築記念碑(大正15年、1926)、灯籠、大護摩修行記念碑(明治40年、1907)、蚕霊供養塔(明治34年、1901)、蚕影山神社(明治3年、1900)
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不動堂の全景。寄棟造り三間堂形式の建築で棟札の記録よると、建立は宝暦4年(1754)で文久3年(1863)と昭和58年(1983)に改修が行われています。
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不動堂の向拝正面
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不動堂の内部、外陣の上部空間。天井から鐘が吊られ、欄間には彫刻や絵馬などが飾られています。
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内陣の須弥壇に祀られている不動明王像。伝慈覚大師一刀三礼の作といわれ、「麻疹不動」として崇敬を集め遠方からの参詣者も多かったと伝えられています。
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不動堂正面の石段左側には制多迦(せいたか)童子像があります。
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不動堂正面の石段右側の石仏。損傷が激しいですが、こちらは矜羯羅(こんがら)童子像(明和7年、1770)と思われます。
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その隣に日本神社仏閣参拝塔(大正14年、1925)があります。
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さらにその右側に弁財天の石祠(享保9年、1724)
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不動堂の正面左側には新四国相馬霊場第54番札所の大師堂があります。
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ご詠歌
くもりなき鏡の縁とながむれぱ 残さず影を写すものかな
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大師堂の後ろ側にも石祠がありました。
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豊川稲荷の石祠(明治34年、1901)
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天満宮の石祠(天明8年、1788)
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