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けせんぬまさいがいエフエム77.5MHz

気仙沼の日々の出来事や放送予定などをお伝えします。

まちかど散歩13

2013-12-01 15:23:16 | まち歩き


去る11月4日

横田は大島に渡りました。


「大島公民館まつり」の取材です。

実は震災後初めての大島。

良い日和の、船の時間は以前とちっとも変らない・・・。

神様からの時間と景色のプレゼントのようです。

春の海ならぬ、秋の海も「ひねもすのたりのたりかな」の心地


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けれど・・・、

フェリーが大島に近づくと

浦の浜の変わりように、

はっとして、一瞬胸がキュっとなりました。

涙が出そうです・・・。


毎日毎日、変わり果てた南地区を目にしているのに、

大島の

お土産やさんが立ち並んだ町並みのことは、

以前の記憶のままだったなんて、

自分のぼやけた感覚をなさけないと思いつつ

大島の方達の震災の苦労を改めて思いました。




それでも、気を取り直して歩け歩け

この日は心強い案内人が・・・!

以前電話中継でお世話になった菊田榮四郎先生です。



公民館まつりで行われた午後からの発表に間に合い、

中学生が高らかに読み上げる「大島宣言」を聞きました。

(我がFMでもお世話になっている気中+20の小田さんが

全文を記載していますのでご紹介です)


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数日前に行われた文化祭で、

大島の未来にまちづくりについて発表があったそうですが、

本気の中学生の姿が目に眩しく見えました。

「大島みらいデザインスクール」を通して

中学生とかかわってきた関西学院・神戸大学のみなさんは、

地元の中学生たちが活発に意見し合しあい、

時には、ぶつかり合いに発展する姿、素晴らしいと語ってくれました。



私が中学生だったころは、

都会への憧れだけが強くて、

気仙沼の良さを改めて考えたことなど・・・、なかったような気がします。

考えれば、

どこにいても、情報は同じ速度で得られる時代

物事の価値観も多様化してるし、

本物の良さを考えた場合でも、地方の町は魅力的です。

自分たちの町を誇りに思い、

もっと良くして行こうという試みに拍手でした~


そうそう、

小学生だって、元気いっぱい


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それぞれの家族に見守られて、張り切って演技しています



みちびき地蔵は新しく奉納されて、島のみんなに大切に守られていました。

お花が途絶えないそうです。

現在、大島中学校で美術の講師をしている小野寺佑紀さんが製作。

これまでづっと受け継がれてきた大島の文化や生業、暮らしのいろいろを

きちんと記録して残していこうと活動しているそうです。


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突然の雨で雲が広がった小田の浜・・・。

亀山から眺めました・・・。

私達のふる里は、なんて美しいんだろう

つくづく・・・・、つくづく・・・・。



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震災の時には、

潮に浸かってしまったというゆず畑も訪れました。

小学校の生徒達も手入れに訪れるという柚子畑



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早あるきの大島散歩

震災後、大島には「大島みらいチーム」の支援が継続して行われています。

町の方たちと、防潮堤についても真剣に議論を交わし、

原寸大のモデルを作ったり、模型を制作したりと本気で向き合っての支援です。

いよいよ、住民の意見交換会も始まりましたね。

そして、

大島架橋へのアクセス道の話し合いも始まっています。

架橋への情熱をもってこれまで努力なさった方たちを思いました。

緑の真珠とよばれる大島の未来を

あと、数年で車で訪れるであろう大島のことを描きながら後にしました。

榮四郎先生、

道先案内人ありがとうございました。

また、歩きに参りますね~




散歩人           横田 真美子


まちかど散歩12

2013-10-25 16:08:21 | まち歩き

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写真はミゾソバ


夏の終わりから秋の中頃まで、田んぼの畦や湿地に見られます。


茎に細かなトゲトゲ。

それでも、淡いピンクの小花が可愛くて、

震災前は片浜・前浜の水路や田んぼ脇に摘みに出掛けたものでした。


現在、片浜・前浜地区は

残った水産加工業者がすでに稼働。

クリエみうらさんがあった広い土地の周りは

何軒か新しい建物も建っていますね。


(仮)気仙沼湾横断橋や三陸道、新しい曙橋との兼ね合い、

(都)朝日町赤岩港線・拡充の計画もあり

未だ荒涼とした景色の片浜・前浜です。




震災前のこと、



夕暮れて、松岩方面からあけぼの橋を渡る時、

JR大船渡線が、鉄橋を通過する時の景色は

まるで、「宮沢謙治の世界」

空飛ぶ汽車のようだと勝手に喜んでいた私です・・・。


唐桑方面から山の端を満月がのぼる・・・、

そんなグットタイミングはめったになく、

お月さまと空飛ぶ汽車のシルエットはご褒美のようでした。




その曙橋、


確か、15・6年前に掛け替えられました。


掛け替えと同時に鉄橋下に広い車道を通し、

朝日町、川口町、潮見町から、曙橋へのアクセスが格段に便利になりました。


それまでは、

車1台やっとの土手の細道を登り、踏切を通過して曙橋を渡りました。



大型車は

中央公民館の前の交差点を折り返すか、大橋を渡るかの選択でしたね。


この曙橋周辺のこと、


あの細道の踏切の、すれ違いの苦労は、鮮明な記憶として残っているのですが、

以前の景色はすっかり忘れてしまっています。

よく思い出せない私です・・・。




なので、


震災後のこの町の景色・・・・。


日々目まぐるしく変わっていく町の昔は、

もう私の記憶には留まっていかないかもしれない・・・、

必ず忘れてしまうと思っています。




自然への畏敬の念は、心に深い所にありますが、

それを伝える術をかたちにしなくては考えています。




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鹿折の町に打ち上げられた恭徳丸・・・、解体が終わりました。


震災遺構としての検討がなされていましたが、

民意を尊重しての解体でした。

実存するものがないと、記憶が薄れると話してきた横田ですが、



それでも、


記憶を繋ぐ方法は他にもあるはず・・・。


それは、「絵(映像や写真)」と「言葉」



私自身、

母親たちが話す、幼いころの思い出話を、幾度となく聞いた事で

自分のものとしてることがあります。



後世に伝えるべきは、


多くの町の人を呑みこんだ恐ろしい津波が2011・3・11にやって来た事。

これからもいつかは町を襲う津波が起こる事。

その時は何をおいても高い所に逃ること。

そのことを、

子や孫に・・・、訪れるお客さんに、

写真と共に語ること、語っていくことだと思います。




そして、



もうひとつは、行動すること。

小さなもくろみがあります。




「気仙沼市民の花壇を作りたい」

亡くなった方たちの尊い魂を慰め、

手入れに集う方たちのコミュニティーを図り、

観光に訪れる方たちには憩いの場となるような花公園



専門家の知恵を借りながら、

学校・自治体・様々な団体・もちろん個人でも

日々、手入れの人達が集う花壇のコンセプトは

「市民1人1人が伝える、震災支援への感謝と鎮魂の気持ち」



気仙沼の市民手作りの花壇はなんとも素晴らしく、

一生に1回は見る価値あるねと言われるような・・・

多くの観光客が、

この公園の散策を目的の一つにして観光に訪れるような

市民で作る花壇が出来ないでしょうか・・・。




傍に記憶館があり、語りべと写真の展示・・・。


Photo




もうすぐ震災から3回目の春・・・。

全市民で動いていけないかと思う私なのです。



今日は、なんだか熱い散歩人   横田真美子  





まちかど散歩11

2013-09-17 16:06:35 | まち歩き

去る9月1日、


リアスアーク美術館 

圏域ギャラリーで行われていた

「水際に生きるヴェネツィアの町並み」展が閉幕しました。



7月13日から9月1までの約2ヶ月半の開催でした。


荻須 高徳(おぎす たかのり)氏の作品28点が展示され、

ヴェネツィアの文化と暮らしを資料で紹介した展示会


期間中850人程の入場者が訪れたそうです。


荻須氏はパリを描いた画家として評価が高いそうですが、

ヴェネツィアの町並みを描いた作品も多いそうです。

「パリの空は暗く、イタリ-の空は明るい」と話し、

その作風の印象は大きく異なるとか・・・。



今回、

私が目にした荻須氏のヴェネツィア・・・、

絵の中に人の姿が見られません・・・。

水辺に立つ建物は、何処となく傾きかけています。

窓枠もゆがんで見えます。


けれど、


壁に塗られた明るい色彩は、

どこか控えめで、眺めていると気持ちが安らいできます。

大きなタペストリーも同じ

この街を愛する人々がそれぞれの部屋に住み、

ゴンドラを操り・・・、


水際に住むことを当然として

土地を愛し、土地に馴染んで生きていたことを感じました。



けれど、作品に酔っているばかりではいけないですね。



今回の企画展は、

学びの展示会なのですから



ヴェネツィアは干潟の上に造られた街、

沼地に形成された街なのです。

多民族の脅威を逃れようとした古代ローマ人の知恵だったそうです。

干潟に暮らす人々は、

地中深く杭を打ち込み、石を重ねて陸を形成してきたのだそうです。

なので、アックア・アルタ(高潮)による冠水は

避ける事が出来ない・・・。

冠水した街で、普段と変わらぬ生活をする

ヴェネツィアの人々は、

高潮ありきで暮らしてきたのですね・・・。




私達はどうだろう・・・?



同じ水際に住む者として、

確かに同じ様な覚悟で暮らしてきたような気がします。



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高潮だぞ~といっては、

「気つけろよ~(きをつけて~)」と声掛けし、

低気圧が近づいているとニュースを聞けば、

「港 さ 寄せろ」と船を上げ、

南町や魚市場前、本浜町や新浜町では、

「やれやれ、まだ潮あがったや・・・!」と

渋い顔でやり過ごし・・・、

私の住んだ潮見町では、

側溝にフナ虫が歩くのを当たり前と思って暮らしました。


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商港岸壁の立ち草にからむヘクソカズラ

リースに仕立てて楽しんだこと・・・。



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朝日町の児童公園でちょこっとだけ花泥棒・・・。

霜が降りてしまうとすっかり立枯れてしまうので、

色が残っているうちのお楽しみでした。


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秋にはカラ松草が胡桃の木に絡まって・・・。

胡桃は川に運ばれて、

河口のどこそこで大木に・・・




そう、

震災前までは、

すぐ傍に海風を感じながら、

大地に根付く自然を楽しんだものでした。

この海が、

あんなに膨らむものだとは考えたことがありませんでした。




でも・・・、


震災を経験した今は、

水際に住むことが怖いとさえ思っている私・・・。

それでも、それでも、

身に沁みついた水際での暮らしや営み、生業・・・。

私達はこれからもここで生きていくつもりに変わりない



これからの気仙沼の町づくり

同じ水際に住む者として、

ベネチィアの町づくりに学ぶことが、きっとあるはず

それは、

私達を取り巻く自然に

畏敬の気持ちをいだくこと、

共生すること・・・。




期間中訪れた方850人は、

気仙沼の写真展同じ期間に訪れた1500人のおおよそ半分・・・。

もっと、沢山の方に観てもらえたら良かった・・・。

そんな思いでリアスアーク美術館を後にしました



                      散歩人 横田真美子


まちかど散歩10

2013-08-19 16:29:49 | まち歩き

8月10日・11日の気仙沼みなとまつりは、

田中前大通り港町臨港道路を会場に、

熱いハートと温かいハートがさく裂して、

思いのこもったイベントになりましたね~


写真は、

最終日、

太鼓打ちばやし大競演が行われた臨港道路です。



お祭りの翌日、

名残りを感じることが出来たらと

通ってみましたが、

夢の跡はきれいさっぱり

夜遅くまで片付けに追われていましたものね。

早朝だったので、まだ車の往来もなくて、ひっそり


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サンマ船が出港を待って、

停泊していましたが、


17日には、

椿会のみなさん

太鼓打ちばやしや大漁唄い込みの競演

多くのみなさんのお見送りで

賑やかに出船しました。


陸地(おか)に残る家族の方々・・・、

大漁を願って振っていた手・・・、


最後には

航海の安全を祈って、掌を合わせて口元に・・・。

そんな、光景が気仙沼に戻ってきたんですね・・・・



港の景色・・・、

懐かしい海の道・・・、

気仙沼の顔だったのだと

あらためて感じています。



散歩人               横田 真美子




まちかど散歩9

2013-07-11 15:15:12 | まち歩き

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私が育った気仙沼南地区、

南駅は学生さんや仙台方面に向かう方達にとって

なくてはならない駅でした。

そして、

駅前にあった、クリスタルビル

気仙沼で初めて、エレベーターのある飲食ビルができたのは、

確か、昭和60年ごろだったでしょうか・・・。

今のように「町おこし」という言葉も聞かれず、

気仙沼に住む若い人たちは、

都会へのあこがれがとても強かったように思います。

そんな折の

おしゃれなビルの出現は、

当時の若者にとって嬉しいことでした。

そんな意味で、

壊されるのは本当に淋しかったです。

ほうとうに・・・・。

6月末には更地になり、今は嵩上げの為に盛り土されています。


振り返ると、

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亀山を背に

新しい水産業社の建設が始まっています。

気仙沼の未来のために変わっていく町並みを、

しっかり見つめていきたいと思いつつ、

懐かしい景色も忘れないでいたい・・・。


今日もセンチな散歩人 横田真美子