稲毛聖書教会

教会の週報や牧師の折々の所感を載せます

週報

2018年04月01日 | 週報
 二〇一八年四月一日   NO・四五―一       聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第      復活祭(日)ヨハネ黙示録 十四章 (月) 〃 十五章
           司会 高 澤兄(火)  〃     十六章(水)  〃 十七章
           奏楽 内 間姉(木)  〃    十八章(金)  〃  十九章
招詞祈祷  ルカ二四章一~九節     (土)  〃     二十章
頌  栄  聖 歌三八四番             (お 知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌一四六番        ◎五日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                 ◎本日はお花見愛餐会です。
交 読 文  詩 編 三九編        ◎本日は聖餐の恵みに与りました。      
讃  美  讃美歌一四八番          イースターおめでとう 
献  金  感謝の祈り      堅田姉    
讃  美  聖 歌一七〇番         イエスは、
説  教  ローマ四章二五節       わたしたちの罪のために死に渡され、
聖 餐 式                 わたしたが義とされるために
讃美祈祷  聖 歌六六四番    坂本兄 復活させられたのです。
頌栄祝祷  聖 歌三八三番                 ローマ四章二五節
   
   復活の意義
 四つの福音書が伝えるキリストの復活は、それぞれ独自の内容が多い。共通しているのは、週の初めの日(日曜日)に女性たちが墓に行ったことと「空の墓」を見たこと、そして天使が主イエスの復活を女性たちに告げたことである。十字架を最後まで見届けたのは女性であり、「空の墓」という形でキリストの復活を知らされたのも女性であった。そして何よりも共通しているのは、復活の知らせを聞いた人々が喜びよりも、驚きと恐れに襲われた様子である。それほど彼らにとっても復活は、驚天動地の出来事であったことが、生き生きと描かれている。

 違いは、復活の主イエスとの再会は、マタイとマルコでは、ガリラヤであり、ルカとヨハネはエルサレムである。マタイの特ダネは、番兵の報告。マルコは、女性たちが誰にも伝えなかった、で結んでいる。ルカは、エマオの出来事。ヨハネはトマスの出来事とペトロへの再召命である。そしてマタイ・ルカ・ヨハネに共通しているのは、復活してキリストを宣教するという使命の付与である。

 さて、今日の箇所のローマ4章25節「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」は、復活の意義の説明である。先ずここで示されているのは、十字架と復活は別々の事柄ではなくセットであることである。もし十字架だけであるなら、主イエスは愛の人として人々のために死んだという美談で終わる。十字架なしに復活はなく、復活なしに十字架は意味をなさない。「十字架と復活は統一の出来事である」(ケーゼマン)。ただ十字架は私たちの罪のためであり、復活は私たちが義とされるため、すなわち義とされる保証・勝利である。十字架は歴史的に起こった代替不可能の一回限りの出来事であるが、復活は、十字架の御業を信じる者を義とするという点で時代を超えて、人々に示される。キリストの十字架と復活に私たちのすべての救いがある。それを信じる者は、聖霊を通して今も生ける主を知る。そしてキリストの救いに与り、生かされた者として、福音を証しする務めが与えられているのである。罪と死に対する勝利のすべてがここにある!
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