クオリティー・オブ・ライフ QOL

医院・クリニック開業コンサルタント 佐藤 徹

山の愉しみ 2

2012-06-04 17:34:40 | ブログ

  季節はまたたく間に移ろい、時の流れと共にまたひとつ年齢を重ねていく。何となく時間だけが、自分の後ろを足早に通りすぎていくように感じられる昨今である。

  

 先月久し振りに、九重黒岳の春の草花を愛でたくなってしまい、いそいそと愛車を駆って登山口まで足をのばしてみた。目的は、黒岳五合目辺りから上部に群生しているシャクナゲである。五月末、この季節の原生林の山中では、様々な植物たちが一斉に競いあって淡い色彩を彩らせてくれています。とても華やかなシャクナゲの群落も愛しいのですが、誰にも殆ど気付かれずにひっそりと咲くイワカガミやマイズルソウ、山シャクヤクなど、自然に根づいたラン科の植物達の共演も密かな楽しみなのです。必ず植物図鑑を懐中して写真と同上するのですが、自然の中で図鑑を開き、本物の花と出くわした時の感動は、言い尽くせない想いが込み上げます。

 

 6月の中旬からは、ミヤマキリシマが咲き始めます。下から山頂を眺めPhoto_22ていると『山火事だー!(笑)』と言う位、山はミヤマキリシマで赤く染まるのです。この時期は、ミヤマキリシマを一目見ようと、九重平治岳と大船山には登山者が一斉に大挙し、登山口には行列ができてしまいます。そんな賑やかすぎる山はあまり好きではないので、少し早めの登山です。

 そんな山に登り始めてもう20数年が経とうとしています。人生と言う登山は、まだ途上です。果てしなき人生行路もまた起伏があり、実際の山のようにアップダウンと、変化の連続です。

20代30代の頃のような、激しい山岳は無理な年齢となりましたが、あの時にはなかった、年齢なりの味わいの深い山に向かい、軽登山靴を履き、また歩き始めた近頃です。

 


山を人生になぞらえて

2009-09-04 16:29:46 | ブログ

足元ばかりを見つめながら歩いていると、瞬く間に季節は移ろい、いつのまにか気がつくと、すぐそこまで秋の気配が漂い始めている。

4月に事務所を開設し、このブログもほぼ同じ時期にホームページにアップしたのだが、日常の業務に追われ、ブログの更新もできない程、忙しかった(・・・というか、本当は驚くほど環境が目まぐるしく移り変わり、日記を書く精神的余裕が無かったと言うのが、本音なのだ・・、)

サラリーマンとして勤務していた頃は、それなりに業務が組織的に構成され分轄されており、ぼくは自分の仕事だけに集中して取り組めば良く、バックヤード的な仕事には一切なりふり構わずにいた。

ところが、いざ自分で会社を興してみると、当時アウトソーシングではあるが、朝、会社に着くと、当たり前のように床が綺麗に磨かれ、ゴミ箱の中は毎日嘘のように綺麗に片付いている。今になって、あの当時のお掃除のおばちゃんの有り難さが身に染みてわかるし、当たり前のように朝デスクの上にあった、女子社員が淹れてくれたお茶の旨さも『有り難かったなー』と、近頃心に染み入る毎日なのである。

帳票ひとつとっても経理スタッフを全幅に信頼できていたので、請求書や領収書や契約文書の文面など改めて読むことなど無かった。

 そこにきて今、会社を維持していく上で、色んな伝票や必要な事務作業も全て自分でこなして行かなければならない。

Blog200807_2 ご存知の方もおられると思うのだが、ぼくの趣味は登山である。しかも20数年間、高山・低山にかかわらず、色んな冬山を中心に登攀してきた。

若かりし頃読んだ、『新田次郎』や『井上靖』の山岳小説にかぶれてしまい、ザックにテントを忍ばせ、一人山岳を人生になぞらえて、厳冬の雪山に通ったものだ。

冬山の山中を単独で歩くという行為とは、ある意味大げさに言うと、生命に関わるリスクを全て自己責任で山に持ち込み、自己責任で持ち帰らなければいけないと言う、とてもストイックな行為でもある。

自身を守るためには、己自身が全ての判断を下すパーティーのリーダーであり、地図を読む隊員であり、食料班でもあり、衛生班までも独りで判断しなければならない。

過去に危険な目にあったことが無いかといえば嘘になるが、少なくとも現在までに未だ五体満足で、今でもこうして好きな山に登っていられるのだから、とても幸せである。

 翻ってこの半年間、仕事の上において、まだ遭難の憂きめにあってはいないが、容赦ない大自然との対峙のように、現実社会にあっては慎重には慎重を怠らず、地道にひとつひとつの仕事を用意周到に、装備をチェックしながら丁寧にこなし、信頼を積み重ねていかなければならないと、思っている昨今なのである。


開業と孤独

2009-03-30 07:44:12 | ブログ

今年の冬は、自身の記憶によると、九州の平地ではほとんど雪が降らなかったように思う。Sakura_2 年初の1月末に4駆を駆って、九州中部山岳の深山に足跡を残したが、例年になく降雪はかなり薄い印象を受けた。

その代わりに平野部での雨の多さを、会社を起業したばかりに『今後俺の人生はどのように展開していくのだろう』などと、連日冬の雨を不安と辟易の視線で眺めていた。

敢えて長年勤めた職場に別れを告げるのに秋を選んだのは、生まれ変わるつもりで開業準備にあてて冬を乗り越え、『春の訪れと共に一気呵成だ!』と、自身に言い聞かせるための意味も込めた計画だったのである。

別れを告げた理由はもうひとつある。長年先生方の開業のお手伝いをさせて頂いて、サラリーマンには味わえないこの『開業時の孤独』と言う命題を兼ねてから自身で体験し、自分の人生になぞらえて意味をもたらせたかったということだ。

とても乱暴な発想と一蹴し笑われるかもしれないが、数年前から心の中に深く刻み秘めていたことなのである。

ある開業支援を手伝わせて頂いた過去のドクターの言葉が耳朶から離れない。

『佐藤さん、僕は地域医療の為に頑張ってみる。もし僕のクリニックに患者様が来てくれなかったら、○○誌の医師の求人募集にでも問い合わせて、この位の借金は責任もって僕が返しますよ』・・・別れた後、私は溢れる感動の涙で瞳が濡れてしまった。『絶対にそんなことをさせてなるものか!』

そのドクターが今では当然ながら、その地域でなくてはならない大切な存在になり、順調な経営をしていることは言うまでもない。

今、自身が立場は違うが大いなる夢を抱き起業した。それはとても単純で無垢な発想であるが、創業理念に掲げた想いをそのまま貫き、今後も経験を活かし精一杯精進したいと思う。新しい事務所への引っ越しも無事万端に終了し、先ずは「医院開業個別相談会」の開催である。奮って御参加をお待ちしています。

アランの言葉『幸福論』

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」

いよいよ春欄満。桜の花が例年よりも早く蕾を開花し始めた。

本格的な春の到来である。同時にそれは私の新たなスタートの合図でもあるのだ。


はじめに

2009-02-01 08:19:00 | ブログ

米国を震源地とするサブプライムローン問題から端緒を発し、その連鎖に象徴される世界的な景気後退と世界同時不況の波。国内企業の業績不振に伴う雇用情勢の悪化。

輸出の大幅な縮減から始った生産の縮小。雇用の削減による個人消費の冷え込みを経て、輸出の縮小。どこかでこのネガティブな連鎖のチェーンを断ち切らなければ、この問題は最悪のシナリオを描かざるを得ない状況を現在の社会は内在している。

時を同じくして、インフルエンザの国内での猛威。(誰が洗礼を受けてもおかしくないと言う点で、両者は似ているとは言えないだろうか)

どこかが風邪を引くとたちまち、今やほぼ一瞬にして世界中に負の連鎖は、人間社会に猛威を振るうのだと言うことが、身に染みて感じられる昨今でもある。

しかしながら、そういう否定的なことばかりを言っていても仕方がないのだ。人間は生きていかなければならない。陰性の連鎖があれば、きっとポジティブ(陽性)の連鎖も創造していけるのが、また人間だと思うからである。

09.1.20米国大統領選で、第44代オバマ新大統領が歴史的な黒人初の勝利を収めた。同い年である彼曰く、「一つの声が一つの部屋を変える。そうすると町が変わり、州が変わり、国が変わり、世界が変わり得る」感動して思わず鳥肌が立ってしまった。

決して楽観論を振りかざすつもりはない。現実は受け止めなければならないと思うからだ。Photo_4

さて今回起業し、自社のこのホームページを立ち上げ、業務を通して微力ながら、いかに私自身が社会に貢献していけるのかを、深く思慮し問い続けたいと思う。全く「開業」とは、孤独との闘いの始まりでもある。この気持ちを生涯忘れずに襟を正して参りたい。

そんな中、世界遺産のある沖縄・今帰仁村で一足早い『カンヒガンザクラ』が満開を迎えたというニュースが眼に入ってきた。春はもうすぐそこまで来ているようだ。

出来れば、時に喜怒哀楽を交え、自然とのふれあいの話題や、人間同士の豊かで楽しい語らいなども織り交えながら、ブログを塗り替えて行きたいと思っている。