クオリティー・オブ・ライフ QOL

医院・クリニック開業コンサルタント 佐藤 徹

感 謝

2012-08-24 13:49:53 | インポート

某住宅メーカーに就職して間もない頃、「石の上にも3年だぞ!」と叔父に言われて、その後約25年間、色々なことがあったが、転職することもなく頑張ることができた。今となってみれば、本当に有難いアドバイスであったと、叔父に感謝である。その叔父も早くに他界してしまったが、「人生の目的とは何か」を考えさせられた25年間であった。

医療とは無縁の職場に就職したのだが、仕事をしていく中で、勤務医の方々との縁に学び、「地域医療に貢献されるドクターのサポートがしたい」との思いから、医業経営のノウハウを学ばせていただいた。  今も、地域医療に貢献して頂いている、数多くの先生方のクリニックの開業をお手伝いさせていただけたことは、私にとりまして生涯の財産です。

私が子供の頃に亡くした母に次ぎ、昨年父までも、とうとう他界してしまった。

私がまだ若い頃、父とは良く酒を酌み交わしながら、「生と死論」なるものを酒の肴にしてしまい(親父だから許されたのだ)勢いで父と語らっていくうちに、よく「生老病死」についての議論にまで発展したものです。

Fa067_4 私が、『俺にとって人の死とは、永遠に自身の滅であり、忌み嫌うものである』と告げると、一方父は、『今や宇宙の星が超新星となって生まれ変わることが、科学的に検証できるような時代だ。人間も生命を謳歌し、やがて新しい星が生まれるように、長遠な時空を経て、新しい生命として生まれ変われるのではないか。お前も今の人生を充実させ、生きているうちに他者を思いやる生き方をするんだぞ!』と。 そしていつも必ず最後に『俺の死に様生き様をしっかりとみておけよ!』と付け加えるのであった。理解できたようで出来ないような・・・、父とのこんな議論はいつも深夜まで続いたのである。厳しい父であったが、こんな話に夜中まで付き合ってくれる親父が大好きであったのだ。

いま私は、沢山の仲間達に支えられて生きていることを実感し、感謝の思いを胸に毎日を過ごしている。  ドクターが地域医療の為に、独立開業を成功されて、これからの高齢社会の中で、生きていかれるご高齢者や患者様が、傷病や疾患を少しでも早期に発見・治療され、満足した人生を送られるためにも、私は心を込めて裏方に徹し、開業を目指されるドクターと地域の方たちとのマッチングを成功させるために、精一杯支援させて頂きたいと思っている。

父は、言葉通りに見事な人生の終焉をとげた。

「親父、見事だったね!ありがとう!」と、私はそっと最後の耳元に 囁いた。


山の愉しみ 2

2012-06-04 17:34:40 | ブログ

  季節はまたたく間に移ろい、時の流れと共にまたひとつ年齢を重ねていく。何となく時間だけが、自分の後ろを足早に通りすぎていくように感じられる昨今である。

  

 先月久し振りに、九重黒岳の春の草花を愛でたくなってしまい、いそいそと愛車を駆って登山口まで足をのばしてみた。目的は、黒岳五合目辺りから上部に群生しているシャクナゲである。五月末、この季節の原生林の山中では、様々な植物たちが一斉に競いあって淡い色彩を彩らせてくれています。とても華やかなシャクナゲの群落も愛しいのですが、誰にも殆ど気付かれずにひっそりと咲くイワカガミやマイズルソウ、山シャクヤクなど、自然に根づいたラン科の植物達の共演も密かな楽しみなのです。必ず植物図鑑を懐中して写真と同上するのですが、自然の中で図鑑を開き、本物の花と出くわした時の感動は、言い尽くせない想いが込み上げます。

 

 6月の中旬からは、ミヤマキリシマが咲き始めます。下から山頂を眺めPhoto_22ていると『山火事だー!(笑)』と言う位、山はミヤマキリシマで赤く染まるのです。この時期は、ミヤマキリシマを一目見ようと、九重平治岳と大船山には登山者が一斉に大挙し、登山口には行列ができてしまいます。そんな賑やかすぎる山はあまり好きではないので、少し早めの登山です。

 そんな山に登り始めてもう20数年が経とうとしています。人生と言う登山は、まだ途上です。果てしなき人生行路もまた起伏があり、実際の山のようにアップダウンと、変化の連続です。

20代30代の頃のような、激しい山岳は無理な年齢となりましたが、あの時にはなかった、年齢なりの味わいの深い山に向かい、軽登山靴を履き、また歩き始めた近頃です。

 


山の愉しみ

2012-01-27 18:19:44 | インポート

 今から20数年前、年齢がまだ20歳代の頃、サラリーマンの生活に慣れ始めたある日、僕は毎日の生活に疲れきっていて、何を血迷ったのかその当時読みふけっていた「新田次郎」や「井上靖」、「松濤明」などの山岳小説にのめり込んでしまい、ふと気がつくと体は九重連山の真っ只中、あの有名な芹洋子さんが歌った「坊がつる讃歌」の高原に一人立っていたのです。
 かつて登山など、一度も経験したことのないド素人が、ある日単独で地図とコンパスを持って(使い方など知らないのに ・ ・)三時間の道程を経て山の中に独り身を置いていたのです。
 その日の前夜のことは鮮明に覚えていて、まさに遠足前の子供のように未知の探検家へと妄想を膨らませ、当日の朝を迎えたのです。
 しかし、考えてみればこの浅はかな妄想が、のちになって僕の人生を左右するほど、その後の人生に影響を与えることになろうとは、当時は思ってもみなかったのです。
 多い時は年間登山回数80回、山中テント泊数40泊。しかも冬山中心。ほとんどの休日は山に身をゆだねていました。家庭持ちのサラリーマンが行える遊びとしては、かなり度を越していたと、今では反省しきりなのです。平日の休みが殆どだった為、人並みの“休日は優しいパパが一緒で家族サービス!”が出来なかったのは、 至極残念でした。
 当時20代の同世代の友人に『登山に行かないか?』と誘っても『どうしてそんな非生産的なことやるの?』と逆に聞かれ、一蹴されるのが常で、その内に小説に出てくる「孤高の人、加藤文太郎」のように、単独で入山するようになってしまったのです。
 少し話はそれますが、今の時代は本当にうらやましいのです。「山ガール」?「山女子」?山岳ファッションが、若い女性の間でもてはやされ、僕が登っていた頃書店では「中高年の登山学」的な書物が店内をにぎわしており、テレビ媒体では「中高年の登山学」などと言う番組も放映されていました。その為か、標高に比例して女性が少なくなり、標高に比例して女性の年齢が上がっていく。そんな皮肉な現象が、まことしやかにまかり通っていました。
 はじめの内は、九重連山のような柔らかい造形美の、優しい女性的な山にあらゆる角度から(バリエーションで)色んな季節の表情を感じたくて、登っていたのですが、その内に祖母・傾山から大崩山懐にかけて、九州中央の深山にのめり込んでしまうことになってしまったのです。それは『山にのめり込む者にとって、家を尻目に、より過酷な状況に自身を追い込んで行きたくなる当然の帰結であり、山ナルシストの世界と言えるかもしれません』 ・ ・ ィェ、いえました。
 九州中央山岳の山は標高が決して高くはありませんが、真冬の頂上直下での積雪は60センチ以上になることもあり、真夜中のテントの中は、大陸からの寒気が南下した時のテントの外気温度が、マイナス20度近くに落ち込むこともあるので、山全体が暴風雨のような激しい風で、山自体が唸るような轟音で叫ぶのです。そんなテントの中で、寝付かれなくて怯えながら迎えた朝は、テントの中のインナーがバリバリに凍りつき、ついでにシュラフカバー(シュラフを包み込む、等身大の封筒型袋)も凍りつき、なかなか温かい羽毛シュラフの中から抜け出せないのが、難点なのです。
 冬山の愉しみと言えば、氷点下の頂上稜線状を歩いていると、すっかり落葉した支枝に霧氷が凍りつき、一瞬、天井の透き通った青空をバックに、風に支枝が揺られて目の前を、氷の小さな「かけら」、ダイアモンドダストがキラキラと舞い落ちるのです。  
 また厳冬期の夕方、目的地までの視界を遮るクマザサをかき分けながら進んでいると、頭上の常緑樹に雪が降り積もり、雪が夕陽の色に透過して、あたり一面の雪景色が黄金の飴色に染まり、その光彩は体験しようのないイルミネーションで彩られたプロムナードを歩いているかのような、感動的で幻想的な瞬間を独り占め出来るのです。

 山の話になると、つい文章のノリと人格が変わってしまい、エキサイトしてしまって、とても恥ずかしいのですが、最近ネタ切れで、友人や知人に会うと『ブログはあれで最終回だったんだよね』とか『話が硬いね』と、皮肉いっぱいに言われるので、いよいよ山の話を少しずつですが、時折語って参りますので、今後も宜しくお願い致します。


患者側から見た性差医療

2011-12-15 19:30:04 | インポート

サクセス21 スタッフのつぶやき



00 現在の国内医療現場には、女性医師が以前に比べて増加してきたことは、いうまでもありませんが、それでも女性の人口に対して、女性医師の居る施設が少ないのが現実です。しかも、県内には、「女性外来」と標榜している施設がほとんどありません。
 女性医師の居る大病院に行くには、紹介状が必要だったり、受付時間に制限があったり、待ち時間が長かったりと、患者としては煩わしさを感じます。

 女性の体は、ホルモンの影響を受けやすく、特に閉経後は女性ホルモンのエストロゲンの機能が低下することにより、男性以上に骨粗鬆症やアルツハイマー病が発症しやすくなるなど、女性特有の症状や心身の変調をきたすこともあります。男性医師には相談しづらい悩みや、身体部位によっては診察されることへの羞恥心や不安などから、診察を受ける事を躊躇している女性も多いのではないでしょうか。

 女性にしてみれば、女性医師に診察をして貰えることで、同性ということから気負うことなく受診出来ますし、話しづらい悩みも時間をかけて、親身になって相談にのって頂けるような、性差医療を配慮した「女性専門外来」が必要なのではないかと感じます。
 しかし、その貴重な女性医師も、結婚をすることで家庭に入り、家事・出産・育児等と、生活環境が変化していくにつれて、やむなく数年間現場を離れることになり、いざ復帰をしようとすると、現場スキルの問題や職場選択のうえに於いて、厳しい状況になっているのも周知の事実です。
 女性医師が仕事を続けながら、そうした問題を解決できる政策や環境さえ整えば、現場から離れることもなく(一時的に離職したとしても)患者としては安心できます。
 WLB(ワーク・ライフ・バランス)を考えて、制度や協力体制の構築により、女性医師が現場から遠ざかることも改善されていくのではないでしょうか。

 知人である大学教授(医療を研究)が、「女性医師がプロフェッショナルな医師として、患者、家族、そして自分自身も納得できる医療ができ、同時に、医師としてだけではなく、ひとりの生活人としても納得できる人生を過ごせることが理想である。」と書かれていました。これが実現することにより一人でも多くの女性医師に、現場に留まって頂き悩める患者を救って欲しいと願います。
 前述の教授は、女性医師の半数の夫が医師であるというデータを基に、「援女医=エンジョイ!!」を合言葉に女性医師に焦点を当てて、ぜひ診療所を開設して頂きたいし、それを支援していきたいと申されておりました。

 首都圏や中間都市においては、電車の女性専用車両やフロアなど、女性に優しい環境が少しずつ増えていく中、一日も早く女性医師の診療所をもっと増やし、一人でも多くの女性が診察を受け易くなる地域医療の環境が整っていくことを心から願っております。


継続は力なり

2011-08-18 09:23:56 | インポート

03  「へー!?サーべイメータ(放射線測定機)ってそんな構造になってるんですね!」
 今回の勉強会で講師となる、超音波やレントゲンを扱っているメーカーの担当者の説明に、聴講者の皆は初めて見る機器に驚いている。

 当社では、恒例となっている毎月第3金曜日の夜に、関連会社約10数社が毎回当社の事務所に集い、持ち回りで開業全般に関わる自社の特徴や、各診療科毎に応対しなければならない様々なノウハウを共有するための勉強会を行っている。
 この勉強会も、かれこれもう2年になるが、皆忙しい時間を割いて真面目に毎月行ってきた。勉強会自体は、2時間と短時間ではあるが「継続は力なり」で、講師を担当する月の会社は、それなりに資料を整理するため、大変な時間を要しているので、内容が濃くあっという間の2時間である。

 この試みの肝心は、各社間でお互いの商品知識を共有化し、他社の製品を知ることにより、例えば「レントゲン照射部位による機器のベストな設置スペース」や「機種によって違う電源容量」のことや、過去の経験を基にした「他社のIT関連機器との相性の問題」であるとかの様々な議題を設け、お互いが意見交換しながら切磋琢磨している。
 お互いの会社のことは案外知らないもので、最新の血球計数機の基礎知識などを学ぶことで「臨床検査とは何か」「血液の特徴とは」「心電図について」など、議論の枝葉が広がっていき、基礎的な質問が毎回飛び交い、大変役に立つ勉強会になっている。

 最近行った大手リース会社の営業マンの話も、大変盛り上がっていた。
 金融ファイナンスの裏話も含めた勉強会は、皆聞きたい事が多く、あちこちに話の内容が飛んでしまう。金融業界の裏話などは、日頃の彼らには触れる機会が少ないと思うので、知らず知らずのうちに、みんな興味津々。
 他社研究を学び合うことで、いつのまにか自身の幅広いスキルアップにもつながっていくのであろうと思うと頼もしい。

 何よりも、私以外はみんな若い連中ばかりなので、今まで病院やクリニックでお互いに時々顔を見合わせてはいたが、話したこともない他社同士の若者が、この勉強会を通して知り合いになり、盛り上がっているのを目の前で見ているのは、甚だ感慨深いものがある。

 月に一度だけの小さな啓発運動ではあるが、お互いの商品知識を蓄えることで、今後の現場でのお客様への対応に反映され、更に満足度のアップに繋がっていけばいいなと思っている。