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NHK朝ドラ「ちむどんどん」を見てるよ(脚本や演出等もっと頑張ってほしい)

4月中旬から放送がはじまったNHKの朝の連続テレビドラマの「ちむどんどん」
ヒロインの暢子は沖縄が米軍軍政下だった時代に幼少~少女時代を過ごし、大人になっての上京してからは鶴見の沖縄タウンが舞台。という前評判。



(「ちむどんどん」NHK公式サイトから)

私は子供の頃、鶴見の沖縄タウンからそう遠くないところで育ち、沖縄タウンのど真ん中の向井町商店街も通ってました。
もっとも当時は子供で今のように情報があるわけでもなければご当地グルメ・B級グルメブームの時代でもなく、残念ながらよくわからなかったです。
ただ今にして当時を思い出すと「そういえば・・」と思うことも。

米軍軍政下の生活も興味深いですが、ちょうど私が育った時代にかぶる鶴見が舞台ということで大変に期待の朝ドラ!(でした)
こういった経緯もあって、前作の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」も戦後編あ辺りからは毎回見た流れもあって「ちむどんどん」も初回から毎回視聴しています。

しかしながら今のところは期待外れ。
米軍軍政下の沖縄の生活といってもせいぜい通貨がドルであったことや本土に渡るのに特別な証明書が必要だったこと。賢秀が騙された通貨交換詐欺程度。
比嘉一家の生活に余裕がなくテレビ・ラジオはもとより新聞も取ってないことをいいことに、NHKが負の側面にもつながる部分を全部カットしたのでは穿ちます。

最大の期待の鶴見のシーンも今のところ汎用のセット撮りのみ。
映像で当時の鶴見を再現するのは難しくても
「鶴見川が氾濫して大変だった」「あきさみよー川の水がこんなに汚いなんて」とか(実際昭和50年代までは鶴見川の氾濫は時々あった)
「今度扇島に新型の大きな製鉄所が出来るらしいぞ。仕事が増えそうだ。でも川崎だから通勤が遠いな」「銀座に較べればずっと近いじゃん!」「バスが混むんだよ」
とかせめて台詞で時代ごとの鶴見らしさを表現してほしいのです。

前作のカムカムは正直、京都編になってから急失速でコメディ化。まるで見逃した回があるかのような展開や雑な脚本、制作がTwitterをエゴサしながら脚本書いてるんじゃ?と言いたくなるぐらい。
今回の「ちむどんどん」もその流れで、素人が編集した総集編を見せられているというか、キャラクターが脚本に言わされてるような発言があったりと、雑な脚本や展開にツッコミ入れるのもキリがないような。

1週間ごとにテーマを作り解決し小完結させる手法は、途中からの視聴者を取り込むための営業上かもですが、詰め込みすぎで時間不足感が強いです。

ともかくスタートから2か月強、今後の脚本が演出がよくなることも期待するので製作陣は頑張ってほしいなと。



鶴見の暢子の下宿のアーケード街。道の両脇に架線柱のような柱が立っていて、国道駅の下(を綺麗に広くして)をイメージしてるのかな?とも。

暢子の部屋のシーンで時々踏切の音が聞こえますが、京浜鶴見駅周辺の高架化前かそれとも鶴見線のつもりか。前者なら鶴見駅まで結構近いことになります。
ちなみに現実の鶴見の沖縄県人会館から最寄りの線路は鶴見線の浅野駅周辺で産業道路を挟んで約500m、天候によっては聞こえる可能性は??


色々疑問やツッコミどころ、不満のある「ちむどんどん」ですが、秀逸だなと思うシーンもちらほら。最近では第53回(6月23日木曜放送)の鶴見の居酒屋あまゆでの、和彦・愛・暢子・智の4人を席でのポーク玉子取り分け論争のシーンは特筆したいところ。

席に出されたポーク玉子を愛が取り分けるものの、愛は「男の人の方が多く食べると思った」と和彦・智にはポークを2つ取り分けるものの、暢子にはポーク1つ。これには暢子の不満を買います。
元々暢子は食べるのが大好き。というキャラ以前に厨房で長時間立ち仕事という体力を使う暢子が沢山食べるのは当然。

Twitterで時々拡散される「平等と公平」の絵(塀越しに背の高さが違う子供が野球を見ているやつ)を思い出しつつ

更には子供の頃のシーンで大皿のてびちを前に「賢秀は3個目を取ろうとしているとして、良子が1人2個を主張」し喧嘩になるシーンとの対比。
なぜ両親はてちびを大皿に出したのか、良子の主張通り一人2個という意図があったのか?(恐らくない)ということも振り返りつつ、「ではどうすれば最適解なのか??」を考えると深いところ。

暢子は自分で十分に稼いでいて、あまゆは気軽に入れる店。ということで、ポーク玉子を2皿取って、1皿を3人で分けもう1皿を全部暢子が食べるというのも案外ありでは??(๑´ㅂ`๑)

さらにはこの後の男女観(ジェンダー)の話では、東京育ちの和彦・愛と沖縄山原育ちの智の意見の違いも際立ちます。
今のところ、暢子に対して「智は恋愛感情あり」「和彦はなし」として描かれています。暢子・智も昭和52年頃という時代背景を考えればいつ結婚してもいい年齢。「女は家を守り子を育てるもの」な旧来的な男女観を持つ智が恋愛感情を持つ暢子に対して、結婚・出産での退職前提な会社勤めならともかく、この時代として特異であろう女性オーナーの一流店でシェフを目指して働き年々ステップアップする暢子との将来をどう考えているのか。
「何も考えていない」という脚本はちょっと勘弁してほしい。

大皿料理の取り分けシーン、現代的感覚として愛が率先して取り分けている時点で違和感を持つ声が多いのはTwitterで見て取れます。
ただ一昔前は一番下っ端(適任な女性がいない会なら新人や若手の男性)が取り分けるのがマナーとされていたのも事実。
現代なら取り分けず各々が箸を伸ばす、自分の取り皿に取るが最適解でしょうが、子供時代の大皿シーンも含めて食べる側にとっての大皿料理の意味というのも気になるところ。


この他よく言われる借金など金銭問題、賢秀のキャラクターなど特筆したい部分もありますが長くなるのでまた次の機会にですね。

「一番星」を自称し一攫千金を狙う賢秀。
まじめにコツコツやっているだけでは一生抜け出せない、抜け出すには一攫千金を狙うしかない貧困や格差社会をよく表現していると思うと暗い気持ちになります。

2022/6/23 1:46(JST)
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