今年もお世話になりました。今回の記事で、今年は終わりに仕様と思います。調子が年末になってまた悪くなって来ました。blogの更新は来年ですが、それまでは更新しませんので、過去記事なども、この機会に見て下さるとうれしいです。皆さんのblogには、お邪魔するかと思いますので。宜しくね。それでは、良いお年を、来年またお逢いしましょう。。。。m(_ _)m
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昨日は、病院に行って来た。精神科に行って主治医に、眠くて寝てしまうと言うと、「おかしいなぁ〜そんな薬は出して居ないはずだよ?」とまた、とぼける。だから私は言った。「いえいえ、薬のせいですよ」と。そうしたら苦々しく「それじゃあ、来月まで待って様子を観て見よう」と語尾を荒げて言った。そして最後に一言。「ケッ!!」と言った。私は何遍も言って居るがこの「ケッ!!」と言う言葉が大嫌いだ。この主治医は私より20歳ぐらいも年下だが、私の事をまるで自分よりも年下だとでも言いたげだ。大体がバカにして居る。そして、こう言うのだ。「眠たくなったらコーヒーをガバガバ飲んで堪えて、」と。言われなくてもそうして居る。そのせいで最近は胃が痛い。兎も角、あの主治医は私を見下げて居るのは確かだ。自分はまだ40代だろう。何遍も言うが、私とは20歳ぐらいの歳の差がある。勿論、私の方が年上だ。主治医は解るが随分と上から目線なのではないか?
以前通って居た病院に、若い可愛い精神科の女医さんがやって来ました。皆んな、その人が可愛いので男の患者も女の患者も、その先生と話すのが楽しみでした。しかも、その先生は、今まで処方されて居た薬をある薬と変えて、半分位に薬の量を激減させました。そして皆、眠くなくなったり、食欲が出るのが止まったり薬の副作用から逃れられました。患者は皆。その可愛い女医さんに感謝をしました。しかし、その人は5ヶ月ぐらいすると病院には来なくなりました。皆んなは何で、彼女は病院に来なくなったんだと噂仕合ましたが、結局は病院の治療方針に、沿って居ないと言う事だった見たいだった。
そして、次は内科の測定の女医さんの脂肪と筋肉量の測定検査だ。私は2、6kgも太って仕舞い、筋肉量は減って、脂肪の数値が上がって居た。食べるからだが、大体が薬の作用で腹が此処の処物凄く減るんですよね。そして次の内科の先生も女医さんだ。この2人は優しい女医さんだ。私は優しい女性には弱い......。見てもらった結果は、体重の増加はあれど、血糖値は下がって居ると言われた。「この侭でいいですね」と言われた、、そして最後は栄養指導の若い女の子の栄養士の先生だが、、最近は幾ら言っても私が野菜を食べないので前は怒って居たが、最近は優しく言い出した。「野菜を食べてね」と、、、皆、女医さんたちは解って居るのですよ。私が薬の作用で太ると言う事を。ただ一概にだから薬を外せとも言えない。特に年末だ、慎重にならざるを得ないのは解るが・・・・。外せばまた病気は再発するからだ。だから私は太るし、眠くなって何も出来なくなるのです。だから食事指導を受けて居る。でもなかなか上手くは行かない。太るのも眠くなるのも運命ですね、、受け入れるしか無いです...。
処で今日の昼は、ガストまで、リブステーキを食べに行った。丁度Tポイントが4千幾ら貯まって居たからだ。貯まって居るTポイントで、リブステーキを食べに行ったのです。散歩にもなった・・・・・・。初めは貯まって居るTポイントで服でも買おうとしたが、、なかなかいいのが見つからず。それにレストランぐらいしかTポイントを貯めて使う場所が無いのですよね。私が使おうとして居た、ネットのJACOO MEE storeと言うショップは可成りアウターとかいい服があるのですが、、私の欲しかったチェスターコートは売り切れたらしかった。だから今日は、2,600円も奮発してリブステーキを食べて来た。久々に美味しかった。ガストに行くのは初めてだった。前は此処はジョナサンだった。同じファミリーレストランだから、名前を変えただけで通用した見たいだ。最近の外食産業は流動的だ。私の住んでいる街には松屋もある。そこにもよく食べに行きます。それに東秀食堂、レンゲ亭と言う中華料理と言うか定食屋もある。昨日はそこで、病院の薬の待ち時間に焼きそばと餃子を食べた。焼きそばがメニューにある事は知らなかったが、よく来る近所のおじいさんが何時も注文していたら、そのうち新しいメニューに書き加えられた。それを見て注文したのです。しかし、あのおじいさん来る度に焼きそばしか注文しないなぁ、、と言う事で、まずは自宅で作る美味しい焼きそばの作り方のYouTubeです。。。
これ以上の焼きそばがあったら教えてほしい!!料理研究家が本気で作る【至高の焼きそば】
また、映画を1作品紹介して置きます。今回はアラン・ドロン主演作「ビック・ガン」です。この作品はフランスとイタリアとの合同制作の映画です。監督はドゥッチョ・テッサリ。1960年代後半に、「夕陽の用心棒」「続・荒野の1ドル硬貨」と言うマカロニ・ウエスタンの秀作を手掛けています。彼が1967年のジャン・ピエール・メルヴィル監督、主演アラン・ドロンの名作「サムライ」を意識しながら撮った映画です。
アラン・ドロンが好んで演じるキャラとイメージが「死と虚無」です。代表作のひとつは「サムライ」ですね。孤独なヒットマンが最後に虚しく死ぬ。本作もその延長線上にあります。アラン・ドロンはマフィア発祥の地シシリア出身の殺し屋トニー。主要な舞台はミラノ、ローマ、シシリア。つまりアラン・ドロンが役者としてのスタートをきり、同時に栄光を手に入れたといって良いイタリアです。「若者のすべて」(ルキノ・ヴォスコンティ監督)「山猫」(同)「太陽はひとりぼっち」(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督)。本作の監督はマカロニ・ウェスタンでジュリアーノ・ジェンマを売りだしたドゥッチョ・テッサリです。ハードなアクションと非情の世界の男たち、という設定でアラン・ドロンと相性の良い映画にしあがっています。「ゴッドファーザー」にしろ「シシリアン」にせよ、命を的に殺しあうマフィアの世界で信頼できるのは家族のみ。
ことのほか家族を大切にする。主人公トニーはその家族を殺されます。息子のために足を洗うと組織に告げたとたん。目の前で最愛の妻と子の乗った車が爆発される。妻子を見送ろうと窓辺にたったアラン・ドロンの目前です。その一瞬を見る凝視力。凄まじい目です。とやかく言う人はいるのですけど、やっぱり並みの俳優ではないですね。復讐の鬼となったトニーの逆襲が始まる。移動する列車の中、高層ビルの玄関、黒いコートを着て影のように現れ一発でしとめ、幻のごとく去る凄腕の殺し屋。「ビッグ・ガン」とはトニーの愛用するコルト自動拳銃「M1911A1」のこと。コルト社が第一次大戦後改良を加え、第二次大戦中製造した同型は約53万挺。口径が大きいゆえに「ビッグ・ガン」と呼ばれます。命を助けたことのある娼婦サンドラの情報によって、トニーは次々ギャングの大物を血祭にあげていく。相手方の報復も待ったなし。サンドラは血みどろになるまで傷めつけられ、トニーの部下は惨殺される。トニーはサンドラを連れて両親のすむ故郷に一時戻る。自分はよそ者だからと気をつかうサンドラに「息子のために血を流してくれた人を、両親は立派な家族だと認める」とトニーが〈家族の絆〉を強調し安心させるシーンがあります。
シシリーの実家にマフィアの最後に残ったボスが手打ちを言ってくる。娘の結婚式にトニー一家を招待したいというのだ。信用してはいけない、いやな予感がすると訴えるサンドラに「まさか娘の結婚式で血を流しはしまい」とトニーは説得し母親とサンドラを連れて教会に行く。女のいうことを聞くべきでしたね。トニーが銃撃されて負傷したときに、マフィアの恫喝にも屈せずトニーを逃した親友が最後に裏切ったのです。このエンドは賛否両論がありますが、監督としてはこう言う「死と虚無」の幕切れがアラン・ドロンのダンディズムにもっともふさわしいと踏んだのでしょう。まったくもって一切、何の説明もなく、アラン・ドロンは胸を撃ち抜かれる。なんだかこういうラスト「サムライ」を持ち出すまでもなく「ドロン様御用達シーン」になっていません? 「スコルピオ」もそうだった。
胸がしめつけられる「冒険者たち」もそうだった。おや、またかよと思いながら、ふん。決まってやがらに落ち着いてしまう。アラン・ドロンはこのとき38歳です。すでに「功なり名遂げた」といって良い立場にありました。チャールズ・ブロンソン(「さらば友よ」)、ジャン=ポール・ベルモンド(「ボルサリーノ」)、イヴ・モンタン(「仁義」)、シモーヌ・シニョレ(「帰らざる夜明け」)、バート・ランカスター(「山猫」)、ジャン・ギャバン(「地下室のメロディ」)など、ヨーロッパを代表する俳優や監督と共演し、しかもヒットさせてきました。その実績を背景に脚本家や監督にがんがん逆要求する難しさも併せ持ってきましたが、彼が登場するとスクリーンの密度が濃くなる、究極のダンディズムとも言える、その存在感は幾つになっても変わっていません。
下は「ビック・ガン」の8分余りに纏め上げた、ダイジェストです。またその下は昔あった紳士服のブランド、「ダーバン」のアラン・ドロン出演のCMを纏めた一部の映像です。そして「サムライ」のダイジェストです。若い人はアラン・ドロンと言う俳優自体を知らない見たいなので、この映像で知って頂けたら嬉しいかと思います。
ビッグ・ガン(映画) / アラン・ドロン Big Guns (Tony Arzenta) / Alain Delon
ALAIN DELON in D'URBAN/Part2
『サムライ』予告編(字幕なし)
このblogの過去記事も結構良い記事もありますので、観てみて下さいね。お勧めの記事を挙げて置きます。宜しく。まあ、過去記事も読んで見て下さい。。。クリックで記事に飛びます、、
この間、今年に入ってから8ヶ月ぶりに新宿に行って来た。先週の土曜日だったもので、天候不順で大雨が降るとか云っていたが、当日になったら、曇りだが雨は降らなかった。多分、夜中か、明け方に降ったのであろうか、、、新宿までは電車で行った。タクシーなぞは二度と乗らない。タクシーと云えば、15年程前の事になるが、嫌な思い出がある。それは、まだ実家で暮らしていた頃、新宿からタクシーで帰って来て、タクシーを降りてから、携帯が無い事に気づいて、慌てて乗って来たタクシー会社に連絡して、運転手に「すみませんが、携帯落ちていませんか?無いですか?」と聞いたら、運転手が「探してみます。あれ、ソファーの境目に落ちてました。」と云うので、「すみませんが、自宅まで持って来てくれませんか?」と云った所、運転手の態度が豹変して、「持って行っても良いけど。金幾ら出す?」「・・・・・・・」と云うので、最近はタクシー運転手が追い剥ぎになるなと思い、少額では持ってこないだろうと思ったので、「5千円でどうだ?」と云ったら、
「間違いなく5千円をくれるんだな?」と云う「ああ、そうだ💢」と云うと「ならば持って行ってやる」と云い、それから35分程したら持って来て、「携帯はあったぞ。金が先だ。」と云うので「ほらよ!」と5千円札を渡したら、携帯を返して、貰った5千円札を両手で夜の空に高々と挙げ「やったぞ!5千円だ!儲かった!」と喜んでからタクシーでいなくなった。まあ、そんな事があったのです。タクシーの運転手は、殆どが雲助ですよ、おとなしい人もいるけど、猫を被っているのでしょう。それから、これはタクシーの運転手が云っていたのだけども、同僚の運転手が客を馬鹿にしたら、客に訴えられて、60万円の金をその客に支払う事になったとか。まあ、云たい放題の報いですね。馬鹿はどうしようもない。以前、立川のクリニックに通っていたことがあったのだけど。そこの主治医が云っていたけどタクシーに乗ったら人を見下して横柄な事を云い出したので、「俺は博士号を持った医者だ!」と云ったら、要約黙ったそうです。その人は言って居ましたよ。「タクシー運転手なぞにろくな奴は居ない」とね。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾