寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

言いたい事があります。映画紹介。ブルースの名曲紹介。

 
 
 
 
「エッセイ」
 
今、物凄く可愛い女の子が来た。私のアパートの部屋にはチャイムとカメラがついて居るから、チャイムが鳴るとモニターに人が映るんですよ。歳の頃21歳ぐらいか、まだ。僕が「はい?」と出たら「キリスト教です」と言う。まあね、これは宗教団体の手なんですよね。可愛い女の子に自分らの宗教団体を布教させるんですよ。大抵の男は下心があるから、「何?」と出てしまう。そうするとその時は。歳を聞いたりキリスト教の教えの、その宗教団体なりの少誌本を渡して可愛く話して居なくなるのだ。それから3日ほど経つと今度は2、3人連れの40歳ぐらいの美人が来る。そして今度、集会があるからと強引に場所と会場の名前を書いた用紙を渡される。そしてそれからまた三日ほどすると今度は温和な紳士がやって来て「さあ、出掛けましょう」と言うのだ。私は最近に成って新約聖書を読んで見ようとは思うが、よく宗教団体が使う手だが。「「聖書の勉強会」があるので一緒に聖書を勉強しましょう!」と言うのだ。そして「聖書なら我々が売って居るから」と言われる。それで最初に来た物凄く可愛い女の子は居るのかと言うと、実はあれはサクラでバイトで可愛い子を雇って特にアパートに通わせて居るのですよ。それもあらかた相手が一人者だと言う情報を掴んで、最近の若い女の子は皆可愛い。まあ、色仕掛けって事かな。でもそう言うバイトをやって居る子たちに言いたい「君たち気をつけなよ男はね。殆んどが女の子の下半身の事しか考えて居ないんだから。部屋に入ってくれと言って上がらせてレイプするような奴も居るんですよね。十分に気をつけてね」と言いたいです。まあ、そう言う訳で僕の部屋にはチャイムにカメラが付いて居て、カメラは常時外を録画して居るので出かけたり、寝て居たり、居ない時に人が来ると映って録画されて居るのですよ。大体が映像データは十日分ぐらいはストックされる様に成って居る見たいだ。まあ、女の子はバイトの仕事だから袖なくするのも可哀想だなとは思うけど。さっきは「ごめんね、今忙しくて手が話せないんだよ悪いけど、、」と言ったら「そうですか・・・」と帰って行った。
 
皆んなは僕が勃起不全を治す為だとは言えポルノサイトもたまに見て居るとか書いたりHな話や、たまにだけどもねパンチラの写真を載せて女の子に注意を促して居ますが、今の世の中。パンチラの盗撮写真はネット上で売られて居ますからね。この間、「パンツは女性の性器を隠して居るのだから見せても構わない」と言って居た女子高生が居ましたけど。そう言う風潮は最近は特に若い子にありますね。だから電車に乗っても股広げてパンツが見えてるのにスマホをいじって居る子が居たり。ミニスカートの丈が短すぎて屈むとパンツが後ろから丸見えになって居る子が居たり。私もよく此処の所見かけてました。周りの男どもは喜んで見て居るだけですよ。男ってそう言う生き物なんですよ。男のサガです。仕方が無い部分もあります。この間ね、「このメールを読んで下さい」と如何にも親切そうなメールが来まして、「ある団体がkiyasumeさんがポルノ見て、ゆだれ垂らして、オナニーして居る処をパソコンにマルウェアをネットから入れて実況中継してやると言う輩がいるから気をつけて下さい。私は関係無いですけどね?」と言う女性からのメール見たいのが届きましたが、一体なんですか?自分がポルノは嫌たらしいものだから。それ見て居るkiyasumeは色気狂いか?そう言いたかったのでしょうメールを入れた女性の方!!あなたは本当の色気狂い、俗に言う「色情狂」と言う人たちがどんな苦しい思いで精神病院で治療されて居るのか解らない🤷‍♀️でしょう。一体何歳のバカな女性ですか?。まあ、此間はオナニーの事を私は書いたから・・・・・。嫌たらしいとでも思ったのでしょうね。男も女もやる事は同じですよ。この間ラジヲで聞いた話ですが50代の父親が17歳の娘の部屋をノックせずに入って言ったら、娘がオナニーして居たので慌てて「ごめん!!」と言ってドアを閉めたと言う話をして居ました。娘と言えども男の場合でもそうですが。生殖機能が発達してくると相手がいる訳ではないから性欲の処理は自分で処理するしかない事ぐらい親御さんなら解るでしょう??寝室なんかに親がよく見に行く人が居るみたいだけども、子供が両親の寝室に来られるのは嫌でしょう?子供もそうですよ。
 
私は前に障害者、特に脳性麻痺の方達とか知的障害を持って居る方たちが、自分で性処理が出来なくて、困って居るのを見かねた。あるMPO団体が性処理、(オナニー)の面倒を見るために立ち上げた団体があって、この話は医師やら看護師たちの間では有名でまた常識と成って居る話です。看護師が主に女性ですけど障害者の処に行って性処理をするのですよ。知らない人の方が殆んどでしょう?やらしいポルノなどでは色気ムンムンの看護師が患者とセックスをする話がありますが。実際は、普通の看護師で男の場合は性射。女の場合もあります。事務的に医療用手袋を嵌めて済ませます。そう言う世の中の負の部分があることも知らずに何が、kiyasumeのオナニーを世間に見せてやるだ!!よくも言えた。自分はしないんですか?旦那が居ればセックスはするでしょう。それが普通ですよ。そう言った女性の方に聞きたい。何故政府がアダルト業者を取り締まらないとお思いですか、世の中には色々な人が居るのですよ。独身の男性。女性。そして障害者。誰でもがセックスの相手が居るとは限りません。あなたはお歳は幾つでしょうか?いい歳でしょうに。
 
それから自分は生まれて来ない方が良かったと言う男が居て、「kiyasumeさんは父親と母親の一時の快楽の為に生まれて来て、生きてるのが嫌でしょう?」と書き込みが前にありました。だから私は「生まれて来た事には大きな意義があるから死にたいなどとは思いませんよ」と言ったら。「父親も母親も子供を作る事で世間に父親と言う地位と母親と言う地位を見せつけて居るだけだ!!」と言う様な事を書き込まれました。相当なバカだよね!!自分は地獄を生きて居ると言うから相当な事でもあるのかと言えば、要はパワハラの事らしい。今は会社勤めをして居るらしい。仕事がパワハラで嫌でもなんでも。そんな事が障害を持った人たちの苦労と比べられるのでしょうか?あんたらは若いものたちは自分らは大変だ昔は終身雇用とかがあったけど今は無い。仕事はキツイと言うけど。世の中が悪いと言う前に自分を変えたらどうですか?起業したり。職を思い切って異業種に変えたり?あなたは私みたいに幻聴やら妄想を抱きますか?精神障害がもとい、障害を持つと言う事がどれだけ辛い事か解りますか?どれだけ苦しいか分かりますか!!あなた方は健常者でしょう。人間死ぬ気になればなんだってある程度はどうにかなるものなんだよ。仕事がきついと言いながらスマホはいじれて居るじゃないですか?世の中にはスマホが買えない人もいるんだよ。私はスマホは嫌いです。なぜならスマホで調べて出てくる情報は要約されたものか酷い場合はガセの場合もあるからです。例えばGACKTさんやらローランド君は、必要な時にだけスマホを使ってあとは箱に入れて鍵を閉めてしまうそうです。私はスマホを一日中暇さえあれば見たりゲームをしたりするのは好みません。スマホを見るぐらいだったら、パソコンを見て居ます。私には楽器の練習もあるし、本だって読まなければ成らない本が溜まって居るし。映画だって見なければ行けない映画があります。しかし体の不調でそれらが出来ません殆んどね。怒って居るのかって?怒って居ますよ。黙っていれば自分の言いたい放題を言って居る。このblogを見て意見を言いたい人は居るかと思いますが?私をバカにして中傷を幾ら書き込んでも初めだけ読んで全部破棄して居ますから?大体が自分の意見が言いたいのなら、自分のblogを作って人の批判をするのではなくて自分の意見なり自分の思想を書けばいいのですよ。まあねぇ.....。こんな馬鹿な男のジジイのオナニーを実況中継する?そんなバカな連中がどこに居ますか!!大体が盗撮されて実況されて居るのは若い女の子たちですよ。能もないのにな理屈で通そうとするんじゃねえよ!!!!!!!!!
 
私はね、最近ふと意識が無くなる事があるのですよね。薬の後遺症ですが、歩いて居てもふらついて歩いて居て、この間は歩道から逸れて道路側を歩いて居てフラフラで・・・・。そしたら運ちゃんから怒られましたよ。そんな意識が無くなる様な状態の時にこの二つの事は書き込まれました。書き込んだ人は遊ぶ時間もあってさぞかし良いでしょうにね。それから、私は克明に自分の保護費の使い方は書いて来ましたが、それでも人の事をとやかく言う人が居ますね。言っときますが、生活保護になる前に審査して居たものは相当なブランド品でもない限り所有は認められて居るのですよ。そして保護費は使い道は本人の自由に成って居ます。それから私は今まで良かれと思って、人に映画やらテレビで放映されたアニメやらドキュメンタリーを、上げてきましたが。殆んどの人が観もせずに捨てたとか言う人まで居て。他人って人の善意もそうやって受け付けないんだなと言う事が良く解ったので、もう上げるのは恋人のシェリーだけにしました。私は若い人たちと最近は交流がまた出来ました。ただ1995年生まれだとか言うと、何も知らない人が殆んどで、つい最近の事しか知りませんから話に成りません。今は情報が溢れて居る時代です。今はスマホで音楽が聴けますが、昔は音楽喫茶とかでレコードを時間を掛けて数枚ずつ聴くしかありませんでした。でもマスターと友達になったり、バンド仲間の社交上となって居たり。著名な人たちと交流が持てたりしました。私は病状が良くなったら、またジャズ喫茶通いをしたく思って居ますよ。ジャッキー・マクリーンのフリージャズ的なハードバップなどはジャズ喫茶の大きなスピーカの大音響の音で聴きたいですからね。まあ、そうは言ってもスマホでのストリーミングも普段の生活の中では大いに助かっては居ますけどね。僕はスマホが便利だと言う事は理解はして居ますよ。でも他人みたいにスマホに自分が使われたくは無いですね。私が人間が古いのはよく解っては居ますよ。ただ最近の若者たちの考え方は間違って居ますよ?。新しい事は古い事から生まれるんですよね何時の時代もね。
 
 
 

「女性の時代???」

新宿の紀伊國屋書店の雑誌売り場で、ある映画関係の月刊誌を探して居ても見つからなかったので会計の所に居た店員に聞いた、アルバイトとおぼしき、女の子に「すみませんけど、〇〇の月刊誌どこにありますか?」と訊いた処、「その辺にあるよ!!自分で探しな!!」と言われた。そうしたら、隣で立って居た男の若いアルバイトが「おまえ〜それはねえんじゃね?」と言って居たが.....それで正社員の若い女の子の店員に「〇〇の月刊誌どこに置いてありますか?」と訊いたら、「少しお待ち下さい」と言って隣の50代ぐらいの男の店員に「上田!トットと探して来い!!」と言って、その50代の男の店員さんが、「お客様、此方で御座います。バックナンバーも棚の方にありますのでご覧に成って下さい。」と教えてくれた。思うに、今は女性が活躍する時代と言えども、この2人の女どもは同じ穴の狢だ。私は、昔、伊勢丹の裏方の仕事をやって居た事がある。次々にワゴン車で運ばれる、荷物を服とかだけども、ハンガーに掛けて、女性服売り場の倉庫まで持って行くのだが、持って行って、若い女性の店員に引き渡すと「あんた、ちゃんと値段の高いものからハンガーに掛けてないじゃない!ちゃんとしろよバカ!!」と言われた。私はただ売り場まで持っていけばいいと言われただけなので、「何怒って居るんだこの女・・・」と呆れて居た。でも、歳を取った年配の女性の店員が「気にしないでね。頑張って!」と声を掛けてくれた。また、或る時、仕事をして居たら、山住み書類の上に若い女の店員がウイスキーのボトルを置いて行ったら、案の定落ちて割れてしまった。そばで作業をしていた中年の男が気にして「俺のせいかなぁ・・・」と言って居たら、暫くして、私がマネージャー室に呼ばれた、「君はまだ若い、だから君がウイスキーのボトルを破ったのではないだろう。隣で作業して居た男が破ったのか?」と訊いて来たので、「一番悪いのは、書類の山の不安定な処の上に置いた女性の店員さんでは無いのですか?」と言ったら。「そうか・・・」と言って職場に戻れと言われた事があった。

また、中年の現場責任者(チーフ)が伊勢丹の社員食堂に、私を連れて食事に行った時の事、前の向かい合ったテーブルで若い女の子の店員が食事をして居たのだが、何とだらしが無くと言うか、ミニスカートの制服のスカートを履いて居るのに、足を広げて居る....下着が丸見えだ。

私はカレーライスを食べながら、「食事中に見たくも無い!」と思って居たら。どうやら、自分はそんな格好なのに私たちを睨み付けて居た。こう書いて居ると女性の店員、特に若い人たちは散々だな。と思われるかも知れないけど。最後に良い話を、それは紀伊国屋書店で昔、哲学書売場で労働者階級の哲学者セルジュ・モスコヴィッシ、トプリス・ラロンド。ルネ・デュモンの3人の対談集の「エコロジストの実験と夢」という本を探して居たら、メモを手に持って哲学書籍の書棚を見て居たのだけれども、若い女性の店員が急いで寄って来て、「お客様、そのメモ見せて下さい」と言い、売場で在庫を確認して、「在庫は御座いませんが、まだ、廃版には成って降りませんので、お取り寄せ出来ると思いますが....。」と言ってくれて、それで気持ちよく取寄せて貰った事がありました。でも、昔から、若い店員の方が威張って居て、歳を取った店員の方が親切ですね。そう言えば、紀伊国屋書店にあったDVD売り場で、若い、凄い美人の女優さんか、と思える店員に「アンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」発売だと訊いて来たのだけども、ありませんか?」と訊いたら。「すみません。あれ入荷と同時に売れちゃったの。在庫ありません。」と言うので、他のDVD店に行っても無いものだから此処にあるかと思って来たんだけども・・・」と言ったら「ごめんね。メーカーが早々に打ち切っちゃったのよ。一応、オーダーは掛けてはありますから。来月か再来月には入荷出来るかと思います。ごめんなさい」と実に親身になって対応してくれた人も居ました。。。

そして、父親の会社に入って仕事をして居た時の話。或る日、パートの女の子が来て「あたし、バンドやってっから....。」と言うのが口癖で、訊けば渋谷のライブハウスで演奏していると言うので、「どんなバンドなの?」と聞いたら、「「ゲス・フー」見たいなバンド」と言うので、ゲス・フーか、女性のバンドにしてみれば妥当かな?と思って居たが、その子は仕事をちゃんとやらない。何故、パートのアルバイトを雇って居たのかと言うと、当時、スーパーのいなげやに、商品を納めて居たからだけども、商品を倉庫内でピッキングするのに人手が居るからです。毎日、東京、埼玉、千葉のいなげやに納品する為、社員とアルバイトで手分けをしてピッキングをして居た。何故かその子は、私の机の脇に、セサミ・ストリートの人形を置いて居て、「なんだかな・・・。」と思って居たが。或る日、ピッキングが終わった5時半に成ってからやって来て、仕事がしたいと言う。従兄弟のゆきかずは「いいよ....。」と言ったが、私が断った「安斎さん、明日の午後早くに来なよ。今日の仕事はもう終わったよ。」と言ったら不満そうだったが、帰って行った。見え見えなんだよ。仕事が終わった後に来るなんて・・・

ちなみに会社にはもう一人30代の音楽をやっている男がいた。ブルースが好きで、ライトニン・ホプキンスの曲をギターで弾いて歌って居ると言う。しかし、若いのだ、「永井さんやら、妹尾さんやら、吾妻さんやら知ってるだろう?」と訊いたら、「誰、それ、知らない」と言う。今挙げた人たちは日本のブルースを背負って立って居た人たちだ。私は、「ああ、今時だな、知らないんだ、、」と思い。黙って居たが、その男はCDは、タワーレコードで購入すると言う。しかしディスク・ユニオンに比べたら、タワーレコードはロックは結構ストックがあるが、ブルースは少ない。私がバンドをやって居たと言ったら。或る日、ブルースハープを持って来て、「ええっと、此処から吹いて・・・」と言いながら吹き始めたので、「貸してみて」と言い私も吹いて見たら驚いて居て、「昔ね...バンドで吹いて居たからね」と言ったら、それ以上、挑戦的な事はして来なく成った。処が、私を見返したかったらしく、「〇〇さんの弟って何仕事しているの、トラックの運転手?それともドカタ?(笑)」と言うので。「とっくに仕事して居るよ・・・」と言ったら、後で親父に訊いたらしい、医者だと言われて黙って下を向いて居たそうだ。しかも、レンタル・ビデオテープを1年間返さなくて、取立てに会い、100万円請求されたと聞いた。親父が言って居たが会社に泣きついて財形貯蓄から出してもらって返済したそうだ。ちなみに会社を私が辞めた後、例のパートの女の子が「〇さんは最近なんで会社に来ないんですか?」と訊いて居たと親父が言って居た。なんだかねぇ、そんな思い出があります。

 

guess who- american woman

Lightnin' Hopkins - Woke Up This Morning

 

 

 

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ジャズ喫茶、「サムライ」には1970年代から1980年代に掛けて通って居た。当時のマスターは黒澤明の「影武者」に武将の一人として出演して居て。壁に映画の写真が貼ってあった。当時はジャズとブルースの融合的なことを考えて居て、まあ、飽く迄もブルースバンドなれども、ジャズの匂いがすると言う様な感覚を持ったアレンジでブルースの曲を演奏して居たのだが。バンド名は「ボトム・ライン・バップ・ブルースバンド」と名付けて居た。まあ、手っ取り早く言えばジャズ・ブルースのバンドなのだけども。最近、になって結成当時のオーディオ・テープが出てきたので、聴いて数曲、3年程前にYouTubeに上げた。オーレックスのラジカセで訪問看護師の若い、ロック好きの看護婦さんに聴かせたら、案の定「これジャズ?」と言って居た。ビバップの形式で「Every day I Have the Blues](カウント・ベイシー楽団の専属歌手としても人気を博したご存知ジョー・ウィリアムスの代表作。BBkingバージョンで有名な曲)を演奏して居たからだ。元はメンフィス・スリムが作り1949年にローウェル・フルソンが大ヒットさせた。その後、いろんなブルースシンガーが歌って居ます。

 

BB King - 01 Every Day I Have The Blues [Live At Nick's 1983] HD

kiyasumeが弾く。「Every Day I Have The Blues」 。。。

 

Everyday, everyday I have the blues 

Everyday, everyday I have the blues 

When you see me worried baby 

Because it's you I hate to lose 

毎日、俺はブルーになっちまう。

毎日、俺はブルーになっちまう。

俺が慌ててるのをみたら、

それは君を失いたく無いからさ。

 Oh nobody loves me, nobody seems to care 

Yes nobody loves me, nobody seems to care 

Speaking of bad luck and trouble 

Well you know I had my share 

 誰も俺を愛さないし、心配してくれない。

誰も俺を愛さないし、心配してくれない。

悪運と苦しみを話してる、

嫌な事がありすぎるよ。

 I'm gonna pack my suitcase, move on down the line 

Yes I'm gonna pack my suitcase,move on down the line 

Where there ain't nobody worried 

And there ain't nobody crying

俺は荷物をまとめて、この道を行くんだ。

俺は荷物をまとめて、この道を行くんだ。

誰も慌てたりしないし、

誰も泣いたりしないよ。

 

 

また「Stormy Manday 」などをジャズ風なアレンジで演奏して居た。もともと、T Bone Walkerのバージョンはジャズの香りがする。T Bone Walkerは、1910年生まれのブルースのギタリストで、ブルース・シンガーだ。オールマン・ブラザーズ・バンドが、フィルモアのライブでやっていた「ストーミー・マンデー Call It Stormy Monday」は有名だ。「ストーミー・マンデー」は、1947年に発表された曲だ。ジミ・ヘンドリックスがギターを背中で弾いたりしていたのは全て、T Bone Walkerのモノマネです。

 

B.B. King, "Stormy Monday Blues," ACL 1996.

T Bone Walker stormy monday

kiyasumeの弾く「ストーミーマンディー 」

 

 

They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
Wednesday is worst, and Thursday's so sad

月曜日は荒れ模様
火曜がまた悪い
月曜は荒れ模様
火曜日がまた悪い
水曜日は最悪
木曜はとても哀しい

The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
Sunday I'll go to church,and I'll kneel down to pray

金曜日に鷲が飛び
土曜に遊びに行く
金曜に鷲が飛び
土曜には遊びに行く
日曜には教会に行って
祈りにひざまづく

Lord have mercy, Lord have mercy on me
Lord have mercy, My life is in misery
You know I'm crazy 'bout my baby 
Lord, please send my baby back on to me

ああ神よお慈悲を
俺にお慈悲を賜え
神よお慈悲を
俺の人生は惨めだ
あの娘のために気が狂いそうさ
神よ どうぞあの娘を俺に返して

Sun rise in the east, it set up in the west
Sun rise in the east, it set up in the west
It's hard to tell, it's hard to tell, it's hard to tell,
which one,which one a little bad

陽は東に上がり
西に沈む
陽は東に上がり
西に沈んでいく
どちらが少しはましなのか
俺にはわからない

まあ、2曲ともブルースの定番の曲です。

 

 

MAL WALDRON & JACKIE McLEAN/Cat Walk

UNT Jazz Faculty: Sonny Red - Bluesville (1960)

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「ニヒリズムとしての形而上学」

ハイデガーによれば、「ニヒリズムの本質は無への問いが真剣に問われていないことに存する」。そして、西洋形而上学の歴史は、まさにこの点でニヒリズムであるとされる。ハイデガーの主張を簡単にまとめるならば、以下のようになるであろう。

形而上学は、存在者そのものとは何かを問うことによって、存在者の〈本質〉や、〈根拠〉あるいは〈原理〉を問題にしてきた。ハイデガーによれば、これらは結局、 存在者の〈存在〉の規定である。例えば、プラトンのイデア、アリストテレスのエネルゲイアに始まり、ヘーゲルの絶対概念、ニーチェの力への意志に到るまで、それぞれの哲学者の根本概念は、全て存在者の存在を規定するものなのである。しかし、これらの根本概念は、必ずしも存在者の存在として明確な仕方で問題にされている訳ではない。むしろ、中世哲学における〈最高原因〉としての神の概念に端的に現れているように、存在者の本質、根拠、原理と言ったものは、それ自身やはり存在者であると言わざるを得ない。つまり、世界全体の根拠が、神、主体、価値と言った仕方で捉えられることによって、存在者の現れとそもそも可能にしているはずの〈存在〉の平けがそれと共に隠れてしまう、つまり、無となって仕舞うのである。この事態をまたハイデガーはニヒリズムと呼ぶ。西洋の形而上学自体が存在を問わないがために、 ニヒリズムに陥ることになるのである。

形而上学は確かに存在者の存在を問題にしながらも、それを「一つの存在者に置き換えて仕舞う」。それ故、形而上学が存在者全体を超越して、存在が問われるべき次元へと到るのは、「ただ、存在者そのものを表-象する(vor-stellen) ため、即ち存在者に帰還するためにである。そして、このような超越においては「存在は表象的にいわば軽く触れられているに過ぎない」。つまり、存在は存在者そのものについて問うことの内でのみ問題にされ、しかもその実、本当には問題にされないままなのである。

だが、このような存在忘却は、やはり思惟の怠慢に由来するのではない。ハイデガ ーにとって、形而上学の歴史において、存在忘却がそれと気づかれないままでいることは、決して仮初めのことではなく、ある必然性を持っている。形而上学の欠陥の故に、存在を把握することが出来ないのではなく、むしろ、その逆に、「存在は、自らを存在者の内へと顕すことによって、逃れ去っている」のである。しかし、存在など初めから無いと言うことではない。それは存在の隠れであり、そのようにして隠れることが可能になるためには、存在は何らかの仕方で現れているのでなければならない。こうして、存在は存在者そのものの規定の内で、本質、根拠などという、いわば〈仮の姿〉に身を隠しながら現れている。換言すれば、存在の迷わしが、 上に述べたような形而上学の根本概念の変遷を可能にする歴史的な〈場〉ないしは「在処」(Ort)を開くのである。ハイデガーは、即ち、形而上学の存在者の規定は、各々の時代に生きる人間の存在者との関わりを、全体として規制する枠組みとなっているのであり、人間はその下でそれとは知らずして「執-存」(In-sistenz)の内に入り込 んで仕舞っているのである。

しかも、この迷わしの場、つまり「迷域」(Irrtum)の 内で形而上学は、自らの存在忘却と言う〈本質〉に気づくことなく変遷する。このことは存在の現れの側から言えば「存在の歴史のエポック(Epoche)」ないしは「留まり」(Bleibe)である。しかし、そのようなエポックにおいて、存在は「姿を現さない」(ausbleiben)、つまり形而上学の歴史の外側に留まっている。だが、それは形而上学の歴史の外側に、存在の歴史が並立しているにも関わらず、形而上学はそれに気がつかないと言うことではない。むしろ形而上学の歴史は、存在が自らを顕にしないという仕方で自らを「贈る」(schicken)存在の歴史であり、それをハイデガーは、歴史的運命、即ち「歴運」(Geschick)と呼ぶ。そしてあるエポックから次のエポックへと「世界歴史」は、急激な仕方で移り行くのである。それ故「形而上学の 本質は、それが存在者そのものの真理の歴史として、存在自身の歴運から起こっていることとなろう。形而上学はその本質において、存在自身の、留保されているが故に考えられていない秘密となるだろう」。

さて、このような上空俯瞰的な議論は、すでにニーチェ解釈において確認したよう に、個々の哲学者の学説に対する忠実な態度とは相容れないものがあるが、存在が姿を現さないことと、ニーチェにおいてニヒリズムが大きな課題になったこととには注目すべき連関が認められるであろう。すでにニーチェが看破したように、プラトニズム自体がニヒリズムなのであるが、ニヒリズムの教説としての主張(とハイデガーが理解する)が今度は形而上学の完成となる、そう言う時代にまで存在の歴史は進んだと言うことである。ハイデガーが形而上学の全体を見渡すような立場に立つことがで出来るのも、ニヒリズムの進行ないしは深刻化によって、自らの時代の危機が極まっているために他ならない。

 

 〜ニヒリズムと言うとこの人のことが頭に浮かぶ。〜

坂口 安吾(1906年(明治39年)- 1955年(昭和30年))は、小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学インド哲学倫理科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田左之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された。

坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家とは言えないが、その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だと言われている。

晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家です。またアンコウを共食いと言い好んで食べたそうです。

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〜宮崎駿、ニヒリズムについて語る。〜
伝導の書(旧約聖書の一書)に書かれている突き抜けたニヒリズムって言うのは読んでいてちょっと元気が出ました。 汝の尽くせる限りのことを尽くせと、黄泉(よみ)の国にいったら何にも無いよって(笑)。
権謀(その場に応じた策略)も術策(はかりごと)もないけど知恵も知識もない、だからお前の空なる人生のあいだは自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで、額に汗流して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様もよしとしてるんだって言う。
すごいですねぇ、旧約聖書って言うのはすごいものなんだなぁっているのを初めてその時知ったんですけど(笑)

「お前の空なる人生」とここまでアッサリ言われてしまうと、人生の意義や目的を求めて苦しんでいたのがバカらしくなってしまいます。その上で、食って飲んで楽しんでやれるだけのことをやれと言ってくれています。突き抜けちゃうとそんなものかもしれません。

さらに、突き抜けたニヒリズムを動機づけるものは?と聞かれて次のように答えています。

「ええ、難しいですね、ものすごく難しいと思います。でも安直なイデオロギーは手に入れたくないですね。だからやっぱり、どうもねぇ、ある種の歴史観で見ちゃうと「どうしてこの時代に人が生きていたんだろう、生きていられたんだろう」って、理解できなくなる瞬間があるんですよ。どうも人が生きるっているのは、そう言うのとはなんか根源的にちょっと違うものなんだなって言う。「人がなぜ生きていくのか」とかさ。それをこのごろ思いますね。子供をいっぱい作れっていうようになっちゃいましたから(笑)。
とにかくいっぱい作っていっぱい苦しんでね。アトピーに悩み、環境問題に悩み経済に悩みながら生きているくことがどうやら生きてくと言うことらしいと。そうやって当面、あと10年ぐらい生きていこうって言う風に僕は決めたんです(笑)」 

突き抜けたニヒリズムを動機づけるものは、やっぱり人間らしい暮らしの中にある、と言うことだと思います。

「いやぁ、だから人って言うのは愚かなものなんだよって言うね。実は僕は母親とその問題をめぐって、ずーっと思春期の頃に論争してたんです。「人間って言うのは仕方がないものなんだ」っているのがオフクロの持論で、僕は「そんなことはない」って言い合ってたんですけどね。どうもこのままいくと、オフクロに無条件降伏になるから嫌だなと思って(笑)」

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「COBRA」

左腕に特殊な高性能銃「サイコガン」を付けた、一匹狼の宇宙海賊・コブラの活躍を、アメコミ風タッチで描く痛快SFアクション(スペース・オペラ)。原型となる作品に『シグマ45』がある。

『週刊少年ジャンプ』で1978年から1984年にかけて断続的に連載され、その後も『スーパージャンプ』、『コミックフラッパー』と掲載誌を変えながら、断続的にではあるが作品を継続している(現時点での最新エピソードは2006年に完結しているが、作品自体の完結は宣言されていない)。

 

 「コブラ」の画像検索結果

 

寺沢が癖の強い人物で、さらに作画に極めてこだわることから週刊連載が不可能になるが、当時の編集長であった西村繁男のお気に入りの作品であったことから優遇され、第2部「黒竜王」編(1981年)以降、ジャンプでは珍しい描き溜めシステムがとられ、ある程度執筆が進んだ段階で連載再開→エピソード終了による連載休止が繰り返された。西村によると、せっかく人気が上昇してもすぐに中断になることから、なかなかスムーズにいかなかったらしい。西村がジャンプの編集長を退任し、新たに『スーパージャンプ』を創刊し編集長に就任すると、寺沢も共に移籍した。

既刊作品がたびたび版を変えて再発売されるロングセラーになっている。ジャンプ系雑誌の発刊社である集英社で連載をしていた当時には同社から単行本が刊行されていた(現在集英社によるコミックは全て絶版)。コミックフラッパーに移籍後は発売元であるメディアファクトリー(MF社。現・KADOKAWA)からジャンプ時代のコミックスより「黒竜王」「ラグボール」「神の瞳」編などが完全版コミックスおよびフルカラー版と成り発売。2014~2015年には廉価版(いわゆるコンビニ・コミック版)が刊行されている(なおMF/KADOKAWA社に移行後、英語表記が SPACE ADVENTURE COBRA から COBRA THE SPACE PIRATE となった)。また、eBookでほとんどのエピソードの購読が可能。

 

 super agente cobra capitulo 8 parte 1

super agente cobra capitulo 8 parte 2

 

今日の夕飯。。。。

 

「止められるか、俺たちを」DVD発売中。。。

映画を武器に社会を変えたい-。青春映画「止められるか、俺たちを」(白石和彌監督)は鬼才、若松孝二監督(1936~2012年)の若き日と弟子たちの奮闘を実話に基づいて映画化した作品だ。主演、井浦新(44)が「師匠」と慕う若松監督を熱演した。「恩師を演じるのは恐れ多くて…」。出演の打診に井浦は1カ月ほど回答を留保した。だが少しずつ「自分以外にいない」との自負がこみ上げてきた。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(平成20年)など若松作品に5作出演。24年に不慮の死を遂げた若松監督の葬儀では弔辞を読むなど、「若松組の顔」との思いが強かったからだ。

脚本に目を通した井浦は驚いた。ダブル主演の門脇麦(26)が演じた若松組の助監督、吉積めぐみの存在など初耳だった。「若松監督の口から一度も聞いたことがない。50年も前に若い女性がピンク作品を懸命に撮っていたなんて…」ピンク作品の監督を任せるなど、めぐみを一人前に育てようとかわいがる若松監督の姿は井浦にとって新鮮。また、「内輪話に陥らず、将来や生き方に迷う若者たちを丁寧に描いている」と好感を持った。

作中、徐々に頭角を現すめぐみは「自分が撮りたいものが分からない…」と焦燥感に駆られる。そんな彼女を行きつけのバーに連れ出した若松監督が、「お前は腹立つことはないのか。何をぶち壊したいんだ。俺はぶち壊したいよ。この腐った世の中を」と東北弁で熱く語る場面は迫力と温かさに満ちている。「若松監督は、まずは何かにやみくもに打ち込むことで感動が生まれてくる-と教えたかったはず。僕も彼と出会い、エネルギッシュな仕事ぶりから仕事の面白さを学んだ」と井浦。

井浦も物語のめぐみも現状とは違う何かを求め、一層仕事に身が入るようになった。井浦はどんな役者人生を目指すのか答えを出せていないが、「一つ一つ丁寧に仕事をこなしたその先に、おのずと答えは出てくる」と信じている。

 

門脇麦、井浦新 『止められるか、俺たちを』 【2018】 映画予告編

 

本作は、実在した吉積めぐみという女性助監督の話でもありますが白石監督自身の話でもあります。

白石監督は実際に若手時代、若松プロで見習いからはじめ助監督業務をしていて、劇中のめぐみと同じように何度も若松監督に怒鳴られたそうです。若松孝二のような異常なまでの情熱や型破りさがないと監督にはなれないと考えていた点もめぐみと重なり、自身の初監督作の試写で若松の意見が気になったと言うのも同じです。

めぐみは夢半ばで儚い運命をたどりましたが、めぐみの死後に生まれ、同じく若松に育てられた白石監督が彼女をスクリーンに蘇らせました。そして晩年の若松作品に多数出演し若松孝二に育てられた井浦新が若松監督本人を演じ、若松プロのスタッフ役も実際に若松孝二とゆかりの深い役者が演じています。

少しだけ登場する寺島しのぶや奥田瑛二、渋川清彦も若松組の俳優です。

劇中に登場する足立正生、荒井晴彦、高間賢治もアドバイザーとして本作に関わっています。そんな現場ゆえに、若松プロも当時の荒れた日本の空気感も完璧に再現されています。

一方で、めぐみを演じた門脇麦は、生前の若松監督を知らないからこそ、男社会の若松プロの中で戦う女性助監督を見事に体現しています。なにもわからないまま若松プロにやってきて、徐々に映画の世界そして若松孝二や足立正生に惹かれていくめぐみの姿とリアルにシンクロしていました。

若松プロの事も当時の空気感も知らない方が観ても、嘘くさく見えず実在感のあるキャラ造形になっています。そして若松プロの映画を撮影風景も含めしっかり再現しているのも見所です。本作で登場する若松プロの映画は全てピンク要素がありますが、それは映画を作るための手段に過ぎません。

逆に「男女の絡みさえあれば後は何しても自由」という制作体制だったのです。おかげで政治的にも倫理的にも尖った作品がたくさん生まれました。もちろん大儲けできるような映画作りではありませんでしたが、みんなやりたいことを熱意を持ってやれていた、まるで映画界全体が青春と呼べるような時代でした。

 

井浦新、白石和彌監督、井上淳一(脚本)『止められるか、俺たちを』名古屋舞台挨拶REPORT

 

めぐみの成長と挫折

本作は、昔の若松プロを再現した映画でもありますが、何よりもめぐみと言う1人の女性の話です。

彼女は映画が好きで若松プロに入ってきますが、当初は「こんな映画を撮りたい」というビジョンは持ち合わせていませんでした。

しかし、途中で自分の初監督作で失敗してから彼女にも沸々とこみ上げるものが出てきます。それを表すのが劇中に2度ある男たちの放尿のシーン。最初の若松と赤塚が放尿するシーンではめぐみはそれを面白がって見てるだけですが、後半でガイラやオバケが放尿する時は「あたしも~」と一緒に放尿したがります。このエピソードは事実かわかりませんが、ここにおける放尿とは「自分の作品や思想を世に放つこと」を表します。

新人の時は若松・赤塚の天才2人の放尿は遠い世界の出来事のように見ていましたが、同じ助監督だったガイラとオバケが自分たちの映画を撮りだした時期の放尿には過剰に反応します。自分はまだ自分が世間に伝えたいことが見つかっておらず、まだ満足いく監督作もない。めぐみにはそんな焦りの意識が芽生えていたのです。

しかし彼女は新聞記者の取材とは裏腹に、女性であることのプレッシャーに負けたかのような最期を遂げます。本作の前半ではバックボーンも何も分からずに映画作りにのめりこんでいくめぐみの姿が描かれていますが、妊娠や才能の壁にぶつかる後半では、彼女の家族や昔のことが段々とわかるようになっています。

前半では彼女を鼓舞する役割だったウィスキーが、最後の最後で彼女を殺す事になると言う小道具の使い方も上手いです。しかし本作は、悲劇で終わる映画ではありません。

ラストでも描かれているように若松孝二は2012年に交通事故で亡くなるまで、愛弟子の死という理不尽な現実への怒りも創作のパワーに変えて挑戦的な映画を撮り続けました。

それは同時代の仲間たちや、後の世代の白石監督や井浦新にも伝わり伝播するほどの熱意です。そして結果としてめぐみは死後40数年を経てスクリーンに蘇ります。歩みを止めなかった若松プロだからこそ出来た奇跡のような作品です。

『止められるか、俺たちを』の「俺たち」の部分には途方もない人数の関わりが入っているのではないでしょうか。本作は、映画制作が熱かった時代を見事に再現した映画です。

「映画を武器に世界と闘う」「映画で世界をぶち壊す」と言う若松の言葉のような映画作りは、熱意さえあれば時代関係なく可能なのです。白石監督もキャストたちもスタッフも若松プロも今後止まることなくどんどん突っ走ってくれることでしょう。

本作のパンフレットには劇中の業界用語や時代背景、若松プロの作品の説明に濃いインタビューなどが載っているので必見です。

追伸・・・・・。

この映画には続編が出来ました。その映画の紹介もついでに載せておきます。

青春ジャック 止められるか、俺たちを2

劇場公開日:2024年3月15日

 

青春ジャック 止められるか、俺たちを2
青春ジャック 止められるか、俺たちを2
 
 

解説

若松孝二監督が代表を務めた若松プロダクションの黎明期を描いた映画「止められるか、俺たちを」の続編で、若松監督が名古屋に作ったミニシアター「シネマスコーレ」を舞台に描いた青春群像劇。

熱くなることがカッコ悪いと思われるようになった1980年代。ビデオの普及によって人々の映画館離れが進む中、若松孝二はそんな時代に逆行するように名古屋にミニシアター「シネマスコーレ」を立ち上げる。支配人に抜てきされたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞めて地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治で、木全は若松に振り回されながらも持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。そんなシネマスコーレには、金本法子、井上淳一ら映画に人生をジャックされた若者たちが吸い寄せられてくる。

前作に続いて井浦新が若松孝二を演じ、木全役を東出昌大、金本役を芋生悠、井上役を杉田雷麟が務める。前作で脚本を担当した井上淳一が監督・脚本を手がけ、自身の経験をもとに撮りあげた。

2024年製作/119分/G/日本
配給:若松プロダクション
劇場公開日:2024年3月15日

スタッフ・キャスト

  • 若松孝二:井浦新

  • 木全純治:東出昌大

  • 金本法子:芋生悠

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』予告編 3月15日テアトル新宿ほか全国ロードショー

映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』主題歌「まだみぬ果ては」ミュージックビデオ

 

下はレッド・ツッペリンのLive映像です。

Led Zeppelin - Immigrant Song (Live 1972) (Official Video)

Led Zeppelin - Whole Lotta Love (Official Music Video)

Led Zeppelin - The Ocean (Live at Madison Square Garden 1973)

Led Zeppelin In My Time Of Dying Mhotership

Led Zeppelin - Kashmir (Live at Knebworth 1979) (Official Video)

 

コメント一覧

kiyasume
幼稚絵NJUさん、再度の書き込み有難う御座います。

私はあの映画で、テレビで若い横暴なアイドルの女の子を
どうしようもないと思って見ていた、原田芳雄が(プロデューサー)
が唯一この女💢と思って居るとそれを感じた彼女が照明の鎖だったけ
かな、あれを自分に好意を持ってるスタッフに命令させて切って
置いて、その下を通った原田が上を見上げると落ちてきて死んで
しまったり。B29が民家を空爆して居るんだけども、焼け跡では
ファッションモデルが雑誌の撮影をしていたり・・・・・・。

なんと言うか?はちゃめちゃな話になってしまっていましたよね。
でも、最後に町が大火災で燃え落ちる中、その中を白痴の女の子の
手を取って「いいか、絶対に手を離すなよ」と言いながら川の中を
腰まで浸かりながら。歩いて行くシーン、あの火災は本当にセットの家々に火をつけて焼いて撮影したらしいですよ。

黒澤並みの撮影をしていましたよね・・・・・・・・・。

幼稚絵NJUさんがおしゃって居るのは最後の方のシーンですよね。
あの女神の巨人は???・・・・・・・。

僕はなんか?坂口安吾の原作と言うよりも手塚治虫の影響を
強く感じました。原田芳雄は無頼でしたし、草刈正雄は気狂いと
呼ばれて居る話では「狂人」と言われていましたが、博識で、、
色々と主人公たちに教える逸話がよく演出が出来て居るなと
思いました。

それから女郎たちが住んでいる家が幾何学的な作りで、、、
奇妙なシーンだなと思いましたよ・・・・・・。

でも如何にも手塚 眞らしい演出で良かったですよね。
あの映画、確かイタリアでしたっけ映画祭で賞を取っていますよね?
確かに「ばるぼら」でもそうでしたけどスタイリッシュに映画を
撮りますよね。感想有難う御座いました☺️

また来て下さいね。今日は蒸し暑いよね。🤗
幼稚絵NJU
はい、手塚眞監督の「白痴」は観ておりますよ。
やはりずっと前に1度観ただけなので細かい内容は忘れましたが…小説とは違いますよね?
私は画面記憶があって…
白痴と言われる女の子がとてもモデルのようなスタイリッシュな感じで透き通るように美しく
原田芳雄さんの格好も未来風で、何だか夢のような映像でした。
主人公達は光のトンネルをくぐっていましたね。

手塚眞さんの映画って、デビューの時からスタイリッシュですよね…

今日は、蒸し暑いですね
それではまた⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾
kiyasume
幼稚絵NJUさん、書き込みどうも有難う御座います🤗
坂口安吾さんの小説は確かに無頼派的な側面がありますよね?
実は私は「白痴」しか読んだことが無いものでして。

でも最近のドラマとかや映画では軍隊生活の悲惨さやら、
人々の暮らしの貧しさだとかで、どうしよう無いと言う事ばかりが、
強調されて居ますが。実際は戦時下でも人々の喜怒哀楽はあった訳で、

処で、「手塚治虫」の息子で映画監督の「手塚 眞」が「白痴」を
現代の架空の戦争に置き換えて、映画を撮って居ますが・・・・・。
ご覧に成りましたか?小説の本質を掴みながら、たくみに今の世に
戦争がずっと続いて居たらと言う視点である国民的なアイドルの
女の子を軸にして、白痴と呼ばれる女の子と共にその時代を生きて
行くと言う映画ですよ。だいぶ小説を現代的にして居ますけどね。

最後に壮大なCG映像があります、神の視点から見た映像です。
もしご覧に成って無かったら、ぜひ一度ご覧に成って見て下さいね。
ちなみに原田芳雄が無頼派的なプロデューサー役を好演しています。
また草刈正雄が知性溢れた頭を持つ狂人として描かれて居ます。
また、この映画は破格の30億円が松竹で掛けられました。

昨年かな、リバイバル公開をミニシアターでして居ました、、、
原作の坂口安吾のエッセンスを取り出しながら手塚 眞流に、
演出して居ますが、いい映画だと思います。。。。

それでは、また来て下さいね。よろしくね。🙏(*^^*)
幼稚絵NJU
こんにちはkiyasumeさん☺️

私はどちらかというと無頼派の人間に興味があり
坂口安吾さんの小説も読んだり「堕落論」も読みました。
大勢に入らず右や左にも入らず俯瞰で見るという姿勢の人で

「白痴」という小説を読んだら
これこそは戦争小説として凄いと思わざるを得ませんでした。

戦後に
「こんなに戦中は辛かった」
という映画やドラマが多く
確かにそうだっだんだろうと思いますが

世の中が皆同じ状況だったので
案外人々の格差が無く

坂口安吾の書く戦中は、残された者達が歌を歌いながらも乗り切ったり
様々な恋愛、人間模様があったので

目が覚めたような気持ちになりました。

「この世界の片隅に」というアニメもそれに近かったんですけれどね。
それではまたね
╰⁠(⁠*⁠´⁠︶⁠`⁠*⁠)⁠╯
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