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粟島一行日記

粟島生活8年目突入。民宿に嫁ぎました。
新潟県民も知らない、粟島の日常。

「クローズアップ現代 粟島」の感想

2016-01-14 22:47:46 | 地方、田舎について考えたこと

昨日、NHKのクローズアップ現代に
粟島の地方創生についての取り組み
、が出ました。


今回は、それを見た感想。


ざっくり言うと、

・VTRがすごいダイジェストされとる!
・山崎亮さんの言葉が良かった


特に「つむぎ直す」コメントが秀逸でした。
分かりやすく伝わりやすい表現とはこういうこと!のお手本のよう。

自分も、良い表現で意見を伝えられるように頑張ろー‼

と、昨日番組を見終えた時点で思ってたけど…、


ツイッターなどの即興的な番組感想では
あまり良い印象ではなかったようです。


そんなわけで、ツイッターまとめを読み漁り

改めて、クローズアップ現代の番組について考えてみた。


まず「誰に、見て良いな」と
番組を作った人が感じてほしかったのか、

まず粟島の人、

この問題を自分事として見ている人たち
つまり同じような消滅可能性自治体と過疎地&離島の人たち。

何が問題なのか分かりやすいキャラと舞台の物語設定と、
それに対する山崎亮さんの鮮やかなまとめのコメントの番組構成にして

過疎地や離島の高齢者に
問題意識をもってほしかったのだ

若者だけが変わるのではなく年長者も変わらねばならない

と番組を作った人たちの思いを感じる



この番組内容を

自分事として捉えるか、
他人事として捉えるかで

見る人の意見を二分する番組内容だったのかなとも思う。


特にツイッターの感想は、他人事として捉えたものが多い。そりゃ街に住んでいれば、そうなるよね。


ムラ社会の闇とか、過疎地離島あるある問題と、他人事としてネガティブに捉えられるのも事実でしょう。

でもこの人口減少って
他人事ではないのですよ。

それこそ粟島は日本の縮図ですから、

近い将来どこでも粟島みたいになるんじゃないかな。


だから粟島は今、
時代の最先端を進んでいると思っています。

どんな産業だって衰退する時期は来る

大事なのは、
衰退するかどうかの境目で、どう世代交代するかなんだと。

人が総入れ換えするのか
人が変化するか

それを決めようとしている
粟島は、そんな島。

今日は雪

小正月のだんご木



ちなみに
民宿の同一料金とは、基本料金のこと。
そこにサービス料などが加算されたりする所もあるので

民宿によってちょっとずつ違います。




今年もよろしく




地元感覚について思い至る

2014-10-21 06:01:33 | 地方、田舎について考えたこと
その地域のローカルテレビ局とリモコンのチャンネルが
メジャーのどのテレビ系列でどのチャンネルに対応するか

これが分かっていると、
ちゃんとココに住んでるなという地元感が芽生えることに思い至る。

この感覚は、自分がテレビを見て育った世代だからかもしれないけど。


地域のどこが栄えているとか
スーパーの特徴が分かるとか
行きつけの店や気に入ってる場所があるとか
馴染みの人や友達、知り合いがいるとか

そういうことでは地元感が芽生えてこない。

それらは一時を過ごすためのテリトリーの把握と認識なのであって

それらだけでは地元って感覚は芽生えてこないんだよね。


家に帰ってテレビを見る
育った環境がそうだったから

テレビのチャンネルが分かると
その環境を思いだし、地元感が芽生えるんだろう。


と、
明け方、娘の看病をしたあと考えていた。


「地域のこし」と移住者の意識

2014-05-10 10:12:43 | 地方、田舎について考えたこと
たまには、こんな記事を…

自分が島に来た5年前は7人だった。
そして5年前に居た移住者は半分が去り、
現在、移住者は30人前後。


移住者が増えるのは、良いことか?

単純にいえば、yes。
だけれど、粟島という地域文化の面では、将来的にはNoかな。

都会だろうが田舎だろうがどこの土地でも、先住の文化や風習がある。

基本的にどの人もそれを踏まえて移住していると思っている
が、関わり方が人によって違うように見える。

①すべて関わらない、参加しない
②お客さんの立場で関わり、楽しむ
③興味のあるのだけ参加する
④当事者意識をもって参加する

地域の若者は、使命みたいに
当事者として文化、風習すべて関わることが求められてきたけど、
今は、①か③。④は地域の年寄りが多い。

Iターン者のほとんどが②

この関わり方の違いが将来的にNoということの論拠。
お客さんの立場では文化風習を続けることはできない。楽しむだけでは当事者が抱えているモノに気付けない、知ることができない。
いや、知ろうと思わないから
お客さんの立場なのだ。
だから当事者となる地域の先住の人が少なくなれば、その地域の文化風習は絶えてしまうんじゃないかな。


地域を残すのなら、当事者にならなければ出来ないのだから

ま、誰もそこまで考えないかな…


コレは、あくまでも自分の一意見
すべて書いてあることが正しいと思って書いてる訳ではありません。
こう思ってるよ、と言ってるだけです。


懐かしい未来って、何

2013-01-28 18:05:00 | 地方、田舎について考えたこと
批判や評価をしたいわけでなく、

耳にして、ちょっとした不思議さがありましたので。

たまには

思ったことを綴ろうかと。


懐かしい未来って
最近、どこから伝え聞いたか分からないが、何故か、よく耳に覚えがあって。

「懐かしい未来」と聞いた時、


なんとなく、伝えたいことは分かるんだけど
なんだか煙に巻かれるような

その言葉が示しているものが、あやふやで、曖昧な感じがします。

人によって、その言葉から連想されるイメージって違うんじゃないかしら



だって

過去を懐かしく思うのは、自分の今の時間軸から後退した地点をみるってことでしょう
            (つまり、「懐かしい」=ふり返る、思いかえす)
未来というのは、今の時間軸から進んだ地点のことでしょう。

で、未来って懐かしく思うものなのか?
それとも、懐かしいと大体の人が思うものを、未来に作ろうよってことなのか?
懐かしいあの時代に、未来には戻りましょうよってことなのか?
そもそも、誰(どの年代)が懐かしいと感じる未来なのか?

目指す未来っていうのは、
その目指しているそのまた先に、「誰か」が居てその「誰か」が懐かしいと思うってことなのか、そうすると、その「誰か」が暮らしている時間軸もそれもまた未来だろ?

こうやって
考えれば、考えるほど
もやもやしますね。

何かを、新しいことを、おこそうとするときって、やっぱり明確なイメージを持たせる言葉って必要だと思う。
コミュニティの大小関係なく。
志を共にしたり、協力や支援がほしいときに、明確さに欠けた言葉を使って共感や協力を得たりするのは、すごく難しい。
想像できないものに対して、共感しづらいもんよ。
それこそ、
未来って新しいことに向かっていくことなんだから。
そこへ、明確なイメージを持たないことばを使って先導者となるのは、どうなの


そのことばが何を指すのか、

明確な何かがない、

煙に巻かれて、おしまい。



「懐かしい過去」と言われれば、
ストンと腹に落ちるのに

 過去が未来に、変換されると
とたんに、曖昧なもやもやと腹に残る。

自分にとって「懐かしい未来」は、そんなことば。



皆、どんなイメージなんだろうな。
そもそも、どこから聞いたんだっけな