吹田市北山田地区公民館ブログです!

公民館の日常活動を写真付きで紹介します。

圓照寺 地蔵盆

2020-08-26 15:05:36 | 行事

毎年8月24日にお勤めをされる円照寺「地蔵盆」は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、本年の法会は住職・僧侶および寺役員のみにて執行された。例年は「大念珠まわし」「法印加持」「抽選会」等近所の大勢の子ども参加の内ににぎやかな地蔵盆の法会とお聞きしたが、静かに法会が執り行われた。

そもそも「地蔵盆」とは〈8月(古くは陰暦7月)23・24日の地蔵菩薩の縁日に行う会式。この日児童が石地蔵に香華を供えてまつる風習がある〉とのことで、京阪の地方に盛んな行事とのことである。また、「地蔵と閻魔は一」という言葉もあり、〈地蔵も閻魔も共に本地は阿弥陀如来で、地蔵はその慈悲を、閻魔はその憤怒を示現するということ〉で、なかなかこのお地蔵さまも奥が深そうであります。館長の地蔵盆の印象は、毎年この頃、学校時代は夏休みの終わる焦りの頃で宿題を焦り出す気持ちで、夕方にはふと涼しい風を感じる頃合いではあったが、今年は、児童生徒もすでに夏休みは終わり、涼しい風もトンと吹かない今日の残暑です。

来年は、本来のにぎやかな地蔵盆が執行されます様、願っております。


地域散歩 3、法林寺

2020-08-22 11:59:29 | 日記

〇法林寺

名称 法林寺 (ほうりんじ)

宗派 浄土真宗大谷派

本尊 阿弥陀如来

創立 明暦年間(1655~1658)、茨木別院(浄土真宗大谷派)の道場として発足、多家と称した。天保の頃(1830)、安楽寺(茨木市沢良宜)より法林が入り、初代・法林とする。明治年間、茨木別院支院となり、昭和23年3月本山より法林寺の寺号公称の許可を受ける。昭和48年(1973)後継者無く廃止す。

このお寺は、館長の家の元檀那寺でこのお寺のご住職が毎月の月参りに来られていたことを幼心によく覚えています。このご住職は、昔の村役場の役員や市に合併後の上の町会長(今の自治会長)を永く務められたり、山一公民館の館長も歴任されています。

地域の若い皆さんは、このお寺の存在が遠い過去のものになり、ほとんど知られていないようですが、写真のように何体かのお地蔵さんが祭られていて、かつての存在をアピールするかのようです。地域の高齢の方々はこの寺を「カケショ」と呼んで来ました。辞書などで確認すると、「掛所・懸所」〔浄土真宗大谷派の寺院で地方に設けられた別院。後には別院の支院を呼ぶ。〕というのがこれに相当すると思われます。


地域散歩 2、正業寺

2020-08-16 12:41:49 | 日記

〇正業寺

名称 齊嶺山 正業寺 (さいれいざん しょうごうじ)

宗派 浄土真宗本願寺派

本尊 阿弥陀如来

創立 天文二十二(1553)年 浄土真宗道場を開く

このお寺は、館長にとって馴染みの寺である。小学校2年生ぐらいの時にこのお寺で絵画教室(水彩)が開かれていて何人かの近所の小学生と本堂の端で毎週絵を描いていた。お陰で当時あった吹田市子ども写生大会で市長賞という立派な賞を頂戴できた想い出の場所である。

賞をもらったのは、当時のアサヒビール工場を今の男女共同参画センター辺りから見下ろした絵で、当時この辺りは山の状態で多くの写生児童がこの辺りから写生していた。今見ると、恥ずかしい絵だが、小学生なりの目で、当時のビール会社の特徴ある煙突を捉えたのが評価されたのかなあと思っている。

その他、確か5年か6年生頃、この当時はこの本堂でヤマハ音楽教室(オルガン)が開かれていた。

これにも1年~2年お世話になった。小学生の館長の目と耳を鍛えてもらったと今でも感謝している。

 


地域散歩 1、宗名寺

2020-08-09 16:45:43 | 日記

わが公民館の北山田小学校校区には、旧村山田上村が含まれている。(以下『山田郷土史山田のあゆみ(2001年)』より)

旧山田村は、山田郷五ヶ村として上村、中村、小川村、別所村、下村があった。

色々な経緯の結果、昭和30年に山田村と吹田市の合併が成立した。

昭和55年北山田小学校開校にともない、山田東4丁目(一部2丁目)山田上自治会の子どもたち5年生以下が館長の母校でもある吹田市立山田第一小学校より転校した。

〇この上地域には昔からの立派なお寺が二ヶ寺ある。厳密にはもう一ヶ寺あった。順に紹介したい。

  宗名寺

名称 光耀山 宗名寺(こうようざん そうみょうじ)

宗派 浄土真宗 本願寺派

本尊 阿弥陀如来

創立 開創については、圓照寺の中興・安養寺の開創と深い関りがある。天文年中(1532~1555)後期 教善は、父の命を受け上村に道場(宗名寺)を開く