若槻の木次小校長ブログ(2015.4.1~2019.3.31)

若槻の木次小校長時代の4年間の記録です。(今後の更新はありません)

新年の決意

2018年01月02日 20時46分56秒 | 日記

1月2日、学校に行ってみました。よい天気で穏やかな年明けの雰囲気でした。

年末にあるメーリングリストの原稿の執筆で苦戦していました。その原稿を紹介します。

※12月31日に発行されました。

◆原稿が書けない!?

編集長さんには申し訳ないですが、本当に原稿が書けなってしましました。
スランプというよりは、書くことが見つからないのです。もっと言えば、自分を
追い込んで書くぞ!という頑張りがきかなくなってしまったようです。

客観的に見れば、他に忙しいことがあって、執筆のための時間がとれないという
理由になるのかもしれなません。でも、以前だったら、PCに向かってできるま
では寝ないぞ!と自分を追い込み、何とか原稿が間に合ったり、少し遅れてでも
完成していたのですが…。

習慣というか慣れというか、文章を書くということを継続的にしていないと、そ
のための感覚というのが鈍ってしまうように最近は感じています。

ところで、実は、私は毎学期、職員へのお礼の手紙を全員に書いています。学級
担任時代に通信票の所見を出したら、ある管理職からのメッセージを若いときに
もらいました。うれしかったことを思い出し、校長になってからずっと担任以外
にも職員にもずっと手紙を出し続けてきました。

この手紙も今回は難産でした。学期末に、ある応募論文の執筆があり、それに時
間がかかってしまったせいもありますが、なかなか筆が進みませんでした。

やっと書き終えて、休みになった職員室の机の上に置いたのが数日前でした。
見てもらうのは来年になってからになってしまいました。

◆授業もうまくいかない!?

定期的な授業をしなくなって10年が経ちました。指導主事3年、続いて校長を7年
しています。研究授業は年に1回やらせてもらっていますが、いざ授業で教壇に
立つと、うまくいかない自分の授業の進め方に毎回反省させられます。感覚が鈍
ってしまったように思えるのです。

担任でない子どもたちの反応の予想がつかない。準備段階での想定が不十分。教
師修行という日々の積み重ねがやはり教師には必要で、たまにやっても追いつか
ないのだ。授業力向上のための日々の努力が足りないのだ。

授業を真剣勝負ととらえれば、実践から遠ざかっていては太刀打ち行かないので
しょう。

校長として日々授業という修行を行うことはできないのですが、日頃から先生た
ちの授業を見たり、自分も時には参加したりすることをしなければ…。

よし!これを新年の決意にしてしまおう!

「文章を書く」ことと「授業を見て参加する」ことを習慣にするぞ!

新年の決意だけは1日前に出来上がった!