キシリ徹の!おんぼろファクトリー操業記

キシリ徹の
架空CMソングの作詞・作曲・制作の経緯、小さなハプニングやイカしたグッズ
についての裏話を書きます!

〇〇マニアでもある 〜架空CMソング制作以外のマニア〜

2020-07-30 17:00:00 | 日記
 去年の9月 マニアフェスタVol.3に、初めて架空CMソング制作マニアとして出展して楽しい目にあい、そこから3回ぐらいマニアフェスタに出させて頂いている。

 マニアの方々は「世の中になんとなくあるもの」としてやり過ごしてしまうようなことを、独自の視点で見て、ない概念や作品を新たに出現させてしまう方が多く、話を聞いていて面白い。

 そういう視点を持っているから、○○マニアとして出展している以外でも興味の裾野が広く、他のマニア的目線や活動を持っている方が多い。

自分も、相方のタニケンも例外ではなく、CMソング以外にも興味を持っていることがいくつかある。

もし「架空CMソング制作マニア・キシリ徹」ではなく、やなせ個人でマニアフェスタに出していたら、何マニアとするか、考えてみた。

〜〜〜

1.電光掲示板マニア
実は、キシリ徹の作品公開開始と同じ時期にやっていた趣味で、
街角にある電光掲示板を動画撮影し集めていた。

キシリ徹の初期の頃、ユニットのアカウントで #電光掲示板ソムリエ として、毎週ツイートしていた。


 一国一城の主たる店主が、サービスや商品の魅力を、電光掲示板の中で過剰に・大々的に押し出す、その内容の趣味趣向の違いがどうも好きで、札幌に居たときから気になっていた。

「魅力を(大言壮語を交えつつ)豪奢に売り出す」という意味ではCMソングにも似ているし、広告の1ジャンルといえるし、大手代理店などが一切関わっていない形で個々人が考えているが故、個性が幅広いのも魅力。

限られたキャンバスの中に、DIY(森泉)で見事なドット絵を描いてしまう人もいる。レトロゲーム好きでドット絵好きな自分の琴線に少なからず触れます。

 好きになったきっかけに、地元で老夫婦が経営している、寂れた蕎麦屋の電光掲示板が、死ぬほどバグっていて文字化けしていた話があるのだが、それは本当に出展することになったときにとっておきたい。

 動画で撮影する必要があり、街中で急に惹かれて撮影中ジッとしているのに耐えられない+撮っても手ブレがひどく自分でも見ていられない、というのでいつからか辞めてしまった。
本当にこれをマニア活動にするなら、三脚を持ち歩いて許可取りも凄くちゃんとしてやりたいとは思うが、今のところそこまでには至っていない。

〜〜〜

2.ライブカメラマニア
インターネット上で公開されている、ライブカメラ動画のマニアでもある。

 現在youtubeで見られるライブカメラ動画は幅広く
絶景・街角の何気ない風景・動物・観光地・人っ子一人いない大自然・宇宙…など様々である。


 もともと風景が好きなのもあるが、ときどきライブカメラで絶景をぼーっと見て、心を休めている。
外出できない期間も、ライブカメラで全国を回って旅行気分を味わったりしていた。

 たまに札幌のライブカメラを見て、この時期の札幌の気候を思い出してはエア里帰りしている。
台風のとき「川の様子を見てくる」という人は、ライブカメラを見ればいいのに!?と切に思う。

 好きなライブカメラはたくさんあるのだが、その中で特に好きなものを1つ
兵庫県にある『淡路島モンキーセンター』のライブカメラ

 名前の通り、猿メインのテーマパークのライブカメラだが、なぜか鹿も一緒に飼育されている。
猿と鹿は基本的に喧嘩することなく穏やかに共存している。

 諍いではないが、ときどき、画面手前にある「ししおどし」に夢中になっている猿を、鹿が諭す場面がある。
「ししおどし」は漢字で「鹿威し」と書く。”あまり俺たちを威すなよ”という鹿側からのメッセージなのかもしれない。

 ただただ気ままに振る舞う猿と鹿を見ているだけでもそれはもう愉快なのだが、
特筆すべきはエサの時間で、飼育員の手によって広範囲にエサがばらまかれると、鹿も猿もまるでタガが外れたように大騒ぎとなる。
その緩急がとても面白く、なんかアドレナリンが出る。
画面内の鹿や猿が一斉に動き出すこの狂乱だけは本当に皆に見てほしい。



夜中は何も映っていないが12時間前まで巻き戻せます。

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3.不便マニア
これは今考えている最中で明確には語れない。

 わかっていることは、この便利な世の中において直面した不便は、多くの場合、体験や思い出になるということだ。
便利な世の中は基本的に嬉しいしありがたいし、かなりその恩恵に預かっていると思う。

ただ、「不便は便利の対極にあるもの」ではないし、「便利の外にあるものはすべて不便」で「不便は役立たず、便利に浸されている私達を苛立たせるもの」ではないはずだ。
死が生の一部であるように、好都合も不都合も”都合”の一部だ。

 便利から便利へと乗り継いで生活しているなかで、イレギュラーに現れる不便を、ただの苛立ちの元と感じず、むしろその不便と踊ることができれば、不便はレアケースとして印象深い思い出になるし体験になる、とあらゆる場面で思う。

 積極的に不便になりにいく必要はないが、たまたま現れた不便や回り道を楽しめる精神性の先に、豊かな時間の感じ方があるのではないか、と思っている。

 禅の「合一」の感覚にも似ていて、”便利な風景の一部分”にあるものは気にも止めないが、不便が現れ、やり過ごそうとするときこそ、その対象について向き合って考えるきっかけになるのではないだろうか。

 めちゃくちゃ簡単な例で言うと、電車でずっとスマホをいじり速度制限になってイライラしている人を見て「スマホが速度制限になったら、その時ぐらい外の景色見たり、ぼーっとしてればいいじゃないとかそういうところから考え始めた。
 スマホは便利だし面白いからあるにこしたことはないけど、たまたま手持ち無沙汰で見た外の景色が面白かったり、発見もあるかも、と鷹揚に構えられたほうが心も穏やかだ。
なってしまった速度制限にイライラしてまで見る必要あるまとめサイトとかこの世にない。

 自分は不便にハマってから、意図的にぼーっとできるようになり「デニーズ店内のステンドグラスよく見たらすげーキレイ」とかそういうことに気づけた。
不便と踊れる座持ちの良さは、便利浸しの世の中を生きるのに何かと好都合だ。

というふうに、まだまだ抽象的でなんとなく感じているばかりで、全然まとまっていない。
けれど、もしキシリ徹ではなく、ピンで何かするとなったときに、真っ先にやりたいテーマではある。

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 ハッキリ魅力を語れることからまだ曖昧模糊なことまで、“CMソング以外のマニア”で、真っ先に思いついたのはこの3つである。
その他、ホンコンやきそばマニア・無駄記憶マニア・吉村卓マニアなどもあるがまたの機会に。


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