誰かに恋をしたとき、他人に相談したくなります。
僕はそうでした。
呑み屋で友人知人と一晩中その話をしても、気がすみません。
ある人とめいっぱい話しても、他の誰かにも話をし、また意見を聴きたくなります。
他の人はどうやっているのか、少しでも手がかりが欲しくなるのです。
でも、そもそも誰を好きになったらいいのかについては、たいていの場合、他人に相談などしません。
相談したくなるのは、好きになった後からなのです。
それはもちろん、恋をしているのは疑いようのない<自分>だけど、恋している対象は<他人>だからです。
他ならぬ<自分>の心を掴んでいる存在でありながら、よそよそしい<他人>の象徴でもある。
恋をすると、初めて自分以外の心に興味が持てるようになります。
他人の心を知りたくなります。
そして気づきます。
ふだんはいかに、自分の勝手な理屈や都合でしか他人を見ていなかったのかを。
「片想い」という言葉がありますが、これは恋の話のみならず、生きていることそのものが「片想い」なのではないでしょうか。
自分の「片想い」を発見するということは、その人の人生を外側から照らし出すということなのです。
考えてみれば、何を考えているのかわからない人間に、全身全霊を込めて恋をしてしまうというのも、不思議なことです。
その不思議が「恋」そのものの本質かもしれません。
不思議だからこそ、理由を知りたくなる。
あの時、あの人の言動や表情の意味はなんだったのか。
どうして自分はあの人を好きになったのか。
でも、理由がなんなのかを説明することが『失恋論』の目的ではなく、恋に照らし出されるということはなんなのかを捉え直してみよう――そうすればたとえ恋が成就しなくても、失恋から汲み取れるものがわかる。
そう思って書いてみました。
※MORGENという月刊紙に『失恋論』刊行記念トークが掲載されています。『失恋論』に取材等で協力してくれた四人の20代の女性と僕がお互いの恋について語り合っています。プロの書き手同士ではない、こういうトークの機会も面白かったです。全国の高校で壁新聞として貼られていることが多いとのことですが、読みたい方は直接モルゲン編集部(morgen@vesta.ocn.ne.jp HPはhttp://www.fujisan.co.jp/Product/1281680271/b/98793/)にご注文のご連絡をいただくか、雑誌専門サイト「富士山マガジンサービス」をご利用いただけらと思います。
僕はそうでした。
呑み屋で友人知人と一晩中その話をしても、気がすみません。
ある人とめいっぱい話しても、他の誰かにも話をし、また意見を聴きたくなります。
他の人はどうやっているのか、少しでも手がかりが欲しくなるのです。
でも、そもそも誰を好きになったらいいのかについては、たいていの場合、他人に相談などしません。
相談したくなるのは、好きになった後からなのです。
それはもちろん、恋をしているのは疑いようのない<自分>だけど、恋している対象は<他人>だからです。
他ならぬ<自分>の心を掴んでいる存在でありながら、よそよそしい<他人>の象徴でもある。
恋をすると、初めて自分以外の心に興味が持てるようになります。
他人の心を知りたくなります。
そして気づきます。
ふだんはいかに、自分の勝手な理屈や都合でしか他人を見ていなかったのかを。
「片想い」という言葉がありますが、これは恋の話のみならず、生きていることそのものが「片想い」なのではないでしょうか。
自分の「片想い」を発見するということは、その人の人生を外側から照らし出すということなのです。
考えてみれば、何を考えているのかわからない人間に、全身全霊を込めて恋をしてしまうというのも、不思議なことです。
その不思議が「恋」そのものの本質かもしれません。
不思議だからこそ、理由を知りたくなる。
あの時、あの人の言動や表情の意味はなんだったのか。
どうして自分はあの人を好きになったのか。
でも、理由がなんなのかを説明することが『失恋論』の目的ではなく、恋に照らし出されるということはなんなのかを捉え直してみよう――そうすればたとえ恋が成就しなくても、失恋から汲み取れるものがわかる。
そう思って書いてみました。
※MORGENという月刊紙に『失恋論』刊行記念トークが掲載されています。『失恋論』に取材等で協力してくれた四人の20代の女性と僕がお互いの恋について語り合っています。プロの書き手同士ではない、こういうトークの機会も面白かったです。全国の高校で壁新聞として貼られていることが多いとのことですが、読みたい方は直接モルゲン編集部(morgen@vesta.ocn.ne.jp HPはhttp://www.fujisan.co.jp/Product/1281680271/b/98793/)にご注文のご連絡をいただくか、雑誌専門サイト「富士山マガジンサービス」をご利用いただけらと思います。
最近、私が個人的に思うのは、他人に相談するようになった時には、その人を好きになった気持ちというのは既に終わってしまっているんではないかと。姿を見ても、声を聞いても楽しい恋のあの時期が終わって、新しい展開を迎えるのか、それともそこで終わりなのか、そういう次の段階を迎える時ではないでしょうか。
それとも、こういう感覚って私自身のとても個人的な感覚なんでしょうか。
話をしたことで落ち込むということより、いつでもそこから洩れ落ちるものがあるということを逆に確認します。
どうにもならない他者を発見することに依って初めて自分が見えてきますよね。確かに。
なぜ人を好きになるのか。自分はどう思われているのか。
いくら考えても解決しない何かですね。
もう好きな人は出来ないかもしれないと悲嘆にくれてても、性懲りもなく恋は降ってきますしね。
確認しようとしても漏れだしてしまうものがあるものなんですよね。語ったからって終わっちゃうわけじゃないんですよね。最近、ちょっと不安になっているのでした。「『可愛い』んじゃない、好きなんだ!」に通じるのかもしれませんね。