先日、ある有名人の方とお話しさせていただく機会があったのですが、その人は、世の中で話題になりやすいのは「なのに」という接続詞があてはまるものだ、とおっしゃっていました。
たとえば、こういうことなのかなと思いました―
19歳の女の子「なのに」芥川賞受賞。
資本金600万から始まった会社「なのに」時価総額7千7百億円に成長。
では、恋する人間の気持ちにこれを当てはめてみると、どうなるでしょうか―
自分のような人間「なのに」あんな素晴らしい人と恋ができる。
まさに、コレでしょう。
ということは、失恋はその逆になるのかなと。
つまり―
自分のような人間「だから」やっぱり恋は破れた。
ということに。
僕も失恋したとき、そういう気持ちになったのを思い出しました。
所詮叶わぬ夢だった。あるいはしばらくの間は夢が叶ったけれど、元に戻ってしまった。
「なのに」はこうあったらいいなという「夢」です。
「だから」は「現実」です。
世の中で「なのに」が注目されるのは当然ですね。その方がロマンがありますから。
でも裏返せば、世の中の多くの人間が「だから」という接続詞で生きているからこそ「なのに」に憧れるのだと思います。
失恋論は、「なのに」が当てはまるような存在になれなかった多くの人が、でも「なのに」になりたかったという思いの痕跡を、どう自分の中で消化していけばいいのか、ということを扱った本なのだなと、あらためて気づきました。
たとえば、こういうことなのかなと思いました―
19歳の女の子「なのに」芥川賞受賞。
資本金600万から始まった会社「なのに」時価総額7千7百億円に成長。
では、恋する人間の気持ちにこれを当てはめてみると、どうなるでしょうか―
自分のような人間「なのに」あんな素晴らしい人と恋ができる。
まさに、コレでしょう。
ということは、失恋はその逆になるのかなと。
つまり―
自分のような人間「だから」やっぱり恋は破れた。
ということに。
僕も失恋したとき、そういう気持ちになったのを思い出しました。
所詮叶わぬ夢だった。あるいはしばらくの間は夢が叶ったけれど、元に戻ってしまった。
「なのに」はこうあったらいいなという「夢」です。
「だから」は「現実」です。
世の中で「なのに」が注目されるのは当然ですね。その方がロマンがありますから。
でも裏返せば、世の中の多くの人間が「だから」という接続詞で生きているからこそ「なのに」に憧れるのだと思います。
失恋論は、「なのに」が当てはまるような存在になれなかった多くの人が、でも「なのに」になりたかったという思いの痕跡を、どう自分の中で消化していけばいいのか、ということを扱った本なのだなと、あらためて気づきました。
でも失恋したとき、ふっと素に戻れる。「だから」を受け入れることができる。そんな瞬間もあるような気がします。
ほんとそう思いますね。
僕の思考回路もそうです。
でもなかには逆に
○自分のような人間「だから」あんな素晴らしい人と恋ができる。
○自分のような人間「なのに」なぜか恋は破れた。
という傲慢な人もいるのでしょうけど(笑)
そしてそっちのほうがモテたりすることも・・・。
でも僕は切通さんと同じく前者でいたいです。強がりではなく。
>○自分のような人間「なのに」なぜか恋は破れた。
>という傲慢な人もいるのでしょうけど(笑)
>そしてそっちのほうがモテたりすることも・・・。
モテる、という意味ではそっちが当てはまることも多いでしょうね。
でも自分から「恋をする」ということではやはり「なのに」の要素が皆無では成り立たないと思います。
まさか、発見されてしまうとは思いませんでした
「だから」進行中です。
でも、「なのに」もチラリです。
人はどうして懲りないんでしょうね。
いつも、今度こそ普通に幸せになる!て思うだけなのに。
何かすごく謙虚な感じもしますが、同時に卑屈な感じもして…。もう少し自分に自信を持ちたい、そう思っています。
うまくいえないですけど……。
でも別れたばかりってどうしようもなく悲しいですね・・・。
別れたのはいろいろな事情があったのだと思いますが、これ以上続けられないなにかがあったのでしょうね。
でもそれだけぶつかり合った二人にとって、新しい明日を祝福し合えるといいですね。