この「失恋論」ばかりではなく、ブログにはたくさんの失恋談がUPされています。
毎日「失恋」という言葉でキーワード検索するだけで、「今日失恋した」という日記がいくつか出てくるほどです。
トラックバックさせていただいているあるブログでは、失恋した女性が、12月24日、近くの神社に駆け出していって、クリスマスから必死に逃げようとする姿が書かれていました。
クリスマスから積極的に逃げようとする。僕はそこになにかポジティヴさを感じました。
その女性は「ネガティブに対してポジティブになる」と自分のことをおっしゃっていましたが、きっとそれが、失恋というマイナスなことをブログや日記に書く意味なのでしょう。
その姿勢は、本当に何かを失った人を力づけると思います。
他人をより近くに感じる力が、失恋バナシにはある気がします。
僕は「失恋論」を書くことで、失恋の渦中にある人たちと対話をしてきました。
それは他のどんな話題よりも、相手を身近に感じさせるものでした。
その人とまた会いたいと思える時間でした。
そして、その背中に呼びかけたくなるのです。
「失うことばかりじゃない」と。
毎日「失恋」という言葉でキーワード検索するだけで、「今日失恋した」という日記がいくつか出てくるほどです。
トラックバックさせていただいているあるブログでは、失恋した女性が、12月24日、近くの神社に駆け出していって、クリスマスから必死に逃げようとする姿が書かれていました。
クリスマスから積極的に逃げようとする。僕はそこになにかポジティヴさを感じました。
その女性は「ネガティブに対してポジティブになる」と自分のことをおっしゃっていましたが、きっとそれが、失恋というマイナスなことをブログや日記に書く意味なのでしょう。
その姿勢は、本当に何かを失った人を力づけると思います。
他人をより近くに感じる力が、失恋バナシにはある気がします。
僕は「失恋論」を書くことで、失恋の渦中にある人たちと対話をしてきました。
それは他のどんな話題よりも、相手を身近に感じさせるものでした。
その人とまた会いたいと思える時間でした。
そして、その背中に呼びかけたくなるのです。
「失うことばかりじゃない」と。
私の失恋話で一人でも力づけることができるののなら、
それは失恋で得る幸せの一つですよね。
大事な人を失いましたが、小さな幸せにたくさん気付くことができました。
今回引用させていただいたエピソードも、KKさんの日記からでした。
ありがとうございます。
好きだった人が同じマンションに居て、電気が点いているのも、消えているのもわかる。かつて一緒にいた時間があるから、いまなにをやっているのかも想像がつく。
なのに、その中に入っていけない。そんな気持ちは、考えるだけで胸に迫ります。
小さな幸せに気づくことが出来ても、たったひとつの大きな幸せはぽっかり空いている。それは他の何者でも埋められない。
それでも、そんな気持ちを持っているのが自分ひとりじゃないことがわかるなら、他の多くの、KKさんの言葉に力づけられた人々のエネルギーがKKさん自身に流れてくることもある。そう信じたいです。そして、それはあると思います。
人間の存在は、思いは、一方通行なだけじゃないと思います。
TBありがとうございました!辿ってやってきました。
失うばかりじゃない。
失恋したばっかりのときは、その喪失感に押しつぶされそうでした。
でも今はこの経験のなかに何かを見出そうとしています。
悲しむだけなのは止めようと。
一生懸命恋愛してた自分を無駄になんかしたくない、そう思います。
けれど一方で、薄れさせたくないというのもありますね。