先週、ある人とお酒を呑んでいて、彼がこう言いました。
「好きな人を嫌いになるのは難しい」
その人は『失恋論』の中で僕が、自分をフッた女性に対して「うらみつらみ」の感情が出てしまうという部分を読んで、こう言ってくれました。
「相手をキライになりたいっていう気持ちがあるのはわかりますよ!」
僕は、どうしても相手を憎んでしまう気持ちを書いたのだけれど、彼は「キライになろうとする」気持ちとして読んだのでした。
でも、どっちみち、完全にキライになれたらラクなのに、そうできないということには変わりがない。
たとえば魚喃キリコのマンガで、惚れた男の子がヒロインに対してかなり残酷な仕打ちをしているように描かれるのは、それは「でもキライになれない」ということと比例していると思うのです。
『失恋論』のこれまでの感想の中に「成仏させます、って言うけど、なんで成仏させる必要があるんだ」という人がいて「失恋した時『成仏させたい』と思うのは自分だけの感覚だったのかな?」とやや混乱していたのですが、今回のやりとりで目から鱗が落ちました。
「好きな人をキライになるのは難しい」のに、現実には相手に受け入れられなかったり、続けられない事情があって恋は終わらなければならない。
だからこそ、恋の終わりを、相手を憎むことでなく、受け入れたいと思う。そして恋そのものをくだらないと唾を吐くのでもなく、終わりを受け入れる。
それが「成仏」で、だから自分はそれを欲していたのだ、と気づくことが出来ました。
「好きな人を嫌いになるのは難しい」
その人は『失恋論』の中で僕が、自分をフッた女性に対して「うらみつらみ」の感情が出てしまうという部分を読んで、こう言ってくれました。
「相手をキライになりたいっていう気持ちがあるのはわかりますよ!」
僕は、どうしても相手を憎んでしまう気持ちを書いたのだけれど、彼は「キライになろうとする」気持ちとして読んだのでした。
でも、どっちみち、完全にキライになれたらラクなのに、そうできないということには変わりがない。
たとえば魚喃キリコのマンガで、惚れた男の子がヒロインに対してかなり残酷な仕打ちをしているように描かれるのは、それは「でもキライになれない」ということと比例していると思うのです。
『失恋論』のこれまでの感想の中に「成仏させます、って言うけど、なんで成仏させる必要があるんだ」という人がいて「失恋した時『成仏させたい』と思うのは自分だけの感覚だったのかな?」とやや混乱していたのですが、今回のやりとりで目から鱗が落ちました。
「好きな人をキライになるのは難しい」のに、現実には相手に受け入れられなかったり、続けられない事情があって恋は終わらなければならない。
だからこそ、恋の終わりを、相手を憎むことでなく、受け入れたいと思う。そして恋そのものをくだらないと唾を吐くのでもなく、終わりを受け入れる。
それが「成仏」で、だから自分はそれを欲していたのだ、と気づくことが出来ました。
”成仏”って仏になるのではなく、本来は”成=ひらく”と読むらしいです。
自分が別のものになるのではなく、自分の中にある大切なものをひらいて出していく・・と言う意味であなたのおっしゃっている事に気持ちよく当てはまりそう・・と思いました。
もしそうやって「成仏」させることができているとしたら、『失恋論』は成功だったと思います!