きらせん

仙台のきらめき










東北大学公共政策大学院准教授
佐分利 応貴

 「八甲田山死の彷徨」

2007-08-02 22:03:52 | Weblog

  2日目、弘前から青森に。
 
  弘前から青森は車で1時間。せっかくなのでまずは弘前城を見学。

  
  
  日本100名城の一つで、桜の頃は見事だというが、裏からみるととっても貧弱で二の丸か三の丸じゃないかと思ってしまう。「え? これが天守閣なの??」って感じ。層塔型で美しいんだけど… 美人は美人でも某歌手と同じ「角度美人」ってところか。

  次に弘前城の隣にある「ねぷた資料館:ねぷた村」へ。

   
  ねぷた展示とおみやげ販売など。 
  
  
  自販機では津軽弁でおもてなししてくれる。「よぐ来たねし」

  津軽弁が気に入ったので、津軽弁の昔話CDと津軽じょんがら節のCDを買って、次なる目的地「八甲田山資料館」へ。

  途中「津軽富士」岩木山が美しい。
  
  ※昔NHKの大河ドラマ「いのち」でよく登場しましたね
  
  この岩木山、なかなか見事で、出稼ぎに出ていた津軽の人はこの山を見て「帰ってきたんだなぁ」と感慨にふけるのだろう。

  
  弘前のコンビニ。入口が地吹雪よけのため二重構造になっている。冬は正面の扉を閉め、横の扉から出入り。

    
  りんご園が沿道にちらほら。青いカバーがかぶせてある。

  
  まだこんな色。

  さて、八甲田山にある「雪中行軍遭難資料館」、ここはどうしても行きたかった。
  

  隣接する墓地。凍死した将兵たちが眠る。
  

  新田次郎原作、「八甲田山 死の彷徨」として映画もになった八甲田山雪中行軍。青森隊210人中、生き残ったのは11人という惨劇の中に、その後の太平洋戦争で顕在化し、現在に至るまで続いている日本の組織の病がある。
  

指揮官の決断―八甲田山死の雪中行軍に学ぶ極限のリーダーシップ

  この資料館、実によくできている。展示物といい、オリジナル映像といい、レベルの高さに驚いた。そして、資料館で買ったこの本、これもまた俊作である。この本を読むまで、問題の本質を十分理解できていなかった。(八甲田山が山の名前だと思っていたし)。同時期に八甲田山を踏破した弘前の福島隊との違い。指揮官とはいかにあるべきかについて平易かつ鮮烈に学べる名著である。それにしても、この悲劇で学んだ雪中行軍の教訓が日露戦争の勝利につながったとは。若者の死は全くの無駄ではなかったということか。(犠牲者には宮城県出身者もいた。)


  


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