Blog友さんの記事に紹介されてあったサイトに、
という言葉が書かれてあった。
これは大事なことだと思ったが、私には難しい教えもしれない。
短歌でも美しいことだけを詠いなさいと指導される先生もいらっしゃるが、私にはできない。
私は、悔しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、憎しみ、恨みも詠いたい。人にも語りたい。
★美しい言葉でなければ語るなと教へる人の言葉は正しい
★日々愚痴をこぼすわたしの言葉こそ美しくなき言葉なるらむ
★悲しみと苦しみ反芻するわれの吐き出す言葉うつくしくなし
★美しく生きたき希望はありながらうつそみそれをできずに生きる
★草もみぢしてゐる草を見つけたり草でも紅葉(もみ)づる秋は来にけり
『沈黙は金』とか『宝』とかでは無く、
気の利いた言葉でないなら黙っておけ…と云う意味ですね…( ̄0 ̄)/
災いは口から出ると言いますからね、でも『言った損より、言わぬ損が多い』とも言いますし、諺とか教えは大抵は正反対の言葉も用意されています。
『軽はずみな言葉は慎みなさい。』が真意なのでしょう。
でも互いに信頼があれば、間違いを認め謝罪すると云う方法もあるし、そこまで慎重に言葉を選んでいたら何も話せなくなってしまうかも知れません。
やはり時と場合によるので、いつでもどんな時でもどんな人にも当てはまる答えは無いのだと思います。
『あぁ、そう云えばそんな教えもあったな…。』と心に留めておく位が良いのかも知れません。
理想ですが、難しいですよね。
この方は実際、非常に寡黙でいらしたようです。
私は無理〜💦
多少(笑)、努力はしますが🤭
そうですね。こういう言葉は心にとどめておいて、ふだんは忘れていたほうがいいかもしれませんね。
私は、リアルでは難聴であることもあって無口なのですが、こういうネットでは、つい余計なことを書いてしまったりします。が、ネットで黙っているといないのと同じになりますから、つい書いてしまうんだと思います。そのため、誤解されたりして、ろくでもないことも起こります。😰
私はノグブラックさんへのコメント返しにも書きましたが、リアルではあまり喋らないのですが、ネットではその反動からかよく書きます。そのため誤解されたり…。黙っているのが身の安全でもあると思いますが、難しいです。
美しいとかあまり考えたことはないけど、
自分で書いた文章を、軽く校正はします。
ここは必要ないな、と思えば、サッと削ります。
必要ないなと思ったら、全部消してしまったり
誤字脱字とは別で見逃すことが多いです。
自分の文章は目でより、頭でせいかなと思っています。
私も好きですが、私は書いたらそのままアップして、その後、手直しをすることが多いです。推敲してからアップすればいいのですが、これが面倒なんですね。が、アップして他人の目で読んでみると不都合な部分も見つかり直すことになりがちです。
ヘビじゃないんだから(美しくないなら)喋るなと言われてもね・・・
事実、我らサピエンスは喋る事で脳を発達させ、誤解や失態を繰り返しながら、コミュニケ能力を進化させてきました。
でも、そこまでして美しくあるべきなんだろうか?
数学も美を追求する学問だけど、”美しくないなら論文は発表するな”と言われても。書かないと伝わらない事もあるし、どうなんだろ・・・
しかし、その美しい数学も論文で証明しないと伝わらない。この論文を書く人が必ず名文家であるとは限らないから、必ずしもすっきりした論文になるわけではない?
まあ、私のような駄文、あるいは無駄なおしゃべりは確かに美しくないということは言えますが…。
しかし、私のような人間にとっては日々の鬱憤の捌け口も必要なわけですから、美しいだけの言葉では生きていけないところもあります。
だから、そういう意味では転象さんの言われる通りですね。