昨日の記事の続きになります。
能勢町にバブルのころに買った山に、脳性麻痺で生まれた孫のために別荘を建ててやりたいと思いますが、私もピンピンコロリと死ねると約束されていたら、それも可能ですが、そうなることは、希望でも、これからどんな老後になるかわかりません。
現在はどこへでも歩いていけますが、これからはタクシーに乗ることも多くなると思います。
食事も、現在は、できるだけ手作りして外食しないようにしていますが、これからはどうなるかわかりません。
ひょっとすると、老人ホームに入らないといけなくなるかもしれません。
老人ホームに入らなくても晩年の私の母のように家政婦さんを雇ったりすれば、物入りになります。
私の母は最後まで老人ホームに入りませんでしたが、むかし看護師をしていた年配の家政婦さんに来てもらっていましたから、娘の私も月一度見に帰省するだけで良かったのですが、そんな理想的な家政婦さんを見つけることは至難ですし、お金もかかります。
私は難聴で甲斐性なしですから今からお金を作ることはできません。
でも、親だから、祖母だから、脳性麻痺で寝たきりの孫のため、なんとかしてやりたくもあります。
長男夫婦は二人共建築士の資格を持っていますから、庭付きの理想的な家を建てていますが、それでも時には孫を気分転換にどこかに連れて行ってやりたいと思うのは当然の親心だと思います。
私達は子育て中ずっと親子五人で大阪の狭いマンション暮らしをしましたが、それは、子供達が健常児だったからできたことと今になればわかります。それを思えば、神様には感謝の気持ちでいっぱいです。
私が難聴でなければパートにも行けてもっと早く一戸建ての家も買えたかもしれませんでしたが、それも運命だったのでしょう。
今はお陰様で一戸建ての家に住まわせていただいていますが、しかし、こういう障害児の孫を賜わりますと、その孫が時々気分転換のできる別荘があればと夢想してしまいます。
いくつになっても、親は子供のためになんとかしてやりたいと思うものですね。
私の母も、死ぬまで私や私の子供達や、さらにはひ孫のことまで心配してくれていたように…。
★寝たきりの孫を思へば別荘を建てて楽しまさせてやりたし
★生まれつき首も据はらぬ孫なれば坐ることさへできず寝たきり
★寝たきりで天使の笑みを見せくれる孫をまことの天使にしたし
★もの言へぬ孫の祖母われ難聴で互ひに黙して笑み交はし合ふ
★結婚後六年目にぞ授かりし孫を愛してやまざる長男
★長男の親であるからこのわれも長男の子を愛しやまざる