ある先生に、こんな話を聞かせて頂きました✨
『世の中は目に見えないもので支えられているんですよ。
空気や、携帯の電波や、また人との絆、そういった目には見えないけれど、
確実に存在する、無いと生活できないものばかりなんですよ。
そして、この世を創られた神様も目には見えません、
自分の前世も、魂も徳もみんな目には見えないけれど、確かにあるものなんです。
私達信仰者が日々向き合っているものは、実はほとんどが目には見えないものばかりなんですね。
そして一番不安なのが、
未来が分からない、先が見えないということ。
先が分からないと人は迷うし、迷ったあげく大胆な行動をとってしまう時もあり、後で後悔してしまうのです。
「この仕事をこのまま続けてていいのか、先は大丈夫か、転職してしまおうか」
「この人とこれから先、夫婦として本当にやっていけるのか、思い切って別れてしまおうか」
「親の病気がこれ以上悪くなったらどうしよう、自分達でやっていけるのか」
そういった、ほとんどの人が先が分からないという不安の中で、
いろんな物事に悩みながらも、もがきながら生活しているんですね。
神様はなぜこんなにも、目には見えないものばかりの中で私達を生かしているんでしょうか。
もし、神様が目の前に現れてくれたら、もっと純粋に信仰できるのに、
もし自分が積んできた善徳が目に見えたらもっとやる気もでて頑張れるのに、
なぜ神様は全て隠してしまわれるのだろう。と考えた事はないでしょうか。
私が今までの経験で、ようやくわかったその理由の一つは、
「分からない中だからこそ、本当の本音の自分と向き合うことができるから」
という答えに辿り着きました。
先が分からないからこそ、目には見えないからこそ、葛藤というものが生まれる。
葛藤とは、自分の本性(因縁)と自分の良心(善徳)の狭間で揺れるということ。
このときに、良心を選ぶと一つ因縁が切れて、大きな徳が積める。
この現象は、
先が分からない、あらゆるものが目には見えないからこそ起こるものなんだということ。
この葛藤を起こして、私達を根っこから助けるために神様は全てを目には見えないようにされたんですね。
この仕事でこの先大丈夫か不安で仕方ないけど、とにかくできる努力を全てやり切ってから考えよう。
この人と結婚して良かったのか今は分からないけどとにかく夫婦のために自分ができる事を今はやってみよう。
親が病気でこの先不安だけど、自分にできる親孝行を今はとにかく一生懸命尽くそう。
この教会につとめて、この先自分はどうなっていくのか分からないけれど、とにかく自分が出来る徳積みをさせてもらおう。
こんなふうに思えて不安な中でも行動していく先に、大きな心の安心感が必ず訪れるようになってるんですよ。』
このようなお話を聞かせて頂きました✨
これからも先が分からない中を、自分が出来る目の前のことを一生懸命つとめたいと思います!!
ありがとうございました✨
もやもやしてた気持ちが、ちょっと、吹っ切れた感じです。
また毎日更新しますので良ければ覗いて下さいね✨✨