きまぐれ通信

心と心をつなぐネットワーク ♪ ~

浦崎先生のこと

2008-07-26 | ブログの日
こんばんわ 
青春18きっぷで木曽駒ヶ岳と宝剣岳登ってきました 
家に帰ってくるまではこれで日記を書こうと思っていましたがROOKIESの最終回をみて書くことを替えました 
今回もいいフレーズがありましたね 
先週不良学生で空手2段の男が川籐先生がほかの不良にからまれているとき助けに入った   
あっさり不良3人を片付けた彼が 

おめーが周りに影響与えるんだろうが 

つまりあの学園で暴れまわった彼も川籐先生に影響を受けたのだ 
彼は空手で自分を成長させることを見つけた 
このフレーズ実は私もよく言われるフレーズなんです 
私は周りにかなり影響を与えるらしく、この言葉はよく言われます 
私はあの川籐先生のようにサッパリ味とはいきませんが  
こいつはと思う人間には私から接触していきます 
逆の見方をすればその人がSOSを発しているのかもしれません 
今も何人か目をつけています  
最近これが私のライフワークになりそうな気がしています 

私と同世代の人は 
楽隠居  余生  どうでもいいわ 
対する私はこれから再スタート、今までのノウハウを活かしてスパイラルアップしたい 
話が合うはずがないわねぇ~ 

話がずいぶんそれましたが私が実際に教えを受けたなかで師と仰げる先生は浦崎先生だけです 
もしかしたら以前に書いたかもしれませんが 
浦崎先生との出会いは今でも鮮明に覚えています 
たしか高校2年生の新学期が始まり新しい先生が来るということでした 
教室内はチャイムがなっても皆適当に雑談する状態で 
その時小柄な浦崎先生が入ってきた 
教室内は先ほどと同じく先生を無視して皆騒いでいた 
先生は自己紹介を始めた   
皆が無視する中 

私は空手をやっています  一応四段です  

この言葉を聞いた皆は静まりかえった 

で。おきまりのように教室内にいる不良が口火を切った 

ならバットもってきてやっても勝てるんやなぁー 

教室内に緊張感がただよった 

先生は、バットをもってきなさい  そういった 

こうなると不良は面子丸つぶれ 

ようしやったるわ   

教室内が異様な雰囲気に包まれた 

ところが先生は、君一人で大丈夫か、友達も呼んでいいよ 

これでこの件は終わったが、後日空手同好会が発足すると道場破りにきた 

ドアのところで見ている不良に先生は 

お前ら入って来い 

それを聞いた不良は親分を筆頭に道場(教室)へ入ってきた 

不良の親分はこう切り出した  あんなもんでパンチよけれるかいな 

先生はニコニコしながら、お前の好きな時にかかってきなさい 

そういって軽く構えた 

それを見た不良はこんなんでパンチよけれるかいなー て後にいる皆のほうに振り向いた 
次の瞬間、振り向きざまに先生の顔面めがけてパンチを繰り出した 

が、次の瞬間私達が見たのは不良が床に転がり先生の正拳が不良の顔の前にあったことだ 
不良の子分は後へたじろぎ、顔色も青くなっていた 

このことは学校で評判になり身長160cmの先生をバカにする人は誰もいなくなった 

この先生のことは神戸大学の空手部と練習した時に先生の昔のことを教えてもらった 
先生は大学時代空手部で2時間練習し、それから町道場でさらに2時間、で、寮に帰ってから2時間練習ししたそうです 

ここでお恥ずかしい話を一つ 
社会に出てからバイクに乗り始めた  とあるレストランの駐車場でたむろしていたら 
店の人が出てきて、君らうっとうしいから他へ行ってくれ 
私達はバカにして バァーカ なんておちょくっていると 
うちには空手の先生がいるんや、いま呼んでくるからまっとれ 
そういいのこしって店へ入っていった 

おい空手の先生呼んでくるっていっているでー 
なにいってんのや、俺のほうが強いに決まっているやろ
が、向うから何故か浦崎先生と店長が歩いてくる   
なんやお前らかぁー  私達はいっぺんに固まってしまった 
それを見た店長は、先生しっているんですか 
あぁ私の教え子や、それも空手部の ・ ・ ・ ・ 
棒立ちの私達に向かって先生は、コーヒーでも呑んでいかんか 
私達は、ハイ、ハイ、ハイ  素直に答えた 
で、コーヒー呑みながら先生に何故レストランにいるのか聞いてみた 
当時高校では学園紛争があり先生は学校のやり方に不満をもち学校を辞めた 
失職した先生にある企業から社員教育をして欲しいと依頼がありその企業にはいったということだ 
先生の人徳はあらゆるところにいきわたりその企業にも先生の教えを受けた生徒がいたらしい 
私はその日から暴走するのはやめた  
なぜなら先生にこんなちっぽけな自分をみられたくないからだった 
始めて先生とあった時、先生の年齢は36歳だった  いまだあの先生を越す人を見たことが無い 
私はこういう人とめぐり合えて本当に幸せだったと思います 

次は自分がそうなる番だと思う 




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