きまぐれ通信

心と心をつなぐネットワーク ♪ ~

佐賀のがばいばあちゃん

2009-03-13 | ブログの日
テレビで見ていました。
初めは母との別れ、そして最後はばあちゃんとの別れ ・ ・ ・
孫と数年暮らした温もりが離れていく、ばあちゃんの心境が分かるだけに辛い。
焼酎呑みながら見てたら涙ポロポロ流していただろう。

私も子供のころは貧しかった。
この貧しいて今の人に分かるだろうか?
ほんとうに子供のころは貧しいことが恥ずかしかった。
だから中学生になったらすぐにアルバイトしてお金を稼いだ。
メッキ工場やトラックの荷物運びなどやった。
あのころの私には1000円、2000円が大金だった。
がばいばあちゃんの孫、あきひろ君が運動会で粗末な弁当食べるところなど自分とだぶります。
人に弁当見られるのが辛かった。

私は結婚して灘区の阪急王子公園駅近くに住みました。
子供が出来て小学生になると友達が来るようになった。
来た友達が、
「 お前の家汚いなぁー 」
「 2階ないやんか! 」
子供心に傷ついていただろうと思う。
あの阪神大震災後、家を購入するため会社から多額の借金をした。
水道筋商店街にある銀行で現金を下し買い物用のビニール袋に詰めた。
銀行員は心配そうに、
「 あのぅ~ そんなんに入れて大丈夫ですか ・ ・ ・ 」
私は大丈夫と答えて持って帰った。
何故現金をもって帰ったか!
それは子供にお金を見せてやりたかったからです。
アパートはドアを開けるとすくそこに台所のテーブルがあった。
そのテーブルの上に2000万円を置いた。
小学校から子供が帰ってくるとそのお金を見てビックリした。
私はこれで子供達にひもじい思いさせたのが多少は消せたと思った。

が、後日子供に聞いたら、

「 おとー が銀行強盗して取ってきたと思った 」

あぁ ・ ・ ・ 真意が伝わっていなかった

私ってそんなに悪者に見えていたのだろうか









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