インギャービーチのあるところは、昔集落があったところである。
友利元島遺跡といわれる場所。
友利元島遺跡は、13世紀から18世紀にかけての集落遺跡である。
宮古島の南海岸一帯は1771年の明和の大津波によって壊滅的な
被害を受けた。この元島集落も大きな被害を受けたことがわかっている。
その後、海岸近くから現在の集落の位置に移動した。
昔々、「サアネ」という男の子がいた。
7歳の頃、大津波が村を襲い人も家も押し流された。
一人残されたサアネは、途方にくれ泣きながら村をさまよっていると、
それをみた喜佐真按司という人が引き取って育てた。
サアネが15歳になった頃、浜を歩いていると小舟に乗った美しい女が現れ、
「あなたの妻になるため、龍宮の神様からつかわされた」という。
サアネはこの女と一緒になって男7人女7人の子供を作った。
子供達が大きくなると、妻は
「あなたを助けるために一緒に暮らしてきたが、子供たちも
大きくなったので龍宮へ帰ります。」という。
夫婦になったお礼に、あなたを悲しませた津波が二度と来ないように
津波除けの方法を教える。
旧暦3月初めの酉の日に女性は「たいく」の棒を磯に差し、
男性は船漕ぎの真似をするようになり、これが今も行われる津波除けの行事
「ナーパイ」の始まりだと伝えられている。
南海岸には津波にまつわる昔話がいくつかある。
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