宮古島市植物園の前に「730」と書かれた記念碑がある。
沖縄本島、那覇の県庁構内にも同じく「730」と書かれた記念碑がある。
石垣島には730交差点があり、その周辺には730シーシーパーク公園がある。
730ナナサンマルとは、沖縄県が本土に復帰してから6年後の
1978年(昭和53年)7月30日に自動車の対面通行が右側から現在の左側通行に
変更されることを事前に周知するため実施されたキャンペーンの名称である。
戦前の沖縄県は日本国内の他の地域と同じく自動車は左側通行であったが、
沖縄戦終結後に沖縄を占領下に置いたアメリカ政府が1945年11月に出した
指令により右側通行に変更され1947年5月には沖縄民政府により右側通行を定める
「自動車交通取り締まり規制」が発布された。
この日本本土とは逆の「自動車右側通行」という状況は、
1972年の本土復帰後も「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」
による規定の下で続いた。
右側通行から左側通行への変更は、大変なことだったそうだ。
幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識や信号を設置した上で、
それらをカバーで覆い隠しておき、変更作業時にその覆いを外して
右側通行用の標識に被せ直す手品のような手法で行われた。
変更作業に伴う交通整理などは沖縄県警だけでは対処しきれない
ことから、警視庁をはじめ全国の警察官3000人が応援に駆けつけ、
沖縄県警の警察官1400人と合わせて8月下旬まで
交通整理にあたったそうだ。
幸いにも大きな事故はおこらなかったと記録されている。
沖縄に来たころ、まだたくさんの左ハンドルの車が走っていた。
日本車の左ハンドルが珍しいものではなかった。