真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

三十六歌仙 細川の剛毅

2019年08月15日 | 基道館活動記録

優雅な号と残虐な逸話を持つ

本刀は、細川家の御家名物「歌仙兼定」です。号の由来は、肥後熊本藩初代藩主細川忠興(三斎)が二代藩主細川忠利の家臣の補佐が悪かったので、家臣三十六人(或いは六人)をこの刀で切ったことから三十六歌仙(もしくは六歌仙)に因んで付けられたと伝わっています。その後、五代藩主細川綱利の時に家臣の柏原定常が拝領、明治期に同家を出た後に、細川護立侯爵が買取、現在は永青文庫が所蔵しています。因みに、三斎が家臣を多数切ったという話は公式文書に記載はなく、細川家ではこの逸話を否定しています。ただ、歌人や文化人としても知られる三斎が如何にも付けそうな号と極めて気が短かったという三斎の性格から、今日でも「そのような逸話、三斎公ならさもありなん」と斯界でも思う人が多いのか、本刀と共にこの逸話は広く知られています。

 

 

利休鼠という色は、いかにも粋人らしいとりなしで、利休居士が細川様に進言したという。

 

剛毅とは、寵愛の家臣でも斬るという逸話です

 

基道館は高速回転する独楽、回転が遅い独楽はうかつに触れると場外にはじき出されると警告したのは7年くらい前。

いまでもその覚悟はある。

 

今日も自宅を訪ねてきて、懇意に話し合った 無完庵准師範にも言った

 

暗夜を行くとき、振り返ったまなざしにこたえる用意はあるか。

 

    帰還のとき

展け放った窓外に
翻った夜には
時代が並ぶのではない
綴られた事実が残るのだ

血脈に記されたものが
燈台をめざし闇夜を往くとき
ふりかえったまなざしに
応える用意はあるか

残りしものは遙かな山脈に砦を築き
盾となり 矢となって帰らない
勇気ある幾多のものを待て

百年の後、春夜の風に送られて
声となり、帰還する月下の隊列
栄光の旗を掲げてかれらに見せよ