農と島の~さんのブログです
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/610475/515571/84411959
引用
ここで陳氏が指摘しているカイロ宣言の矛盾点は3ツです。
①時間と日付が記されていない。
②3人の首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
③したがって、カイロ宣言とは、共同声明ではなく、単なるプレスリリースか、声明書に過ぎない。
なるほどね。眼からウロコです。
この陳氏の主張を頭に置いて、上のカイロ宣言の写真をもう一回見て下さい。ルーズベルトの横に座っているのは、チャーチルです。
当時ルーズベルトはそうとうにモーロクが進んでいたと言われていますが、チャーチルはシャッキリしていました。
その彼が横にいながら、ルーズベルトと蒋だけで、日本領の分割談合をしていることに黙っているはずがないじゃないですか。
事実、チャーチルは勝手に台湾の領有を2人で決めたことに腹が立っていたようで、サンフランシスコ条約締結後に彼は英国議会で、「台湾の中国(当時国府)の主権を認めた覚えはない」と発言しています。
おそらく、英国はこの米国主導の領土分割に不満であって、この2人のやりとりに異議を挟んだのだと思われます。
そして、決着がつかったために、チャーチルは怒りを込めて署名を拒んだのだと推測されます。
引用以上
台湾が日本の領土だった事は疑いの余地は有りません。それ以前に中国の領土だった事は有りません。中華民国が大日本帝国領土の台湾に侵略してきたわけです。サンフランシスコ条約で台湾の領土を日本は放棄しましたが、ならば中華民国が台湾を侵略したことも無効にしないといけないのでは無いでしょうか?
コンクリートレボルティオ♯13を見ながら
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/610475/515571/84411959
引用
ここで陳氏が指摘しているカイロ宣言の矛盾点は3ツです。
①時間と日付が記されていない。
②3人の首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
③したがって、カイロ宣言とは、共同声明ではなく、単なるプレスリリースか、声明書に過ぎない。
なるほどね。眼からウロコです。
この陳氏の主張を頭に置いて、上のカイロ宣言の写真をもう一回見て下さい。ルーズベルトの横に座っているのは、チャーチルです。
当時ルーズベルトはそうとうにモーロクが進んでいたと言われていますが、チャーチルはシャッキリしていました。
その彼が横にいながら、ルーズベルトと蒋だけで、日本領の分割談合をしていることに黙っているはずがないじゃないですか。
事実、チャーチルは勝手に台湾の領有を2人で決めたことに腹が立っていたようで、サンフランシスコ条約締結後に彼は英国議会で、「台湾の中国(当時国府)の主権を認めた覚えはない」と発言しています。
おそらく、英国はこの米国主導の領土分割に不満であって、この2人のやりとりに異議を挟んだのだと思われます。
そして、決着がつかったために、チャーチルは怒りを込めて署名を拒んだのだと推測されます。
引用以上
台湾が日本の領土だった事は疑いの余地は有りません。それ以前に中国の領土だった事は有りません。中華民国が大日本帝国領土の台湾に侵略してきたわけです。サンフランシスコ条約で台湾の領土を日本は放棄しましたが、ならば中華民国が台湾を侵略したことも無効にしないといけないのでは無いでしょうか?
コンクリートレボルティオ♯13を見ながら