akiraのたわごとreborn

かっちょいいシンセと、おいしいお酒と、楽しいゲームに囲まれたいakiraの日々のたわいのないたわごとです。

怒涛誕生日

2011-03-31 20:38:32 | インポート

今日、3月31日は、私の誕生日ですっ!

隠す必要もないから、お話しますが、今日でわたくし、36歳になります。

36歳って・・・いやいや自分も成長してるんだなあと、最近よく思うことができるようになってきました。

このまま、上手に歳をとっていければ、と思っているのですが・・・

・・・

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・・・

そんなakiraはやっぱり八方塞がり感がたっぷり。

昨日から怒涛のように忙しくなっております。

本日はそれに拍車がかかり、さらに明日は急きょ当直だったりします。

誕生日挟んで前後病院泊まり込って・・・

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・・・

・・・

こういうのも、嫌いじゃないっす

なので、忙しすぎて、なかなかゆっくりとした誕生日更新ができませんが、またゆっくりできるときに話したいと思います。

・・・akriaが今年欲しいもの。

(実は全く思いついていなかったりする・・・)


学童保育

2011-03-30 15:49:30 | インポート

3月27日に無事、卒園を迎えたこうせいマン。

今度控えるのは、入学式!

4月7日がその予定です。

ということは・・・

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・・・

・・・

その間はこうせいマンの保育どうしましょっ!?

卒園後は保育園は預かってくれません。

でもね、幸い、こうせいマンが通う(家の目の前の学校ですが)小学校の学童保育が、なんと!

28日から預かってくれるという、なんとも親切設計。

というわけで、こうせいマン、昨日から学童へ通っています。

でも・・・

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さすがに、新しい環境に行くというのはとってもストレスなんでしょう。この学童、同じ保育園からは新一年生は他にいないし、こうせいマンにとってみたら、全くのアウェー。

27日の夜、普段しないおねしょをちょこっとしちゃったり。

当日朝は、笑顔が引きつっていたり(嫁からわざわざ顔写真の写メが送られてくる始末)。

それでもね、泣き言ひとつ言わず、学童に向かうこうせいマンの姿は、卒園式以上に感動しちゃったりして。

やっぱり我々が考えていたよりずっと強くなっているんだね、こうせいマン。

そんな学童では、我々の心配をよそに年上の小学校の子供と友達になったり、自分から質問したり、自由に過ごしているみたい。

帰ってきたこうせいマンの表情は一回り大きくなったような感じでした。

ってか・・・すっかり、小学生気分

昨日なんか、お姉さんたちに囲まれて勉強していたんだとか。

早速、そのモテモテぶりを発揮しております。

同い年の同じ保育園出身者はいませんが、幸い、以前同じ保育園の出身者は数名いるようで、思いのほか楽しそうに通っています。

入学前にたくさんお友達ができて、むしろこうせいマンにとっては良かったかな。

新しい環境で奮闘しているこうせいマンを頼もしく見ているakiraなのでした。


卒園式

2011-03-29 19:15:49 | インポート

先週の日曜日、27日はこうせいマンの卒園式でした。

こんな状況でも、卒園式を開催していただけることに感謝、感謝です。

新潟の留学から盛岡に戻ってきてからなので、こうせいマンは4年5か月間お世話になったことになります。

思えば、根っからのお母さん子だったこうせいマンは、わけもわからず保育園に一人残され、1週間は泣きっぱなしの期間でした。

それが少しずつ慣れて、保育園を楽しめるようになり。

仕事柄どうしてもお迎えの時間が遅くなることがあり、延長保育をお願いすることが常だったのですが、その延長保育では、年上の友達や、逆に年下の友達を仲良くする環境となり、こうせいマンを今の優しくも強い性格にしてくれたのだと思います。

そんなこうせいマンもいよいよ卒園。

なんだか、その響きだけで泣けてきそうです。

こうせいマンをママチャリの後ろに乗せて保育園に通うことも、もうおしまいです。

そう考えると、なんともさみしい話です。

さて、卒園式は大きく2部に分かれています。

1部は卒園証書授与。

8名の年長児がかっこよくも可愛らしいブレザーを着て、はしゃいでいる姿は親たちの表情を緩ませます。

まずは入場。

ひとりずつ会場となるホールに入ってきます。

みんな大きく手を振り、しっかり歩いていて実に頼もしい!

続いては卒園証書の授与。

名前を呼ばれて、こうせいマン、大きな声で返事していました。園長先生の前で卒園証書をもらう姿がなんとも頼もしい。

この時点ですでに涙腺、やばいんですけどっ。

その後は、保育園に残る園児代表として、一つ下のクラスの子たちが卒園式に参加していたのですが、その子らと「別れのことば」を大きな声で話していました。

いわゆる、「今日は僕たちの、そつぎょうーしきっ」

みたいなやつです。

これの内容も、誰が考えたんだか知りませんが、なんとも感動的です。

そして、卒園児たちが退場して、第1部は終了です。

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さて、第2部は、卒園児たちによるパフォーマンスです。年長児として練習してきたいろいろなものを見せてくれました。

初めは暴れ馬。

「らっせらー、らっせらー」と大きな掛け声で飛び跳ねる子供たち。家では絶対に見せないそのダイナミックな動きに、純粋に驚きました。

その次はコマ回し。

回した駒をひもで空中に飛ばして、それをキャッチするという高度な技を、8名全員が成功。すげーな、年長児。

その次は側転。

誰一人、体が曲がることなく、綺麗に側転してホールを1週。お父さん、これできないんですけどねっ。

そして、個人的にはこうせいマンすごいなと思ったのが、日常的に「リズム」という時間で、ピアノに合わせて行う体遊び。

「ちょうちょ」の真似なのですが、全力で走りながら、腕はゆっくりちょうちょが舞うように動かす。

これって、上下違う動きをするので、なかなか難しい動作です。

このちょうちょでのこうせいマンの動きが・・・バレエダンサーの様で異様にかっこよかった!やっぱり、こうせいマン、体を動かすセンスあるわ。

続いては道具を使った見せ物です。

初めは、秋の生活発表会でも披露した豊年太鼓。

わらび座一泊旅行の際に、劇団の人たちに教えてもらったものです。

この数か月、みんなで練習してきたものですが・・・

・・・

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みんな数か月前とは全く別人!

下拍子と呼ばれる基礎のリズムも、豊年太鼓のリズムもみんな子供たちだけでやる。しかも、みんな力強く、ときには強弱をつけて、実に上手に太鼓をたたいていました。

これにははっきり言ってびっくりしました。

続いては、竹馬。

これ、「なかなか高いのができない」とこうせいマンが言っていたので、頑張れ、頑張れなんて適当な励ましをしていたのですが、登場した園児たちをみてびっくり。

足場の高さが、自分たちの胸のあたりの高さになってる!

こりゃ、確かに怖いわ。

大人が同じ感覚でやったら、大変なことになります。

それでも、こうせいマン、一番高い位置の竹馬を上手にこなしていました。後で聞いたら、緊張して転びそうだったと。外見にはそんな風には見えなかったけどねぇ。

最後は竹縄跳び。

竹の棒の間を、3拍子もしくは4拍子でぬっていくものです。こうせいマン、一度も失敗せずにやり遂げていましたよ。

最後に8人全員で竹縄跳びを超えていく姿には感動しました。

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・・・

そして、最後は歌。

3曲歌いましたが、やっぱり、「夢わかば」という曲はやばい。

僕らは生まれてよかったよ。僕らを産んでくれてありがとう

こんな歌詞を、手話を交えて歌われたら・・・泣くに決まっているだろうがぁ!

そして、退場です。

年中組、そして先生方と握手して退場していきます。このとき、先生方全員が大号泣。

親として、その姿がとってもうれしかったです。本当に子供たちの隣にいてくれた先生方だったんだなと。

退場の時には中には泣き出す友達もいたのですが、そんな中でも毅然とした表情のこうせいマンに一番心打たれました。

本当に強くなった、こうせいマン!

こうして、感動感動の卒園式は幕を閉じたのでした。

本来であれば、この後に、「祝う会」と題して、謝恩会をする予定だったのですが、今年は震災もあったため、中止。

その代わりといってはなんですが、みんなでお昼ご飯を食べに行きました。

食事のテーブルには、なぜか、akiraの周りには子供が4人

卒園児の半分が集結!

ま、akira的には全く嫌いじゃないので、楽しい時間を過ごしましたけどっ。

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このみんなが保育園に集まるのはもうないというのはなんともさみしい限りですが、幸い、祝う会を時期を改めてすることになりました。

小学校に上がってから再度集まれるというのは、もしかしたら、他の学年ではあり得ないことなのかも。そういった意味ではよかったのかもしれません。

いずれにしろ、子供たちの成長が見れた、素敵な卒園式でした。

こうせいマン、卒園おめでとう!


あの夏へ

2011-03-29 10:33:13 | インポート

こういう時世なので、当初予定されていた病棟の送別会は中止になりました。

ってか、そんな気分にもなれないし、そもそもホテル側が準備ができないとか。

というわけで、akiraのピアノ生演奏はお預けになったわけですが、そのかわりに、おかげで、「君だけを見ていた」を完璧に弾けるようになりました。

これはね、弾いていて、他の久石曲とは違った気持ちよさがあるんだよねぇ。

いやいや、発表する機会はいずれにとっておくとしても、それがきっかけでがっちり練習できたことに感謝。

いろいろ練習していると、ピアノを習っていた時のような指の筋力が戻ってきて、ピアノでいろいろと弾けるようになってきました。

この勢いでレパートリー増やして行こうぜっ!

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というわけで、次の曲に着手しました。

ってか、もう弾けるようになりました。練習期間3日間。

今回、練習したのはこちら。

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YouTube: 久石讓Joe hisaishi Live - One Summer's Day (from Spirited Away)

千と千尋の神隠し」のオープニングテーマです。

「One summer's Day」

日本語のタイトルは、「あの夏へ

ENCOREに収録されているバージョンはこの後にもリズミカルなメロディが続くのですが、個人的には動画で久石譲が演奏している部分が好きなので、そこまで弾けるように練習しました。

あのね、このメインテーマ、強弱はpで弾くんだけど・・・

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・・・

本当に、綺麗すぎる

弾いていて、心洗われるもん。

久石メロディ、本当に恐るべしです。

まだ、少し慣れない部分もあるので、もう少し弾きこんで練習したら、次に行こうかと思います。

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The Rainを練習したいんですが、震災前にamazon本社を出発した商品がまだ届いていません。どこぞで足止め食らっているのでしょう。

それが来るまで、次に何の曲を弾こうか、物色して行こうかと思います。

今、akiraが完全に弾ける久石譲のピアノソロバージョン曲は5曲になりました。

レパートリーを増やして、10曲近くなったら、NOBUちゃんの提案にもあったように、我が家でリサイタルする予定です!

ワンドリンク1,000円で。

・・・身内から金とんのかいっ!

とは、お決まりのジョークで。

その間、こうせいマンがじっと聞いているとは思えないけど。

こんな時だからこそ、優しいメロディの音楽に心癒されているakiraなのでした。


お久しぶり

2011-03-29 01:01:36 | インポート

久しぶりの更新だよっと。

沿岸の病院からは先週の木曜日に戻ってまいりました。

沿岸の病院自体は、まだまだ平常通りというわけにはいかないけど、それでも落着きは取り戻しつつあります。

初めの急患に対応する時間は終わった感じ。

これからは、半崩壊した周辺地域とともに、医療を維持、再建していくのかが課題だと思います。

ハード面でも、マンパワー的にも。

今、現在、我々遠方の医者ができることは少なくなってきています。

これからは現地の医者を半年から1年という長期のスパンで支持できる体制を早く構築すべきと感じました。

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ちなみに、あちらにいるとき、何度か被災地を見に行くか、誘われたのですが、すべてお断りしました。

医療人として、今後のために事実を目に焼き付けておくべき・・・という意見もあると思いますが、私としては、現地にいったのは、生き延びた人たちのケアをするため。それに全力を傾けるため、あえて被災地には足を運びませんでした。

なので、あんまし生々しい報告はできません。

ま、これからもできることをするだけです。

またまた、akiraのたわごと、復活するので、よろしくお願いします!


沿岸へ

2011-03-17 15:10:47 | インポート

少し予定とは異なりますが・・・

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・・・

明日から被災地の沿岸の県立病院の応援に行って参ります。

岩手は昨日から再びあり得ない寒さになってきていて、非衛生なこともあり、胃腸炎やインフルエンザが出始めています。

震災から1週間が経ちましたが、その間、病院に泊まり込みで頑張っている先生たちの手助けになるよう、頑張ってきます。

期間は・・・今のところは不明。

携帯も通じにくい地域なので、ちょっぴりakiraのたわごと、小休憩とさせていただきます。

また、盛岡に舞い戻ってきたら、再開するので、しばしお待ちを~。


日本人として

2011-03-16 16:18:24 | インポート

現在、震災に関することで一番注目されているのは、福島原発の話題でしょうか。

地震、津波でただでさえ、大ダメージの東北。

ここにきて、原発による大事故なんてことにならないように、ただただ祈るのみです。

テレビ、ネットなどで見る地震に関するニュースを見ていると、今回の震災に際して日本に対する海外から共通した称賛が送られているようです。

つまり・・・

これだけの震災にあい、沿岸地方は壊滅的となり、震災に関連して計画停電や原発事故などが起きているにもかかわらず、整然と冷静に、互いに譲り合いながら対応しているという、日本人全体の気質が称賛されているようです。

これって、間違いのない見解だと思う。

被災地にいない人たちの頑張り、暖かい言葉、協力なんかを見ると、心の底から日本人としてよかったと思います。

今、まさに我々が「日本人として」一つになり、「日本人として」互いを助け合い、「日本人として」この危機を乗り越える。それが試されているのだと思います。

今、ネットで話題になっていますが、大船渡のビルから救出されたおじいさん。この方、50年前のチリ津波を経験しているようなのですが、相変わらず、何とか「被災者の悲痛な」コメントを欲しがるテレビ局のアホなリポーターに向かって、

「大丈夫です、また再建しましょう!」

とは、なんとも力強いじゃありませんか。

震災からもう少しで1週間です。

残念ながら、DMATなどが活躍する救援の時期は過ぎました。あれだけの津波ですと、阪神大震災のように重症者はあまりいなくて、生き残れたか、なくなってしまったかの、二つしかないのだそうです。

これからは、避難所にいる「助かった」人々のケアと、復興に最大の力を注がなくてはいけません。

近いうちにakiraも沿岸の病院に応援に行くことになりました。避難所では胃腸炎やインフルエンザが流行し始めているようで、だけど、ガソリンがないから受診ができない。

今はまだ、病院は予想以上に静まっているようです。

ただ、これから流通が回復するにつれて、怒涛のように病院の役割が増すはずです。

少しでも力になれれば、と思います。

「日本人として」

できることをするだけです。


輪番停電

2011-03-15 08:20:14 | インポート

昨日から関東圏の輪番停電が始まりました。

関東の方々もさぞ不便な思いをしていることでしょう。

始まるといったのに、始まらない。

始めないといっておきながら、始まる。

いろいろ混乱があったと思います。

それでも、計画停電をすることになった昨日の日中、それがすぐに開始にならなかったのは、明らかに電気の需要が供給を下回った結果なんだと思います。

つまり、すでに昨日の日中の段階で、関東全体で節電されていたということの裏返しです。

不便で、混乱して、いらいらしている方も多いと思いましすが、報道をみて、私自身としては少しうれしくなりました。被災地ではない方々の心遣いが見えたからです。

被災地にいない方々に無理を強いるのは心苦しいところもありますが、ぜひ、日本という一つの国として、この災害に負けないように、手を取り合っていければ、と心から思います。

っていうか、日に日に分かる被害の甚大さに・・・ただただ驚愕するばかりです。


思うこと

2011-03-14 08:21:33 | インポート

電気が復旧してから、なんとか情報を得ようとみんなでテレビの前にいる時間が長いのですが、テレビ放送を見ていて、思うことがあります。

・・・

・・・

・・・

あまり、不安を助長するような悲観的な報道をやめてほしい。

確かに、事実の一端は伝えているのでしょう。

津波が押し寄せてくる、あのおぞましい映像は紛れもない事実ですから。

かといって、絶望的だとか、ともすれば、解説者もアナウンサーに乗っかり、悲観的な予測ばかりする。

事実と異なる報道をすることは間違いだけど、もっと淡々と事実を伝えてほしい。

だって、放送を見て、びっくりしているのは被災地にいない人たちで、実際に被災地にいる人たちはそれすら確認できなんだから。

もっと他にやりようがあるのでは?

家族を流され悲しみに沈む人に平然とインタビューするリポーターの感覚が全く理解できません。

こんな世の中なので、様々な情報が飛び交うのは止むを得ませんが、それを選別する力を持ってほしいと思います。報道は視聴率とるために、凄惨な映像流したり、悲観的な予測を乱発しているだけですから。

これから都心で計画停電が始まりますが、ぜひとも節電に協力してください。

被災地でまだ厳しい寒さの残ろう東北の我々でさえ節電しています。数時間の停電を許容していただき、一緒に日本の危機を乗り越えて行っていただきたいと思います(ってか、関東圏の電力を東北の福島で賄っているって初めて知ったんですけどっ)。


東日本大震災

2011-03-13 21:14:51 | インポート

未曾有の大災害となった、今回の地震。

東日本大震災と名付けられたようですが、ここ盛岡では、被災した沿岸地域には申し訳ないですが、ネットができるぐらいに復旧しました。

っていうか、盛岡は電気が中心のライフラインが1日止まった程度です。

テレビなどの映像が一切見れず、情報はラジオから入ってくるのみ。

実際の沿岸地域がどうなっているのか、全く把握できない状況でした。

電気が復旧して、テレビに映される状況に絶句。

同じ県民として、とてもじゃないけど、ブログ程度では語れません。

できることをするまでです。

しかし、ここ盛岡ですら、被災地には遠すぎます。

できることが極めて限られます。

どんな重症患者さんも引き受ける体制のため、医局には多くの医者が控えていますが、そもそも盛岡まで搬送されてくるような患者さんがいません。

おそらく、ご覧の状況なので、現地でトリアージされているのでしょう。

交通が遮断されているため、重症患者も内陸である盛岡にまでもやってこれない。

こんな時こそ、自らが持つ技を生かす機会なのに。っていうか、我々の使命はまさにそこにあるのに。

・・・

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・・・

現段階で、この震災に際しては、これ以上語ることはできません。いろいろとあったけどね。

いずれ、できることをするのみです。

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・・・

・・・

そうそう。

今回の震災に際して、たくさんの人から安否を心配するメールを頂きました。メールはもちろんのこと、携帯電話も一切使い物にならず、返信できたのは昨日の夕方から夜にかけてになりました。

メールを頂いたことに感謝するとともに、返事が遅くなったことをお詫びします。

ま、このブログぐらいakiraらしく明るく、陽気に行きますよぉ。

よろしくお付き合いくださいっ!