カタログギフトで注文したものを教えてください(6月4日) - トラックバック練習板 トラバのつもりでしたが急遽、デジカメ画像のインサートテストを兼ねての紀行記事
みたいになってしまいました。
瀬田の唐橋(からはし)
流れるのは瀬田川、写真の右手が上流で琵琶湖からそそぎ出ている。
奈良は平城遷都1300年祭で賑わっているが、我が住む滋賀県は1343年前に大津京が置かれた(667年)
5年間だけだったが(鳩山政権よりは長い、菅さん頼むよ!2010年日本の舵取り)
「大化の改新」で有名な、中大兄皇子こと天智天皇が政務を司られた。
1200年を超える悠久の都、京都に接する大津は、帝である天皇の起居される京都御所への通過地でもあったため、天下取りに死命を賭す東からの武将たちは
この瀬田の唐橋を渡って「日の本の最高統治者は我である」と言うお墨付き(任命書)を天皇から押戴かんと、古くは奈良、平安の時代から
唐橋は挫折か宿願の成就を占う一里塚としての象徴ともなっていた。
安土桃山時代に織田信長を討った明智光秀の坂本城(滋賀・大津は唐橋から10kほど上流で、琵琶湖湖面に突き出す形で石積みの一部がのぞく城跡だけ)があり、
当時のハイテク築城の成果とも評すべき超モダンな安土城(滋賀・近江八幡)は城主、織田信長が京都・本能寺で冥土へ旅立ったのち
光秀の配下の手で火を放たれ焼失した。織田信長から長浜城(滋賀・長浜)を与えられた豊臣秀吉は、地元城下では大公さんと親しまれ
楽市楽座の商業繁栄に尽力した。悼むべきは世界遺産・比叡山延暦寺(滋賀・大津)。戦国の覇者織田信長によって焼き討ちされ
僧兵はむろん無辜の婦女子、乳飲み子にまで及ぶミニホロコーストの惨状を呈した。後世には彦根城(滋賀・彦根)の主、大老井伊直弼は「安政の大獄」を経て
江戸は「桜田門外の変」で生涯を閉じた。
私の住いから程近い、歴史上幾たびか戦乱の舞台となった瀬田の唐橋。日本最大の琵琶湖に架かる人造の橋といっては、
当時この橋(現在は「琵琶湖」、「近江」の2本のコンクリート大橋が架かる)だけであり、湖上を渡るてだては手漕ぎ船、帆船のみ。
流れる瀬田川と唐橋は、1400年以上昔から人の行き交いを通して移ろい往く人の世を、じっと見つめ続けてきたのだろうか。
さて、NHK大河ドラマは「龍馬伝」が幕を下ろすと、来年は「江(ごう)~姫たちの戦国~」が放送開始される。
織田信長の妹お市(戦国一の美女)は、近江の戦国大名・浅井長政(滋賀・小谷城)に嫁ぎ3人の姫をもうけた。
のちの秀吉の愛妾茶々こと長女の淀君、徳川2代将軍秀忠の正室(ヒロインの三女の江)、有力な武将に嫁いだ次女の3姉妹である。
群雄割拠の戦国、運命のいたずらで、兄信長に攻め落とされることになったお市の方。夫と舅は自害し果てたが
「猿(木下藤吉郎)よ、血を分けた妹の市と姪御に罪科はない、助命してまいれ」鬼、悪魔とも言われた織田信長にも血も涙もあった。
その後の姫たち、なかでも徳川家康の孫(三代将軍・徳川家光)の母御、江(ごう)の人生を描いたドラマです。
私は読売新聞夕刊小説「美女いくさ」(諸田玲子作でどうやら、この作品が下敷きになっているみたい?)を読了しているので(現住の近江・滋賀県がドラマの半分を占めているようだから)今から放送を楽しみにしています。
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