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#588: リトル・ホンダ

2014-01-15 | Weblog
本田圭佑はミラン入団の記者会見で「心の中のリトル・ホンダに聞いた。そうしたら“ミランでプレーしたい”と答えた。それが決断した理由。すべきこと、それはピッチで結果を残すことだ」と語った。

「幼いころからの夢がかなった。12歳の時、いつかセリエAでプレーしたいと作文に書いた。10番をつけたいと思っていたので本当にうれしい。でもすべては今日から始まったばかりだ」とも語り、ご丁寧に12歳の彼が小学校の卒業文集に確かにそう書いていたことが報道されていた。

そこで、蝉坊氏からぜひブログの記事にしてほしいと要望があったのが、ズバリ“LITTLE HONDA”、実にタイムリーなリクエストである(笑)。


“YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA”


ホンダが二輪車で米国進出を開始したのが1959年のことだったが、状況は厳しいものだった。

1940年代末に設立されたバイク・クラブ、ヘルズ・エンジェルズの派手な示威活動がアメリカの一般市民に嫌悪されていたことや、1953年、史上初めて暴走族をテーマにした映画『乱暴者』(The Wild One)が公開され、主演したマーロン・ブランドが革ジャンとジーンズでオートバイにまたがる姿が一部の若者たちに支持されたものの、いわゆる良識ある社会にとっては看過できないようなマイナスの空気を醸成していた。
そうしたこともあって、二輪車はアウトローの危険な遊び道具という悪いイメージが定着していた。
当時、自動車社会の米国では二輪車のマーケットは年間わずか6万台にすぎなかったという。

そういう状況を払拭すべく、ホンダは上記の「ナイセスト・ピープル」を謳ったキャンペーンを展開し、バイクのある新しいライフスタイルを提案した。


主婦や親子、カップルといった“NICEST PEOPLE”がミニ・バイクに乗っている姿を提示し、米国の一般家庭にバイクという移動手段を認知させ、新しいおしゃれな乗り物として社会にアピールしたのである。
結果、若者たちの圧倒的な支持を得て対米輸出が急増し、65年には26.8万台に達した。

この「ナイセスト・ピープル」キャンペーンは、フォルクスワーゲンのビートル車の一連の広告と並んで、米国の広告史上最も成功した例として知られている。
当時、ケネディ大統領は日本の池田首相に「ホンダがアメリカの青少年に新しいライフ・スタイルを与えた」と語ったほど、アメリカ人のバイクに対するイメージを大きく変えたのだ。

♪ ♪

このキャンペーン効果は音楽にも及んだ。
ホット・ロッド・ミュージックである。
サーフ・ミュージックに次いで生まれ、ほぼ同時進行で流行したが、自動車やオートバイの疾走感を表現したものである。

おそらく広告代理店などの戦略もあったのだろうが、1963年にビーチ・ボーイズは“HONDA 55”(ホンダ・フィフティファイヴ)というラジオ用のCMソングを歌っており、コンサートではホンダのバイクに乗って登場する演出までしていたという。

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが、映画『ビーチ・ガール』(THE GIRLS ON THE BEACH‐1965)のために書き下ろしたのが“LITTLE HONDA”で、同じくビーチ・ボーイズのマイク・ラヴが詞を書いた。
若者に大人気のホンダ・ミニバイクを題材にした曲で、1964年にリリースされたビーチ・ボーイズ初のミリオン・セラー・アルバム“ALL SUMMER LONG”に収録された。
また、コンパクト盤“4 BY THE BEACH BOYS”にも収録され、EP盤ながら全米65位にランクされるヒットとなったが、ブライアンにはシングル・カットする気はなかった。

そこに目をつけたのが、アレンジャーのゲイリー・アッシャー。
アッシャーはヒットを直感し、バイクをテーマにしたアルバムの制作にかかる。
グレン・キャンベル(G)、トミー・テデスコ(G)、アル・デロリー(KEY)らに加え、チャック・ジラード(VO)、ジョー・ケリー(VO)など腕利きのスタジオ・ミュージシャンを集めたのだ。
こうして、実体のない「でっちあげバンド」“ザ・ホンデルス”が生まれたのだが、彼らの“LITTLE HONDA”が何と本家ビーチ・ボーイズよりもヒットしてしまうのだ(こちら)。


(THE HONDELLS/GO LITTLE HONDA)

1964年当時、音楽評論家の高崎一郎がこう解説している。

ホンデルスのリトル・ホンダが全米ヒット・パレードに飛び込んだのは9月12日。84位、60位、47位、29位、21位、13位、11位、9位と、一週ごとに上昇。全くホンダの車並みの大馬力のヒットでした。この曲は、サーフィンの元祖で、ホット・ロッドの親玉みたいなアメリカで最高に人気のあるビーチ・ボーイズのメンバーが作曲し、彼らのLPに入れた曲。それを「こりゃイカスよ。ホンダラ僕たちも歌おう」と、ホンダにあやかってホンデルスという名を付けたグループがシングル盤で発表。これが当たったという訳です。もちろん、ビーチ・ボーイズもその後すぐオリジナルのシングル盤を発売。これもヒットしちゃったんですから、すごい力ですね。最近ではパット・ブーンも歌っています。ナンタッテ、日本のホンダがアメリカの青年たちに愛され、おまけにアメリカのヒットパレード界をかきみだしたということは、痛快なこと。素晴らしい事です。

♪ ♪ ♪

I'm gonna wake you up early 'cause I'm gonna take a ride with you.
We're goin' down to the Honda Shop, I'll tell ya what we're gonna do
Put on ragged sweat shirt I'll take you anywhere you want me to.
First gear it's all right
Second gear a lean right
Third gear hang on tight
Faster it's all right…

君を早く起こそう 君を連れて一乗りしたいから
一緒にホンダ・ショップに行って これから何をするか教えよう
着古したスウェット・シャツを着たら 君の行きたいところへ連れて行こう
  ファースト・ギア オーケイ
  セカンド・ギア 少し屈んで
  サード・ギア しっかりつかまって
  さあ飛ばそう いい感じ…

曲もノリノリで最高だが、歌詞も“ragged sweat shirt”(着古したスウェット・シャツ)など、作詞したマイク・ラヴらしい洒落た小道具を出してきたりして、イメージを膨らませているのがニクイ。
余談だが、マイクは泉谷しげるって感じだよね…(笑)。
雪国生まれ、北国育ちの蚤助としては、古き良き時代の南カリフォルニアへの淡い憧れを掻き立たせてくれる。


(THE BEACH BOYS/ALL SUMMER LONG)

本家ビーチ・ボーイズのヴァージョンは、エンジン音をイメージしたバックのハミングコーラスがまことに素晴らしく、唸るベースとギターの絶妙なカッティングと相俟って、グングンとリスナーに迫ってくる(こちら)。
音楽の完成度からいえば、ホンデルス盤を完全に上回っているのを再確認した次第。
なお、ホンダのミニ・バイクはアルバム・タイトルとなっている名曲“ALL SUMMER LONG”の歌詞にも出てくるので、やはり当時はホンダの二輪車はマストアイテムとなっていたのだろう。

冷蔵庫満タンにしたミニバイク(蚤助)

GO! HONDA!



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2 コメント

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感謝! (蝉坊)
2014-01-15 23:36:20
早速のご対応・ご健筆に感謝感謝です。
“ragged sweat shirt”(着古したスウェット・シャツ)のところも全く同感です。コニー・フランシス「ヴァケイション」なんかもその技法満開のような。Beachboys で、マイ best one のAll summer long もついでに聴いて、今、胸がガッパドなってます。しかも、ちょうど50年前のボーイズカルチャーだったのですね!
いい夜を過ごすことができました。アリガンドゴスタジャ!GO!HONDA!
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Unknown (蚤助)
2014-01-16 21:49:47
蝉さん、喜んでいただけましたか。
こちらもいろいろ勉強になります。
ありがとうございました。
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