![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/74/ab225e2800256bd01277eb147c30b0da.jpg)
1964年、大西洋を渡って米国のヒットパレードを席巻した英国勢の中で、おそらく最もソフトなサウンドで成功したのが、男性デュオ・グループのピーター&ゴードンだったと思う。
ピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーの二人は、元々フォークやカントリー系の音楽が好きで、それが売りであった。
彼らは“A WORLD WITHOUT LOVE”(愛なき世界)で華々しいデビューを飾った。
この曲は“LENNON & McCARTNEY”作だが、実際に曲を書いたのはポール・マッカートニーである。
だが、マッカートニーはビートルズ向きの曲ではないと考え、ビリー・J・クレイマーにレコーディングを持ちかけた。
当時、ビートルズのマネジメントをしていたブライアン・エプスタインは、ビートルズ、ジェリー&ペースメイカーズに続く第3のビート・グループとしてビリー・J・クレイマー・ウィズ・ザ・ダコタスを売り出そうとしていた。
マッカートニーはそのクレイマーに白羽の矢を立てたのだが、なぜか断られてしまうのである。
たまたまピーター・アッシャーの妹(女優のジェーン・アッシャー)が、マッカートニーと仲が良かったことから、この曲は、最終的にピーター&ゴードンへプレゼントされることになった。
幸運にも、二人がこの曲をリリースすると見事にUKヒットチャートの1位になったのだが、皮肉なことにその時1位の座を譲り渡したのはビートルズの“CAN'T BUY ME LOVE”であった。
その後も勢いは止まらず全米ヒットチャートでもトップに上り詰めるという大ヒットになってしまうのである。
レコーディングを断ったクレイマーの方はさぞかし悔しがったに違いない(笑)。
「愛のない世界になんかいたくない」と、孤独に耐えながら本当の愛が微笑んでくれるのを待つ潔癖な若者の物語で、美しいメロディをきれいなハーモニーで歌い上げている。
さすがにレノン=マッカートニー名義の作品のことはある。
伴奏でソロをとるヴィヴィッドなギター・プレイもなかなか印象的である。
それでは、ピーター&ゴードンの歌をこちらでどうぞ。
ちなみに、作者の名義貸しをした形になるジョン・レノンは、この曲の出だしの歌詞を、“Please lock me away, Yes, okay”といって楽しんでいたらしく、大層気に入っていたようだ。
また、歌詞の中に“I'm OK, Here I'll stay with my loneliness”(僕は大丈夫、孤独を友としてここにいるから)というフレーズが出てくるが、これはジョルジュ・ムスタキの“Ma Solitude”(私の孤独)と同じような世界観であることが興味を惹くところである。
ピーター&ゴードンは、レノン&マッカートニーの作品でデビューを飾ったラッキーなアーティストだったが、やはり持つべきものは甲斐性のある「妹」、「妹のカレシの七光り」ってことだったかもしれない。
二人は、その他、ロサンゼルスで結成されたテディ・ベアーズ会心のビッグ・ヒット、“TO KNOW HIM (YOU) IS TO KNOW LOVE HIM (YOU)”(会ったとたんに一目ぼれ)(1958)をカヴァーしヒットさせている。
この曲、オールディーズ・ファンにとっては、きわめて重要な地位を占める作品で、テディ・ベアーズのメンバーだった当時18歳のフィル・スペクターの記念碑的な1曲である。
さらには、デル・シャノンが書いた“I GO TO PIECES”が、彼らの4曲目のヒット・ナンバーとなった。
“RUNAWAY”(悲しき街角)や“KEEP SEARCHIN'(WE'LL FOLLOW THE SUN)”(太陽を探せ)等のヒット歌手だったデルが自作曲を他のアーティストに提供するのは珍しいことだった。
ピーター&ゴードンがデルと出会ったのは、オーストラリアを楽旅中のことであった。
デルは無論自身で歌うためにこの曲を作ったのだが、あまりにも過密なスケジュールに追われ、録音の機会を逃していた。
彼らは行動をともにするうち親密になり、デルの方からこの作品を歌ってほしいと申し出ている。
余談だが、デルは持ち前のファルセット(裏声)で要所要所を抑え、エコーを巧みに利用する方法、自らのギターで繰り出す印象的なコード・リズムなど、音楽的センスが素晴らしかったが、この作品を正式にレコーディングすることはなかったようだ。
だが、ライヴなどではレパートリーとして歌っていたようで、その動画をどうぞ。
後年デルが自死したというニュースに接した時は大きなショックを受けたものだった。
何と言っても、私が最初に買ったシングル盤というのが、彼の「太陽を探せ」だったからである。
それでは、ピーター&ゴードン“I Go To Pieces”をこちらでどうぞ。
ピーター&ゴードンは、このほかバディ・ホリーの“TRUE LOVE WAYS”、レノン=マッカートニー(実態はポールの単独作)の“NOBODY I'M YOURS”などのカヴァー曲や佳曲を世に出している。
彼らの代表曲をコンパイルしたのがこの“THE ULTIMATE PETER & GORDON”というアルバム。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f1/c266bdcbc1a42ecbb8f38fdd0edc6495.jpg)
二人は、1968年にデュオを解消、その後、ピーターはシェール、ジェームズ・テイラー、カーリー・サイモン、リンダ・ロンシュタットらの多くのアーティストの名プロデューサーとして知られるようになった。
一方、ゴードンの方は、ソロ活動をしていたが、表舞台に出てくることはなく、2009年に心臓マヒで亡くなっている。
私は、エヴァリー・ブラザース風のデュオだったピーター&ゴードンのどちらが主旋律を歌っていたのか長い間分らなかったのだが、どうやらゴードン・ウォーラーが主旋律を担い、ピーター・アッシャーがハーモニーを担当していたようだ。
ピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーの二人は、元々フォークやカントリー系の音楽が好きで、それが売りであった。
♪
彼らは“A WORLD WITHOUT LOVE”(愛なき世界)で華々しいデビューを飾った。
この曲は“LENNON & McCARTNEY”作だが、実際に曲を書いたのはポール・マッカートニーである。
だが、マッカートニーはビートルズ向きの曲ではないと考え、ビリー・J・クレイマーにレコーディングを持ちかけた。
当時、ビートルズのマネジメントをしていたブライアン・エプスタインは、ビートルズ、ジェリー&ペースメイカーズに続く第3のビート・グループとしてビリー・J・クレイマー・ウィズ・ザ・ダコタスを売り出そうとしていた。
マッカートニーはそのクレイマーに白羽の矢を立てたのだが、なぜか断られてしまうのである。
たまたまピーター・アッシャーの妹(女優のジェーン・アッシャー)が、マッカートニーと仲が良かったことから、この曲は、最終的にピーター&ゴードンへプレゼントされることになった。
幸運にも、二人がこの曲をリリースすると見事にUKヒットチャートの1位になったのだが、皮肉なことにその時1位の座を譲り渡したのはビートルズの“CAN'T BUY ME LOVE”であった。
その後も勢いは止まらず全米ヒットチャートでもトップに上り詰めるという大ヒットになってしまうのである。
レコーディングを断ったクレイマーの方はさぞかし悔しがったに違いない(笑)。
Please lock me away, and don't allow the day
Here inside, where I hide with my loneliness…
僕を閉じ込めて 昼間はだめだ
僕はここで 孤独な心を抱えて隠れている
みんなが何を言おうとかまわない
愛のない世界に いつまでもいるつもりはないのだから…
Here inside, where I hide with my loneliness…
僕を閉じ込めて 昼間はだめだ
僕はここで 孤独な心を抱えて隠れている
みんなが何を言おうとかまわない
愛のない世界に いつまでもいるつもりはないのだから…
「愛のない世界になんかいたくない」と、孤独に耐えながら本当の愛が微笑んでくれるのを待つ潔癖な若者の物語で、美しいメロディをきれいなハーモニーで歌い上げている。
さすがにレノン=マッカートニー名義の作品のことはある。
伴奏でソロをとるヴィヴィッドなギター・プレイもなかなか印象的である。
それでは、ピーター&ゴードンの歌をこちらでどうぞ。
ちなみに、作者の名義貸しをした形になるジョン・レノンは、この曲の出だしの歌詞を、“Please lock me away, Yes, okay”といって楽しんでいたらしく、大層気に入っていたようだ。
また、歌詞の中に“I'm OK, Here I'll stay with my loneliness”(僕は大丈夫、孤独を友としてここにいるから)というフレーズが出てくるが、これはジョルジュ・ムスタキの“Ma Solitude”(私の孤独)と同じような世界観であることが興味を惹くところである。
♪ ♪
ピーター&ゴードンは、レノン&マッカートニーの作品でデビューを飾ったラッキーなアーティストだったが、やはり持つべきものは甲斐性のある「妹」、「妹のカレシの七光り」ってことだったかもしれない。
二人は、その他、ロサンゼルスで結成されたテディ・ベアーズ会心のビッグ・ヒット、“TO KNOW HIM (YOU) IS TO KNOW LOVE HIM (YOU)”(会ったとたんに一目ぼれ)(1958)をカヴァーしヒットさせている。
この曲、オールディーズ・ファンにとっては、きわめて重要な地位を占める作品で、テディ・ベアーズのメンバーだった当時18歳のフィル・スペクターの記念碑的な1曲である。
さらには、デル・シャノンが書いた“I GO TO PIECES”が、彼らの4曲目のヒット・ナンバーとなった。
“RUNAWAY”(悲しき街角)や“KEEP SEARCHIN'(WE'LL FOLLOW THE SUN)”(太陽を探せ)等のヒット歌手だったデルが自作曲を他のアーティストに提供するのは珍しいことだった。
ピーター&ゴードンがデルと出会ったのは、オーストラリアを楽旅中のことであった。
デルは無論自身で歌うためにこの曲を作ったのだが、あまりにも過密なスケジュールに追われ、録音の機会を逃していた。
彼らは行動をともにするうち親密になり、デルの方からこの作品を歌ってほしいと申し出ている。
When I see you coming down the street
I got so shakey and I feel so weak…
君が歩いているのを見つけると
ガクガク フラフラと感じてしまう
見るなと言い聞かせても
この目が言うことをきかない
僕は砕けてしまいそう 隠れてしまいたい
僕は壊れてしまいそう 死んでしまいそう
あの娘が 通りかかる度…
I got so shakey and I feel so weak…
君が歩いているのを見つけると
ガクガク フラフラと感じてしまう
見るなと言い聞かせても
この目が言うことをきかない
僕は砕けてしまいそう 隠れてしまいたい
僕は壊れてしまいそう 死んでしまいそう
あの娘が 通りかかる度…
余談だが、デルは持ち前のファルセット(裏声)で要所要所を抑え、エコーを巧みに利用する方法、自らのギターで繰り出す印象的なコード・リズムなど、音楽的センスが素晴らしかったが、この作品を正式にレコーディングすることはなかったようだ。
だが、ライヴなどではレパートリーとして歌っていたようで、その動画をどうぞ。
後年デルが自死したというニュースに接した時は大きなショックを受けたものだった。
何と言っても、私が最初に買ったシングル盤というのが、彼の「太陽を探せ」だったからである。
それでは、ピーター&ゴードン“I Go To Pieces”をこちらでどうぞ。
♪ ♪ ♪
ピーター&ゴードンは、このほかバディ・ホリーの“TRUE LOVE WAYS”、レノン=マッカートニー(実態はポールの単独作)の“NOBODY I'M YOURS”などのカヴァー曲や佳曲を世に出している。
彼らの代表曲をコンパイルしたのがこの“THE ULTIMATE PETER & GORDON”というアルバム。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f1/c266bdcbc1a42ecbb8f38fdd0edc6495.jpg)
二人は、1968年にデュオを解消、その後、ピーターはシェール、ジェームズ・テイラー、カーリー・サイモン、リンダ・ロンシュタットらの多くのアーティストの名プロデューサーとして知られるようになった。
一方、ゴードンの方は、ソロ活動をしていたが、表舞台に出てくることはなく、2009年に心臓マヒで亡くなっている。
私は、エヴァリー・ブラザース風のデュオだったピーター&ゴードンのどちらが主旋律を歌っていたのか長い間分らなかったのだが、どうやらゴードン・ウォーラーが主旋律を担い、ピーター・アッシャーがハーモニーを担当していたようだ。
ソリチュード選んだ人の自己主張 (蚤助)
ツンツン、トゲトゲしない穏やかさ、優しさが他のバンドにはないセールスポイントだったのでしょうね。
ビートルズの「アイル・フォロー・ザ・サン」や「ジュリア」のテイストに通じるものがあると思います。
これはやはり最もポップだったポールのテイストだったかもしれませんね。
こんど埋め込みの仕方を教えてください。
コレクターには夢のような時代になっているのですね。