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PARK

新しくお話を作りました
実在するある女性の物語です。

思い出と希望

2013-01-18 11:02:03 | 転落
今までずっと両親との嫌な思い出ばかり綴ってきました。

そうは言っても良い思い出だってたくさんあります。

例えば、いっぱい色々なところに連れて行ってくれたこと。

両親とも東京出身で、田舎というところがなく親心に夏休みはこれと言って遠出する場所もないからと、
毎年どこかに連れて行ってくれた。

小さい頃は、毎年旅行に行くのが当たり前だと思っていた。

でも、結婚直前の夏には吉田智子としての家族旅行はこれで最後なんだなって思うと寂しくてたまらなかった。

父と母とは色々あったけど、やっぱり家族。

母は何度も友達とのトラブルの相談に乗ってくれて、アドバイスもしてくれ良い方向に導いてくれたこともあった。

それなのになぜ、今になって私にきつく当たるのだろうか・・・

いつも冗談ばかり言い合っていた親子関係。

どうして?

理由を聞いても、「悪気はない。」「冗談だ」というばかり。

今までの良い思い出が、今になって悪い思い出ばかりが思い出される。

父は嫌な思い出ばかり思い出さないで、良いことを思い出せと言う。

でも、せっかくの楽しい思い出も結婚後の嫌な思い出の方が多いし強烈なものばかりなので、
かき消されてしまう。

私だって楽しい思い出を思い出したい。

家族のことだけではなく、友人との楽しい出来事など・・・・

どうしても嫌な思い出ばかりが前にでてきてしまう。

なんとかしたい。

どうにかした。

これからのことを考えようと、さくらの成長のことを考える。

やっぱり、頭の片隅に墨汁でくっきりと書かれた嫌な出来事。

私よりも何もしない兄には何も言わず。

「あいつは言ってもきかない。」で片づけられ、何をしても無関心。

私は一生懸命両親の為に色々やってきたのに、愚痴ばかり言われたりする。

どうして?

なぜ?

そんなつもりはない?

勝手だよ。

私ばかり・・・

もう、私の心の中には実の両親は・・・・いないものとなっている。

寂しいけれど・・・

こうして体調を崩して連絡をくれるのは義父母ばかり。

当事者はというと・・・何の連絡もなし。

涼介の方からいつも近況報告をしている状況。

私は生まれてこなければよかったのかなって思う時があるけど、
涼介やさくら、義父母の言葉を信じてここまで頑張ってきた。

これからは、実家のことは忘れて自分たち家族と義父母と楽しい思い出を作っていきたいと思う。
私の両親は、兄に見捨てられ私をダメにした。

良かれと思ったやり方だったと思うけど、本当に正しいやり方だったのだろうか。

今まで言いたいことを言ったり、思いやりのない態度で子供たちは離れてゆく。

老いてゆく自分たちに何も残らない。

可愛そうなのは自分たちではないだろうか?

過去のことは忘れろ・・・それは無理な話し。

だって、私だって一人の人間ですよ。

感情もあります。ロボットではありません。

娘だから何を言ってもいい?

それも違います。

自分たちは正しいと思っているようだけど、全然違います。


今は自分が母親になって娘に幸せになってほしいと願う。

そのために私は娘には伸び伸びと育ってほしい。

夢を叶えるために応援したい。

偶然にも自分が将来なりたかった夢と同じ夢。

叶えて欲しい。

夢を踏みつぶすようなことをしたくない。

親としてそう願うのが自然のこと。


今まで辛い思いをした分、私は幸せになりたい。

絶対に幸せになりたい。

いや、幸せになる!

幸せになってみせる!

幸せになりたいという希望を持ち続ける。

誰が何と言おうとも・・・




涼介とさくらという家族が持てたこと。

それが、今の私の幸せ。




反省と後悔

2013-01-16 09:56:12 | 転落
涼介が私と両親の間に入ってくれて、お互いの情報交換をしている。

カウンセリングの先生によると、私だけではなく家族カウンセリングと言って
周りの人もカウンセリングが必要とのこと。

でも、体調を崩したからと言ってさくらを預かってもらって一度帰宅。

その後一週間、連絡はすべて涼介のところへしてもらうことになっているが、
心配する言葉すらないとのこと。

そして、兄については「しょうがないなぁ。」と半笑いして呆れている感じで、
妹の心配など何一つしてない様子だったとのこと。

カウンセリングの内容や今の私の状況を涼介が両親に伝えたところ、母は過去のどこが悪かったのか、
何がいけなかったのかと後悔し始めているという。

父も「今更言ってもしょうがない。」と母と口論になったそうです。

もう遅いよ。

私が体調を崩してやっとわかってもらえた辛い過去。

もう今更反省してもらっても、後戻りはできない。

何かやってもらおうとか、謝罪の言葉が欲しいとかではない。

私がどれだけ傷ついていたのかを知って欲しかっただけ。

嘘を言って責め立てたり、思いやりのない言葉や暴言で傷つけたこと。

良かれと思ったことらしいけど、全て裏目に出ていたこと。

これからの私をそっと見守ってくれればいい。

温かい言葉をかけてくれればいい。

たったそれだけ。

母は病気をしてから、腎臓だけではなく心も病んでいたのだろう。

だから私は何を言われても我慢してきた。

だけど、もう我慢ができない。

体がそうさせた。

長年の積もり積もってきたストレスが今爆発した。

でも、もう爆発しきったので、私は新たな人生を送る心の準備ができた。

私を認めてくれればいい。

私という存在を・・・

今までやってきたことを認めてくれればいい。

信じて。

私の願いは、ただそれだけ・・・





葛藤

2013-01-15 13:16:21 | 転落
早く自分の体調を良くしたい。そして、さくらに会いたい。

必死になって自分の気持ちを落ち着かせた。

数日たって、やっと自分の気持ちが落ち着いてきたので預かってもらっている父に手紙を出した。

忙しい中さくらを預かってもらって申し訳ない。もうすぐクリスマスだから、
それまでには体調を整えたいからもう少しお願いします。

という内容の手紙を送った。

毎日さくらに会いたくて泣いていた。

クリスマスソングをBGMにし、家の照明を消してろうそくをつけた。

さくらと涼介と一緒にクリスマスパーティがしたい。涙が止まらなかった。

そろそろ体調も良くなってきた頃、涼介が会社から帰ってきたときに一通の手紙がポストに入っていたと持ってきてくれた。

送り主は父からだった。

内容は次の通りです。

「さくらはとてもいい子で、よく言うことを聞いて家に帰りたいと思うのに一言も言わず明るくふるまっている。
見ているのがかわいそうなくらいだ。お母さんも体調があまりよくないので、さくらを帰宅させたい。」

母の体調の件は、良くわかった。

あとはさくらのこと。

わかっている。

一週間実家でお世話になっていたけど、私としても早くさくらに会いたい。

私の為に寂しいだろうに、明るくふるまっている。かわいそうと思うこと。

わかりきったことをわざわざ私に伝えなくていい。

毎日泣いていた。

言われなくても、私はさくらの母親です。

私が一番辛い思いをしています。

私のストレスはこれを機に、悪化してしまった。

なぜ、大丈夫だよ。安心して、ゆっくり休んでね。という言葉がでてこないのだろうか?

涼介が自分の両親に今まであったことを話したところ、すごく私を心配してくれただけではなく
「相談事があるなら、もっと早く行って欲しかった。いつでも相談に乗ってあげるからね。」と
温かい言葉をもらった。

私はすごく嬉しかった。

でも、その逆に寂しかった。私の両親にそんな言葉を言って欲しかった・・・すごく悲しい。

義父母は私の味方になってくれる。

今まで辛い思いでしかなかったけど、明るい希望が湧いてきた。

そして・・・一週間後、娘が実家から帰ってきた。

自然とさくらを、抱きしめた。

「ごめんね。ごめんね・・・・。」

「ううん。大丈夫だよ。ママが悪い訳じゃないから・・・」

さくらはこう言ってくれた。

涙が止まらない。

これが親子のあるべき姿。

自然と態度で現れる。

数日後、涼介は私の父からもらった手紙を義父母に見せた。

義母さんは「ただでさえ落ち込んでいる時に、この内容だと余計に落ち込んでしまうね。」と言ってくれた。

そして、さくらの学校行事に義父母が参加してくれることになり、一度うちに寄って私に会ってくれた。

義母は私を軽く抱きしめ、「何かあったら言ってね。気にしたらダメだよ。」と励ましてくれたのです。

嬉しい。

温かいぬくもりを感じだ。これが人の温かみ。

やっと私のことわかってくれる人がいる。光が見えてきた。

良かった。

義父母の温かい気持ちが、私の冷めた心を少しずつ溶かしていってくれる。

本当によかった・・・



第三者に相談

2013-01-14 13:38:29 | 転落
そんなことばかり言われ続けてきたせいか私はだんだんと自分の殻に閉じこもるようになり、
自分の夫や娘にまで壁を作るようになっていった。

外に出るのが怖くなった。

そんな私を見かねて涼介はインターネットで探したカウンセラーに相談することにしてみました。

ある程度のアドバイスをもらった結果、やはり私が心の傷を負ったのは両親が原因とのこと。

涼介はそのアドバイスや今まで私が言われ続けてきたことなど、父に話をしてくれた。

でも、父は内容をわかってくれたものの、「私自身の心が弱いからだ。気分転換すれば、そんなものは変えられる。」
と言ったらしい。

話は平行線を辿る。

陽気が良いときには自分自身も精神的にも落ち着いて外に出られるようになるけど、
秋から冬にかけてまた過去のことを思い出し不安で恐怖な思いをする。

専門家に聞くと、季節性のうつとうつ病が混在しているのではないかと言われ、再びカウンセリングを受けることにした。

やはり原因は両親。特に母親。

気が付くと、私は片手にナイフを持ち自分の腕に傷をつけていた。

ある日父がさくらに本を買ってあげたとうちに来たときに、私がナイフを片手に出てきたのを見て驚いていた。

そして、腕には数か所の傷の跡。

さすがの父もかなり動揺していたようだった。

私をなだめた様だったけど、私は父が何を言っていたのか覚えていない。

でも「いいか、さくらにはその傷をみせるなよ。」と言ったことだけは覚えている。

とにかく、父を見るとどうにもならない気持ちでいっぱいになり「早く帰って!一人にさせて!」と言い、
父を追い返してしまった。

涼介と私、そしてカウンセラーさんのアドバイスから、今まであったことや傷ついたことなど涼介が
父にもう一度話してみようということになった。

そして、この話は母の耳には入れないことになっている。

病気の母にはこれ以上心配を掛けたくないし、伝えたところで母は「私の何がいけないの。」
と一点張りになるから。

涼介は何度も父に私の状況やカウンセラーさんのアドバイスを伝えてくれ、
アドバイス通りしばらく関わらないという約束をした。

ところが、飲んでいた漢方薬が合わなかったのか、私は体調を崩してしまった。

とてもじゃないけど娘の面倒を見られる状態ではない。

もう小学生の高学年なので手間のかかることはないけれど、
塾やピアノ教室へ行くために早めの夕飯などを用意しなくてはならないし、
できない自分にイライラしてどうしていいのかわからない。

色々悩んだ挙句、とりあえずその日は休み日だったので、
車で1時間ほどの涼介の実家へ娘を連れて行くことになった。

でも週明けになっても体調が良くならいし、娘は学校へ行きたがっているということで、
涼介が事情を話して私の実家で娘を預かってもらうことになった。




きつい一言

2013-01-13 10:36:30 | 転落
私は小さいころからずっと左利きで、鉛筆を持つのとそろばん以外はほぼ左利き。

幼いころに両手で別々の色のクレヨンを持ち、同時に色を塗ることができたので「器用だね。」とよく言われた。

小学校高学年あたりから、料理に興味を持ち始めたので母親に「料理を手伝わせて欲しい。」と言ったことがあった。

最初は簡単なものを手伝わせてもらった。ある程度慣れてきたら、包丁を持たせてもらえるものかと思っていた。

ところが、「あなたは左利きで、見ている私が怖くてしょうがないから包丁は持たせられない。」と言われ、
大きくなるまで包丁を使った料理の手伝いはさせてもらえない。

涼介と結婚が決まり、母親の作った料理を習いたいと思い再びお願いしたところ、やっぱり断られ
「そんなに料理がしたかったら料理教室にでも通えば?」と言われた。

仕事もしていたので料理教室など通っている時間の余裕もないし、休日は新婚生活の準備で忙しかった。

思いやりもない言葉に私は絶句。

結局、休日などを利用して母の作るところを見ているだけで、なんとか頭に叩き込んだ。

そんな状態で結婚して自炊することになってしまった。

お米を初めて研いで炊飯器にぶち込んだ。こんなのでいいのかな???

新婚当初は私も仕事をしていたので、平日の夜は社食を利用していたのでなんとか自炊をしなくても良かった。

問題は休日の食事。

見よう見まねで覚えた料理を作り、涼介に食べてもらう。

涼介はおいしいと言ってくれた。

それから、さくらが生まれた後ママ友さんから食品の宅配サービスを紹介してくれた。

小さい子がいるとなかなか外に出られない時もあるし、配達してくれると便利とのことで私も始めて見ることにした。

新鮮な野菜や果物、そのほかの食材で何もかもが珍しくインターネットでレシピを調べ色々な料理にチャレンジ。

なんとかおいしくできるようになり、自分にも自信が持てるようになっていった。

さくらが幼稚園に上がった頃くらいに、父とさくらでこんな会話があったらしい。

「さくらちゃん、ママの作る料理はおいしい?」

「うん。おいしいよ。」

「えっ、そうなの?ホント?」

「本当だよ。」

「本当においしいの?」

と何度もしつこく聞いたとのこと。

さくらは、当時は何のことはない会話だったみたいですが、今になって思い出すと自分の母親の作った料理を
なんでしつこく聞くのか疑問に思っていたそうです。

更に、母が腎臓を患って人工透析に通うようになって「買い物に行く時間があまりない。」というので、
私が利用している食品の宅配サービスを紹介した。

ところが、母はウザったそうな顔で「あれって、すごく邪魔なのよね。うちはいいわ。」と言った。

どうやらあまり好きではないらしい。

ある日、用事があって母に電話をしたら何かを思い出したかのように
「そういえば、あなたの料理は全部冷凍食品なんだって?」と言ってきた。

「は?冷凍食品ばかりってどういう意味?」

「だって、食品の宅配サービスをやっているんでしょ?」

「冷凍ばかりではなく、普通の食材もあるよ。」

「料理なんてしていないじゃない。」

「は????」

もう意味が分かりません。

母は古い考えの持ち主で、今となっては実家から車で5分ほどの近所に住んでいるのですが、
嫁に出した家にはあまり行かない・・というポリシーがあるらしく、よほどの用事がない限りうちには来ません。

だから、私が料理をしているところなど見たことがありません。

見もしないで「冷凍食品ばっかり使って・・」という言葉を使われる筋合いはないと思う。

母にあまり料理を教わらず、見よう見まねやレシピ本やネットで調べ一生懸命努力してがんばっているのに
私の努力も認めず勝手な事ばかり。

「見もしないで勝手なことを言わないでよ。」と私が言うと・・

「この子おかしなことを言っている。なんなの?」と逆切れ。

おかしいのはどっちだ!

そんなおかしな会話をしていても電話口の母の傍には父がいたそうですが、おかしなことを言っている母をかばうばかりで
まともなことを言っている私に怒鳴り散らす。

もう私は何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってしまいました。

電話を切ったあと、私はめまいをして倒れ込みました。でも涼介は会社へ、さくらは学校へ行っていて誰もいない状態。

本当に私は何をしても怒られるし、やってもいないことを言われたりしなくちゃいけないのだろうとずっと疑問に思いました。

なんで私ばかり・・・




自問自答

2013-01-12 11:11:57 | 転落
色々あって私は誰も助けてくれないことに気が付いた。

私だけが我慢すればいい。耐えればいい。そう思っていた。

でも体はそう簡単に言い聞かせることができなかった。

夜中に目が覚めたり一人でいる時に色々思い出したりした。そんな私を両親は知らない。

外出できなくなった私に対し「お前は何をやっている。さくらがかわいそうじゃないか。」と責め立てられる。

これはイジメだ。自分たちの言いたいこと、やりたいことをみんな私に押し付け、
気に入らないと愚痴を言いストレスのはけ口にされている。

人間としてではなくストレス解消の道具にしか過ぎなかった。人間扱いされていない。

それから自分が言っていないことを言ったことにされたり、言ったことを言ってないと言われたり。

都合が悪くなると「そんなことぐらいで。」「気が小さい。」「いちいち気にするな。」
「娘だから何を言ってもいいだろう。」と言われた。

ところが、孫のさくらには「さくらは賢い子だ。こんな良い子はいない。」と褒めまくる。

ピアノを弾いたり、絵を描けば「上手だね。」と大絶賛。

なぜ?

他人ならとっくに会うことを辞め絶交状態にあるのに、残念ながら私の実の親。

会いたくなくても、家は近いし父は孫が大好きで声が聞きたいと電話をしてくる。

私は一体どうしたらいいのかわからない。

私の心の中に2つの自分がいた。

一つは今までの自分。みんなで楽しくワイワイする自分。どこかに行きたい、毎日が楽しいと思う自分。

もう一つは、作られた自分なのか、それとももともとの自分なのかわかりませんが、誰とも話をしたくない。

何をしても楽しくない。笑えない自分。

一体どっちが本当の自分なのだろうか?自問自答してみた。

何を言っても信用してくれない両親。

次第に私は涼介だけではなく、まわりの人全てが裏切られると思うようになっていった。

誰も信じられない。好意でやったことも喜んでもらえないのではないか、
一生懸命やったことも認めてもらえないのではないかと思うようになり、人との交流を閉ざしていった。

そんな両親は、母が体調を崩しても何も手伝わず、休日になるとどこかへ遊びに行ってしまう兄には何も言わなかった。

どうして?

楽しいことを思い出そうとして、旅行に行った時や独身時代の写真を探してみたこともあった。

楽しいことを思い出すよりも、あの日に戻りたいという思いの方が強かった。






天国と地獄

2013-01-11 10:13:15 | 転落
子供の頃からよく夏休みになると、家族旅行に連れて行ってくれた。

両親とも東京出身で、田舎がないのでどこかに連れて行ってあげたいという親心があったのかもしれない。

楽しい思い出を作ってくれたこと、感謝しています。

でも、その裏側には鬼のような一面もあった。

夏風邪を引いて咳は止まらず、微熱はある状態で遠出するのは辛い状態にあったのですが、
予約をキャンセルするわけにいかないと、強引に連れて行かれたことがある。

それから、週末に買い物に出かけるからと38度の熱があったり、頭痛がひどくでも強引に連れて行かれたこともある。

立っているのも辛くて座り込んでいると、「何やっているの?」と母に嫌な顔をされたこともあった。

家で留守番したいと申し出ても、「勝手にしなさい」と怒られる。

病気をしてはいけないの?

そのせいか風邪を引くだけで憂鬱な気分になっていて、いかに風邪をひかないようにしたらいいか色々自分なりに工夫した。

それ以来、さくらが風邪を引いただけでもどうしていいのかわからなくなる時がある。

怖くてたまらない感情が出てくる。

そうやって子供の頃から、親の顔色を窺って生きてきた。

カウンセリンラーの先生にも言われた。

「親の顔色を窺って育ったようですね。」

まさにその通り。

離れて住むようになってからようやく分かったことだった。

今までの当たり前が、両親から離れてから当たり前に見えなくなってきた。

病気に対する恐怖感から、自分はもとより娘が病気になった時に病院へ行くのがとても怖くなるようになった。

娘が風邪やインフルエンザになった時は、夫に行ってもらっている。

私の両親にはこのことは言わないでおいた。なぜなら・・罵声を浴びるから。

「会社を休ませて、涼介にさくらを病院へ連れて行くとは何事だ!」

確かに、ごもっともな話です。

共働きならともかく、私は専業主婦。

時間に余裕があるのになぜ、私が連れて行かないのか疑問に思うだろう。

いつも私が悪者。いくら説明しても聞き入れてくれない。

私は何をしても叱られる。

怖かった。





憂鬱な毎日

2013-01-10 09:27:26 | 転落
度重なる父や母の勝手な言動。

いつしか知らない間に私は一人でいるときに「私は何も悪くない。」とか「ごめんなさい。」
という言葉を口に出すようになっていた。

そして今まで以上に涼介やさくらにも関心を持たなくなり、一人でぽつんとしていることが多くなった。

週末や夏休み、冬休みが私にとってとても憂鬱な日々だった。

バラエティ番組を見ても笑ってない、何をしても面白くない。気が付くと苦笑い。

涼介と知らない間に壁を作ってしまい、さくらとの会話も義理に聞いてあげている感じ。

ある日、高校時代の友達のことをふと思い出し、まずはメールでやり取り。

友達は何人かいるけど、小さい子供を持つママさんや障害児を持ったママさん、仕事をしている人、
遠く離れた地に行ってしまった人など様々。

昔のように声を掛けあえばすぐに会える状況ではなくなってしまった。

さくらを通じたママ友さんはいるけど、込み入った話をする間ではないし両親のことなど
恥ずかしくて話せない。

そんなことを思っていたら、いつの間にか一人で殻に閉じこもってしまっていた。

私が誰かに助けを求めても、家族内のことだし両親は「そんなことを言った覚えもない。」
とシラを切られる。

私だけが嫌な思いをし、体調を悪くしていった。

夏休みになるとみんなどこかへ出かけたらしく楽しそう。

テレビやラジオから、観光地の話題で持ちきり。

でも、私は出かけたいけど、体が動かない。

さくらにはどこかに連れて行ってあげたいけど、自分の体調を考えると遠出をする自信はない。

今まで毎年のようにさくらを連れて水族館や動物園、温泉旅行に行っていた。

最近は涼介の実家へ宿泊し、義父母に色々なところへ連れて行ってもらっている。

家族で出かけることなど・・・今はない。

夏休み明けには、クラスのお友達が「○○行ったんだよ。」とか話しがでるのを聞くと、私はだんだん落ち込む。

私だって連れて行ってあげたい!

家族で行きたい。

夏休み、さくらと涼介が涼介の実家へ行っている間、一人で遠出する練習をした。

怖かった。

泣きながら車を走らせたこともある。

今は一人だけど、きっといつか・・・前のように家族で楽しく出歩けるようになりたい。

涼介とさくらがいなくなってホッとした自分がいた。

でも、いないと寂しい。

なんだか不思議な感じ。

でも、涼介とさくらと旅行に行きたい。外食もしたい。

何が私をそうさせたのか・・・その時はまだわからなかった。



孫可愛さに・・・

2013-01-09 10:07:34 | 転落
私がだいぶ外に慣れてきた頃、さくらはもう3年生。

夏休み前のプールの授業での出来事だった。

学校に沿った道路からプールの授業風景が良く見える。

父がさくらのプールの授業風景を道路から見ていて、孫可愛さにデジカメで写真を撮ろうとしたところ、
私が偶然通りかかりました。

校長先生がデジカメで写真を撮ろうとした父を見つけ、不審者だと思い通報しようと大騒ぎになりました。

私が撮影しようとした父を見つけたら止めさせていたのですが、私が来たときにはすでに大騒ぎ状態だったので、
事情をよく知りませんでした。

結局、父が「孫を撮ろうとしただけですよ。でも、写真は撮っていません。」と言ったので通報はされずに済みましたが、
さくらには嫌な思いをさせたと思い、さくらが学校から帰ってきてから友達の反応など聞いてみることにしました。

お友達は「さくらのおじいちゃん?」と聞かれた程度で、特に何もなかったようですが子供から保護者の耳に間違って伝わったら大変な事。

さくらは、担任の先生に「さっきの人は、さくらさんの本当のおじいちゃんかな?」と質問されたそうです。

私は実際に撮影していなくても、騒ぎになったことには変わりがないので担任の先生に謝罪の電話をしました。

担任の先生も「藤原さんのおじいさんでよかったです。」と言ってくれた。

とりあえず、私は「誤解を招いて申し訳ございませんでした。校長先生にもよろしくお伝えください。」と電話を切った。

そのあと父に連絡。

「実際に写真を撮っていないとしても、誤解を招くような行動は良くない。今は不審者に敏感で、
特にプールの授業の撮影は良くないから気を付けて。」と伝えた。

ところが父は「孫の写真を撮って何が悪い。実際に写真を撮っていないし、勝手に誤解した方が悪い。

お前がどうして謝る。お前が悪い。」と自分は何も悪くないと主張する。

「私はそんなことを言っているのではない。間に入って謝罪したり、さくらに嫌な思いをさせたのだから少しは反省してほしい。」
と言ったら父は逆ギレ。

「やましいことなど何もしていない。勝手に勘違いをした学校側が悪い。警察に通報したっていい。無実なんだから。何が悪いんだ。」
と勘違いモード炸裂。

私はそんなことを行っている訳ではないのに、一向に私の言葉など理解しようともしない。

「さくらには謝る。でも、なんでお前に謝らなくちゃいけないんだ。」とムチャクチャなことを言いだす。
何度言っても全く聞き入れない父には、あきれました。


それから何日も眠れない日々が続いたけど、実家には何も言わなかった。

あまり人を悪く思わないさくらも、さすがにこの時は嫌な思いをしたようで(父に)「しばらく会いたくない。」
と言い出してしまいました。

自分のことしか考えていない父。全く困ったものです。

間に入った私は一体何?

嫌な思いをさせてしまったさくら。

そして、自分が誤解を招いた行動をとって私が間に入って説明したことについて何も言わない父。

私はだんだんと精神的に疲れてきました。