
常総市に水海道風土博物館として一般公開されている立派なお家です。
テレビや映画のロケにもよく使われているそうです。
地元では「伊左衛門どん」とか「だいじん屋敷」と呼ばれ、この土地に土着して500年ほどになる坂野家。
近世期ではこの地方の惣名主的存在で多くの人に親しまれていた人だとか・・・。
江戸時代中期に行われた飯沼の新田開発のとき、
幕府から3000町歩(30k㎡)におよぶ大事業で「頭取」の一人に任じられ、米の生産拡大に向け尽力したそうです。
それを契機に拡大し、昭和8年(1933)の記録では、米が小作米ともで1,300俵、小麦600俵の収量があるほどの大農になったようです。
現在残されている家屋の原型も、その頃に築かれたもののようです。
昭和43年(1968)に「主屋」と「表門」(薬医門)が国の重要文化財に指定されました。
主屋は、「土間部」「座敷部」「居室部」に分かれ、豪農の家にふさわしい構造です。
また「月波楼」と名付けられた「書院」には、
幕末から明治期にかけて多くの書家や画家たちが訪れて、優れた作品の創作活動の場となっていたそうです。
明治25年に発刊された「大日本博覧図」にもこの坂野家の銅版画が掲載されているそうです。
(「大日本博覧図」とは関東地区のお屋敷200軒程が銅版画などで収められている本で、原本は国会図書館に保管されているそうです。)
それほど大きなお屋敷ということですね。
道路に面した駐車場から見た限りでは、その建物の様子は全然わかりません。
敷地が広いのですねぇ。

駐車場の横に、坂野家を紹介した案内板が立っていました。

最初にお話しした銅版画がここに掲載されています。

少し曲がってしまっていますが、銅版画アップです。

池があったり、梅林があったりで、
春先の梅の季節や秋の紅葉に訪ねたら、きっと綺麗なのだろうなと想像し、
冬枯れの庭園を観賞しながら、先へ進みます。
この庭園の空気、色合いその他を見ていると
数年前の寒い今頃に訪ねた常陸太田にある西山荘の庭園を思い出しました。

ようやく門が見えてきました。
これは、表門にあたる門で「薬医門」と言うそうです。

立派な門です。
お正月ということで、門松も飾られています。
奥には主屋らしきものが見えます。
入り口には坂野家住宅入館の案内板です。

訪ねたい方のご参考になれば・・・

門をくぐってからも、更に歩きます。
建物はまだ先なんですよね~。

敷地内に入って歩いてる横には、納屋らしき建物がありました。

やっとお屋敷にたどり着きました。
入り口で入館料を払います。
まずは土間になっています。
この日は特に寒い日でしたが、暖房は一切入っていません。
見学者は10人にも満たなかったですね。

入り口を入ってすぐ左側には「板木」というのがあります。
これは、現代で言う玄関チャイムですね。
実際に叩いてみると、どこにいても聞こえるほどよく響く音でした。
来客用のものとしてだけではなく、
広い家の中を、行ったり来たりするのは大変ですから、
夕飯の時間とか、家人同士で叩き方によっての合図を決めていたそうです。
生活の知恵ですね。

そして、特に目をひいたのがこの天井です。
しっかりと木が組まれていて、その技術に驚かされました。
この上は板が張られていて、天井裏部屋として使えるようになっているみたいでした。
(実際には、どう利用していたか私の知識ではわかりませんが・・・)


屋根を支える梁を「小屋梁(こやばり)」と言うそうですが、
この土間の天井部はとても豪壮な梁の架構が見事だということも特徴のようです。
見学するにあたって、土間の奥にテレビがあります。
本当はそこでビデオ説明を観てから見学するのですが、
あまりに寒くてじっとしていられず、今回そのビデオはほとんど観ませんでした。
その代りと言いますか、係の方がそれぞれのお部屋で丁寧に説明してくださいました。

何カ所かに部屋の説明をしたチラシも置かれてありました。
土間には、竃(かまど)、馬屋、浴室、囲炉裏などがありました。

こちらが竃(かまど)です。
この辺りでは、カマクド、ヘッツイなどとも呼ぶそうです。
大小合わせて4つもあります。
かなり大所帯だったのですね。
傍には火消し壺もありました。

囲炉裏です。
囲炉裏の向こう側に出入り口があります。
あ!あの木戸の鍵・・・

懐かしいですね~。
前後に開く2枚の扉を棒で抑えるのを閂(かんぬき)と言ったような気がしますが、
この形も閂と言うのでしょうか?
ちょっとその辺は専門でもないのでわからないのですが、
時代劇でもよく見る鍵(と言って良いものかどうか?)ですね。
我が家でも同じような原理で棒を置いて二重ロックにしていたことがあります。
これって中からは閉められますが、外からは無理ですよね。
外出するときに鍵がかけられなくてどうしたのかしら?
まぁ、これだけ大きな家ですから、誰かは家にいたのでしょうね。

こちらは馬屋です。
外ではなくて、建物内に設けられていたというのは、
馬が生活や農業生産にとって貴重な存在であったということなのでしょう。
江戸期の坂野家資料では、
坂野家11代当主のころに家族7人、奉公人10人、馬1疋がいたことが記されているそうです。
(1頭ではなくて1疋なのですね〔馬の数え方についての参考資料〕)

お風呂場。
土間にあるのですから、冬は寒いですよね。
実際に10年ほど前までこちらには、
お婆さんが一人で住んでいらして、実際に使用していらしたようです。
10年前と言ったら、ついこの前という感じです。

私の年代にとっては、このお風呂もですが、檜の桶も懐かしいです。
この周りの竹の部分を箍(タガ)と言うのですよね。
「箍が外れる」というのは、ここから言われるそうですが・・・
若い年代の方は、言葉には聞いていても、実際のものを知らない人が多いのでしょうね。

そろそろ、土間から居室へ上がろうと思った時、
ふと気づいたのですが、
この縁の下と言うのか床下は風通しが良さそうで、ちゃんと柵まであります。
私の記憶ではここまで細かく柵などをしている縁の下は初めてのような気がします。
あれ?普通はあるものなのかしら?
今までそれほど注意深く見ていなくて・・・。
古い建築に詳しい方、普通はどうなのか教えていただけると嬉しいです。
というところで、この続きは、また・・・。
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坂野家住宅、数年前に一度行ったことがあります。近くの薔薇園にも行きました。
子供の頃には良く見かけた茅葺屋根の家。
そんな家を見ると、つい惹きつけられてしまいます。
薔薇園、この近くでしたかぁ。
気になっていたのです。
今度是非行ってみたいと思います。
情報、ありがとうございます。
映画のシーンにも利用 人気茅葺ですね
保存する姿勢 続いてほしいです
曲がり家のようにも見えますが・・・
残念ながらお屋敷内には入れませんでした。
豪農の佇まいが見事ですね。
入れませんでしたが、隣の坂野家の子孫が暮らしているバラのお庭を見せて頂きました。
秋だったので秋バラでしたが、沢山咲いていました。
また春のバラの季節に行ってみたいと思っています。
素晴らしいお屋敷ですね~ 庭園が魅力的ですね~
こうした古い建物を訪ねて歩くのは好きですね~
屋根を支える梁を「小屋梁(こやばり)」と言うのですね!
現代の耐震化に使えそうな感じですね☆
このような建物は温かみがありますね。
いつまでも残して欲しいです。
inakaさんのブログも癒されますね。
懐かしくなるような写真が良いです。
休館でしたかぁ・・・。
それは残念でしたね。
バラ園、羨ましいです。
気になっていたところです。
私も春になったら、もう一度行きたいです。
今度はバラ園も・・・。
この敷地に一歩踏み込んだだけで、
心がとても落ち着きました。
不思議ですね~。
特別な空気が流れているかのようでした。
建物の名前とか、いろいろ知らないことがたくさんありました。