北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

面疔と脱疽

2015-07-31 13:17:05 | 日記
母は昔の人なので、子供を怖がらせるような話をしたのだが、その中でも特に恐ろしかっ

たのは、面疔と脱疽の話だった。面疔は「めんちょう」、脱疽は「だっそ」と読む。小学生く

らいだから、最初は漢字も判らない、耳から入った「めんちょう」と「だっそ」の音だけなの

だが、「死んでしまうこともあるのよ。」と聞かされると、とにかく怖かった。

面疔は、主に鼻の先端や周囲の「おでき」のことなのだが、単なる「おでき」や「ニキビ」と違

って、特に鼻の先端の「おでき」は、それがどんどん、それも急激に悪化して、最後は眼や

脳もやられて死んでしまうと言うのだ。おそらく戦前は母の周囲に、そういうことがあっ

て見聞きしたのか、明治生まれの親達の世代から、私が母から聞かされたように、母も子

供の頃に聞かされて育ったのかもしれない。それほど、戦前や明治・大正の日本人は、あ

っけなく死んでしまっていたのかも知れないし、昔の日本人は、そのような世の中を生き

ていたという事なのだろうか、、、。

脱疽は、喜劇王の「エノケン」こと榎本健一さんが罹った病気で、足の親指などが化膿して

手当てしないでおくと、毒素がまわって片足切断、悪くするとやはり死んでしまう病気。

これも母は、「エノケンは片足切断してしまって、ないのよ。」と話すのです。

私が生まれて初めて見た映画は、函館の十字街の映画館で見た「エノケン」の喜劇仕立ての

時代劇だったと思う。お城の中の櫻吹雪が舞う渡り廊下のある庭で、町人姿の「エノケン」

がお姫様と一緒に、飛んだり撥ねたり大立ち回りして、最後は例の顔で「ニカッ」と笑うの

です。(お姫様役は、確か美空ひばりさんだったような、なかったような、、、。)あれが

義足での演技だとしたら、「エノケン」こと榎本健一さんは、とんでもない喜劇役者さんで

す。



「エノケン」こと榎本健一さん







右は美空ひばりさんではなく高峰秀子さん(函館出身)


昭和20年代は、まだ良い抗生物質もなかったんですね。とにかく母は、掌(てのひら)を

丸くして、僕の鼻と口を塞ぐように当てると、『この中に「おでき」ができると危ないの

よ。「おでき」が「めんちょう」になって死んでしまうのよ。』と、子供の僕を、おどかすの

です。それ以外にも、「タバコを一本水に溶いて飲むと死ぬのよ。」とか「醤油を一升飲め

ば死ぬのよ。」とか、どうなっているんですかねぇ、、、。


ひどい母親です、、、、。



追記  榎本健一「私の青空」


    


    「せまいながらも楽しい我が家」って、こりゃ建築設計の歌ではありませんか?


「私の青空」  堀内敬三訳詞


夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空

日が暮れてたどるは 我が家の細みち

せまいながらも楽しい我が家

愛の火影(ほかげ)のさすところ

恋しい家こそ私の青空



     My Blue Heaven

    When whippoorwills call and evening is nigh,
    I hurry to my Blue Heaven.
    A turn to the right, a little white light,
    Will lead me to my Blue Heaven.

   I'll see a smiling face, a fireplace, a cosy room,
   A little nest that nestles where the roses bloom;
   Just Molly and me, and baby makes three,
   We're happy in my Blue Heaven.(refrain)


    「a cosy room」の「cosy」 は、吉村先生のいう「コージーコーナー」の

    「コージー」ではありませんか、、、!









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