今日は、1982年1月1日に発売された、B&Bの島田洋八さん、ツービートのビートきよしさん、紳助・竜介の松本竜助(旧・竜介)さんによって結成されたユニット、うなずきトリオのうなずきマーチについて書いてみます。画像は当時発売されたEPレコードのジャケットです。
このユニットが出来た元々の原案は、たけしさんらしいですね
3人を組ませて漫才をやらせてたらどうなるかと、当時の超人気番組オレたちひょうきん族(1981年5月16日~1989年10月14日)で実験的にやってみたら大人気となってしまい、歌を出すまでになってしまう運びになってしまいました
作詞・作曲は、大滝詠一さん、コミックソングの雄として顔も持っている大滝師匠だけにバッチリ仕上がっています小学校の時、同じクラスの子が、うなななうなうなな、ずきっとよく口ずさんでいましたねえ私は恥ずかしくてちょっとためらってました
彼らといえば、ひょうきん族の人気コーナーひょうきんベストテンで、富山県の宇奈月温泉でこの歌を歌ったのを憶えています思えば、この時が彼らの1番輝いている時だったですね
この頃のひょうきん族は、飛ぶ鳥を落とす勢いで、同じ時間帯=土曜8時でTBS系で放送していた8時だョ!全員集合(1969年10月4日~1985年9月28日)に迫る勢いでした※。メインのタケちゃんマンを始め、他のコーナー皆噛み合っていました。とにかく、実験的企画・アドリブが多かったです。このことが、当時の視聴者に新鮮に写ったと思います
※その後も勢いは止まらず視聴率で追い越し、全員集合を終わらせる結果となります。番組終了後、TBSは同じ時間帯で加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(1986年1月11日~1992年3月28日)でリニューアルして放送開始、素人ビデオ投稿コーナーなどのヒットで逆にひょうきん族を追い詰め放送終了までに至らせた。この時間帯の視聴率競争を土曜8時戦争と呼ばれています。
今日なぜこの曲を取り上げたかと申しますと、もうご存知の方が多いと思いますが、松本竜助さんが、4月1日の午前5時2分脳出血のため大阪市内の病院で亡くなりました。享年49歳だそうです。
竜助さんは、漫才ブームで脚光を浴びたものの、その後「紳助・竜介」解散、事業失敗で自己破産などで、かなり苦労なされたみたいですね。漫才ブームを直に体験した者ととしては、寂しいですねまだ若いのに・・・
記事書いている途中で気づいたんですが、ひょうきん族のメンバーはもうほとんど50歳を超えているのですね。
最後に缶コーヒー「ジョージア」のCM、紳助さんのものなのですが、竜助さんが輝いていた時のものも少し写っているCM動画のリンクを下に載せておきます。
CM|ジョージアネット
もう1つ、「紳助・竜介」と言えばこれ、
三国志のことなら何でも知っている人形劇三国志の解説者「島田紳助」と同じく「松本竜介」です!
紳々・竜々が懐かしい
ご冥福をお祈りします
←左のバナーをクリックしてくれるとうれしいです最後まで読んでくれてありがとうございました
このユニットが出来た元々の原案は、たけしさんらしいですね
3人を組ませて漫才をやらせてたらどうなるかと、当時の超人気番組オレたちひょうきん族(1981年5月16日~1989年10月14日)で実験的にやってみたら大人気となってしまい、歌を出すまでになってしまう運びになってしまいました
作詞・作曲は、大滝詠一さん、コミックソングの雄として顔も持っている大滝師匠だけにバッチリ仕上がっています小学校の時、同じクラスの子が、うなななうなうなな、ずきっとよく口ずさんでいましたねえ私は恥ずかしくてちょっとためらってました
彼らといえば、ひょうきん族の人気コーナーひょうきんベストテンで、富山県の宇奈月温泉でこの歌を歌ったのを憶えています思えば、この時が彼らの1番輝いている時だったですね
この頃のひょうきん族は、飛ぶ鳥を落とす勢いで、同じ時間帯=土曜8時でTBS系で放送していた8時だョ!全員集合(1969年10月4日~1985年9月28日)に迫る勢いでした※。メインのタケちゃんマンを始め、他のコーナー皆噛み合っていました。とにかく、実験的企画・アドリブが多かったです。このことが、当時の視聴者に新鮮に写ったと思います
※その後も勢いは止まらず視聴率で追い越し、全員集合を終わらせる結果となります。番組終了後、TBSは同じ時間帯で加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(1986年1月11日~1992年3月28日)でリニューアルして放送開始、素人ビデオ投稿コーナーなどのヒットで逆にひょうきん族を追い詰め放送終了までに至らせた。この時間帯の視聴率競争を土曜8時戦争と呼ばれています。
今日なぜこの曲を取り上げたかと申しますと、もうご存知の方が多いと思いますが、松本竜助さんが、4月1日の午前5時2分脳出血のため大阪市内の病院で亡くなりました。享年49歳だそうです。
竜助さんは、漫才ブームで脚光を浴びたものの、その後「紳助・竜介」解散、事業失敗で自己破産などで、かなり苦労なされたみたいですね。漫才ブームを直に体験した者ととしては、寂しいですねまだ若いのに・・・
記事書いている途中で気づいたんですが、ひょうきん族のメンバーはもうほとんど50歳を超えているのですね。
最後に缶コーヒー「ジョージア」のCM、紳助さんのものなのですが、竜助さんが輝いていた時のものも少し写っているCM動画のリンクを下に載せておきます。
CM|ジョージアネット
もう1つ、「紳助・竜介」と言えばこれ、
三国志のことなら何でも知っている人形劇三国志の解説者「島田紳助」と同じく「松本竜介」です!
紳々・竜々が懐かしい
ご冥福をお祈りします
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