2020年5月31日 12時20分 魚津埋没林博物館を出発。
県道1号で魚津港を通り、しんきうロードへ
米騒動発祥の地
12時25分 大町海岸公園に到着。
富山県魚津市本町にあります。
魚津の米騒動は、なぜ起こったのか?
うんうん、学校で習ったよね。えーと、覚えていないけど… あはははぁ。
そして、全国に広がります。
大町海岸公園に米騒動のモニュメントがあります。
デザインは、船のへさきに積んである米俵です。
では、行ってみよう!50m先に、米騒動発祥の地である米倉庫が残されています。
ここみたい。
見学の皆さんへ 旧十二銀行米庫は、公開していません。なぬ!
解説板があるのみです。それでは、米騒動についてお勉強です。
大正7年(1918年)、全国をゆるがせた米騒動は、7月23日の魚津町(現:魚津市)で起こった汽船への米の積み出し阻止が発端といわれています。
ふむふむ。
魚津の米騒動
大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦は、日本に好景気をもたらしたが、その反面、物価は急上昇し、庶民の生活は困窮した。特に、米商人の買い占めや売り惜しみなどにより、米価は戦前の4倍になっていた。
ふむふむ。
このような状況下、大正7年(1918年)7月23日、北海道への米の輸送船「伊吹丸」が魚津町に寄港した。おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しをおこなっていた大町海岸の十二銀行の米倉前に集まり、米の積み出しをやめるよう要求し、このため米の搬出は中止された。
ほっほ~
この事件は、地元紙により富山県内に大きく報道され、水橋、滑川、岩瀬、泊、生地など沿岸部で次々と米騒動がおこった。さらにこの騒動は全国に広がり、当時の内閣が総辞職に追いこまれた。その後、日本で最初の本格的な政党内閣の誕生につながった。
なるほど、勉強になりましたね。
それと、旧十二銀行米庫についての看板があります。
勉強すると、お腹が減ります。あはははぁ。
Boom!魚津漁港に駐車して、てくてく。
そろそろかな?右折します。
大衆食堂 四十萬
12時42分 到着。富山県魚津市諏訪町にあります。
店先にはお客さんが並んでいます。5分ほど待って、先頭になりました。
ガラガラガラ~ 戸が開いて どうぞ~
店内は、こんな感じ。
これこれ、すいませ~ん。
ジャジャーン!
五目中華です。
いただきま~す。
ズルズルズル う~ん、体に優しいラーメンです。うまい!
ゴクゴク、飲み干して
ごちそうさまでした。
さて、帰りますか~ 県道→国道8号
14時30分 無事帰宅。
というわけで 蜃気楼が見える街 魚津編でした。
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