藤袴(キク科)花言葉は、あの日のことを思い出す。秋の七草の一つ。山林や河畔などに自生する多年草の花。高さ1~2mで中国原産。葉は二つに裂け、茎と葉は多少紅色を帯びる。乾かすと芳香があり、特に香をるのは、桜の葉にも含まれるクマㇼンがあるから。乾燥した花を昔は箪笥に入れたりした。8~9月、淡紅色の小花を梢上に群がり咲く。「うつろへるほど似た色や藤袴 北 枝」「枯れ果てしものの中なる藤袴 高浜虚子」「音立ててまた来る山雨藤袴 岡井省ニ」「藤袴手織りたる香を身のほとり 加藤三七子」「雁坂の方は雲なり藤袴 村沢夏風」「すがれゆく色を色とし藤袴 稲畑汀子」「想ひごとふと声に出つ”藤袴 永方裕子」。先日栗飯を焚く予定で、近所の八百屋で栗を買う。皮むきに苦労して、さらに甘皮を剝くべく苦労するも、うまく剥げず、諦める。その後2~3日して、「サミツト」に行くと、「むき和栗(渋皮付き(大分県産;大粒甘栗;むき和栗;渋皮付き;国産品)」を売っていたので購入して帰る。炊飯時にこれを適当に刻み、一緒に炊き込むと簡単に栗御飯が出来た。但し書き=和栗の皮をむき、薄い渋皮を少しだけ残してあります。和栗の味や香をりを残すためです。渋皮ごと食べられます。九州、大分倦産の栗を使用しています。栄養成分表示「エネルギー157KCal;たんぱく質1.9g脂質0.4g糖質32.4g植物繊維4.1gナトリュウム8mg」。賞味期限16.06.26。内容量125g。 保存方法;高温多湿を避けて、開封後は冷蔵庫で保管し1~2日のうちにお召し上がりください。(但し書きあり);販売者;丸成商事(株)東京都練馬区豊玉北1.5.3℡03-3994-5555。簡単に焚けて非常に美味しい。先日の苦労と比較すると天地のさがある。(秋の夜や 栗飯に添え 酒を飲む ケイスケ)
ヒヨドリバナ(キク科;フジバカマ属)川岸や土手などに生える1~2mの多年草。茎には縮れたケがあつてざらつく。卵状長楕円形または楕円形で茎に鋭い鋸歯がある。両面に縮れた短い毛がまばらに生え、裏面には腺点がある。葉にはつやも香気もに。上部の枝先に多数の頭花をつける。筒状花は白色だが、まれに紫色を帯びる。しばしばウイリス病で、葉に黄色の斑点じょうの斑紋があらわれる。同属のフジバカナは、(中国原産で、日本へは奈良時代に渡来したといわれている。地下茎は横の長くはう。茎の下部は無色葉は3深裂し、表面は濃い緑色で光沢があり、ややかたい。ふちには鋭い鋸歯がある。頭花は淡紅紫色で、枝先にら数集まる。秋に七草の一つで、乾燥すると香気(クマリんリン)がある。唐の時代には香草として重用された。花期は8~9月生育地は野原。分布地は関東地方以西四国九州。同じ属には、「サワヒヨドリ、フジバカマ、ヤマヒヨドリがある。いずれも花の形、大きさに多少の違いがある。藤袴は秋の七草の一つ。山林.河畔などに自生する高さ1m~2mで中国原産。葉は3つに裂け、葉と茎は多少紅色を帯びる。一種の芳香があり、乾かすと特に強く香るのは、桜の花にも含まれるクマリンがあるから。乾燥した花を箪笥にいれたりした。「音たててまた来る山雨藤袴 福田蓼汀」「丹波けふいずこも照りぬ藤袴 岡井省ニ」「藤袴手折りたる香を身のほとり 加藤三七子」「雁坂の方は雲なり藤袴 村沢夏風」「すがれゆく色を色とし藤袴 稲畑汀子」「想いごとふと声に出し藤袴 永方裕子」。(人影は 息をころせり 藤袴 ケイスケ)
シオン;紫苑;しおに(キク科)花言葉は、追憶;遠くの人を思う。嫁菜、紺菊、東菊などのキク科の多年草で、野生もしているが、栽培されているものが多い。葉は茎もざらざらしているのが特徴で高さ2m近いものもある。古名を「しおに」といい、『古今集』にみえる。謡曲「大江山」には「鬼のしこ草とは誰がつけ名ぞ」とあるが、紫苑という美しい花から想像しがたい異名である。紫苑はその名の通り、紫色の色だが、紫苑色というかさねの色は『源氏物語』や『枕草子』にも出てくる。「澄む日影照る月影や紫苑咲く 水原秋桜子」「日に月に腰折れ紫苑ゆれとばす 馬場移公子」「露けぶるむらさき捧げ紫苑立つ 松本たかし」「鎌倉や紫苑畠に寺の影 有働 亨」「丈高きことが淋しく花紫苑 遠藤梧逸」「夢にさへ母見ゆ月日紫苑咲く 塩谷はつ枝」「栖より四五寸寸高きしをにかな 一 茶」「夕空や紫苑にかゝる山の影 閑 斎」「紫苑にはいつも風あり遠く見て 山口青邨」「紫苑ゆらす風青空になかりけり 阿部みどり女」「山晴が紫苑切るにもひびくほど 細見綾子」「ゆるるとも撓ことなき紫苑かな 下村梅子」「蓼科は紫苑傾く上に晴 木村蕪城」。(追憶は 妻子を想う 紫苑咲く ケイスケ)
友禅菊(キク科)花言葉は、恋の想い。北アメリカ原産の宿根アスターで、日本には明治の頃伝わつてきた。ゆうぜんぎくという美しい名前は、植物学者の牧野富太郎博士の命名です。花色は赤紫色やピンク、白など、直径2センチほどの小花が一度に数多く咲くので、なかなか見ごたえがあります。似た花に、シオンがありますが、寂しげなおもざしに対し、友禅菊はあどけなく可憐な印象です。キク科の多年草で、春の桜と並び称される日本の代表的な花。誇大中国から渡来したといわれる。菊には延命長寿の慈液が含まれているという伝説があり、平安時代に宮廷で菊酒を賜る行事が行われた。園芸用の多彩な品種が栽培されたのは、江戸中期以降。豪華な大輪や懸崖菊などが菊花展で競われる。「菊の香やならには古き仏達 芭 蕉」「白菊の目に立てて見る塵もなし 芭 焦」「有る程の菊なげ入れよ棺の中 夏目漱石」「黄菊白菊其の外の名もなくもがな 風 雪」「菊咲けり陶淵明の菊咲けり 山口青邨」「どの部屋もみな菊活けて海が見え 吉屋信子」「菊の鉢提げて菊の香のぼりくる 蓬田紀枝子」「次の世のしずけさにある黄菊かな 浅井一志」「菜にまぜて小菊商ふ嵯峨の口 飴山 實」「こころもち懸崖菊の鉢回す 橋本美代子}「山坂の影に入りけり菊車 吉田成子」。(武蔵野は 菊苑傾く上にはれ ケイスケ)
サルビア属にはいろいろな種類があり、草の姿もさまざまである。水田の畦などにはえるミゾコウジュや山野にみられるアキノタムラソウ、また山麓などにみられるサルなどもサルビアであり香料として栽培されるサルビア.オフィㇱナリスもサルビアである。オフィㇱナリスもサルビアである。オフィㇱナリスとは”薬効のある”という意味である。さきの園芸種の美しいサルビアは、学名をサルビア.スプレンデスは”立派な”という意味である。花冠は苞と萼で包まれ共に鮮紅色で、苞は開花する前に落ちるが、赤い萼は花冠が落ちたあともそのまま長く残っている。和名としては緋衣草という名がつけられている。香料として栽培されるサルビア.オフィシナリスも、単位サルビアとよばれているが、紛らわしいので園芸種の方をサルビアと呼ぶならば、香料植物のほうはセージと呼ぶほうがよい。サルビア.スプレンデㇱスハ南アメリカのブラジル原産で、1822年ヨーロツパにもたらされ、たちまち花壇の女王となった。イギリスでは、ㇲかーレツト.セージともいう。日本には明治中ごろ渡来といわれる。こんほかブルー.サルビアと呼ばれるものがある。学名をサルビア.パテㇱスはラテン語の”聡明な”とか”開山する”とかいう意味である。この園芸種はメキシコ原産で、1838年にイギリスに入ったもので、日本へは昭和のはじめに入った比較的新しいものである。この仲間には薬効のあるあるものがあり、ラテン語にもとずく”治癒する”とか”無病息災”という意味がある。この薬は、梅毒の特効薬として有名だったもので、ドイツの医学者バウル.二―リッヒ博士と秦佐八郎博士の協力発見によるものである。六百六番目に発見されたもので六百六号ともよばれる。香料や薬用にするサルビアは葉に芳香があるが多少苦味がある。薬用サルビアは、葉を摘んだ後も長く枯れないところから”持続”の象徴とされ、故人の遺徳を長くしのぶよすがとして、亡き人の墓に植える風習があった。また、この葉を煎じて飲めば、記憶力を強めるともいわれた。サルビアは、「無病息災」といわれる。
サルビア;ヒゴロモ草(キク科)花言葉は、燃える思い;知恵。夏秋花壇用に、最も多く使われる花の一つ。花色は真紅。「緋衣草」の名前がある。江戸時代末期にオランダより渡来。原産地のブラジルでは草丈1m以上の宿根草だが、日本では春蒔き一年草扱い。花色は、桃や紫、白もある。草丈30~60㎝、シソ科特有で茎は方形、唇形の花を輪状につけ、香気がある。サルビアの仲間は多く、一年草のブルーウサルビアや紅花サルビア、宿根性のメドウセ-ジなども花壇でよく見かける。「サルビアの焔に雨や麺麭つくり 堀口星民」「屋上にサルビア炎えて新聞社 広瀬一朗」「サルビアを咲かせて老後の無計画 蒲浦あや」「サルビアの花には倦むといふ言葉 稲畑汀子」「サルビアの咲く猫町に出てにけり 平井照敏」「サルビアの畑より父の迎へくれ 山田弘子」「海をみてきてサルビアの朱が残る 阿部 貞」「サルビアの情熱に負け子が駆ける 糟谷正孝」「サルビアの真赤な殺し文句かな 糟谷珠石」「火山灰の地のサルビア赫き姫街道 春原順子」。(サルビアの花眺めつつ昼食す ケイスケ}
シュウメイキク;秋明菊(キンポウゲ科;アネモネ属)花言葉は、忍耐。わが国の山野にふつうに見られる一輪草。明治初年日本に渡来したもので、ひろく栽培されるようになった。この属の植物はひろく北半球に分布し、約90種が知られている。アネモネという名は、ギリシャ語の(アネモネ(Anemone)からでた名であるが、アネモネとは”風の娘”という意味である。アネモネが何ゆへ風の娘というかというと、この草がよく風の当たる所に生育するからともいわれているが、実際はギリシャ神話にもとずくものと思われる。ギリシャ神話で、愛と美の女神であるアフロディーテ(Aph01te)に愛された美少年アドニスは、ほかの女神たちの嫉妬を受けて殺されるが、アフロディーテは、悲しみのあまりアド二スの血からアドー二ウムという草を芽生えさせた。この草は風が吹いたときにのみ血のように赤い花を咲かすので、風の意のギリシャ語にちなんでアネモネと呼ばれるようになったという。ちなみにアド―ニスという美少年の名はフクジュソウ(福寿草)の学名になっている。日本のアネモネは、園芸種となっていないが、早春から初夏にかけて花茎に花をつける。花弁のように見えるのは萼で、白。桃.赤.紫.青などの色がある。「アネモネのこの灯を消さばくずれほれむ 殿村花免絲子」「夜はねむい子にアネモネは眠い花 後藤比奈夫」「アネモネや神々の世もなまぐさし 鍵和田柚子」「アネモネや来世も空は濃むらさき 中嶋秀子」「アネモネや画廊は街の音を断つ 斎藤道子」。秋明菊の句は詠まれていない。(秋明菊忍耐つよく咲きほこれ ケイスケ)
ダリア(キク科)花言葉は、栄華;優美。メキシコ熱帯高地原産の球根植物。数種の原種を後輩して作られた園芸品種群で、花色は多彩である。花形も多様で、舌状花の幅の狭いものから広いものまであり、一重から八重まで。ポンポン咲きやオーキット咲き、カクタス咲きなどと呼ばれる。花の大きさも径葯3㎝の小燐から、中輪,大輪、径葯40㎝の巨大輪まである。球根植えつけは3~4月、草丈20~200㎝、葉は単葉から羽状複葉、または二回羽状複葉となる。暑さにやや弱いので、冷涼地では夏の間も咲き続けるが、東京以西の暑い地域では真夏は株が弱る。花を咲かせずに株を休ませると秋に再び咲く。日本には天保年間に渡来「天竺牡丹」と呼ばれた。「声楽家ダリア畠を距つのみ 山口青邨」「ポンポンダリア音盤軋み唄ひだす 原 聞石」「鮮烈なるダリアを挿せり手術以後 石田波郷」「真赤なる瓶にかぶせてダリアの首 永田耕一郎」「ダリア大輪ジャズが朝から家に溢れ 河野多希女」「敗戦の瓦礫ダリヤが咲いてゐた 川崎展宏」「ダリア活け嫁家の家風侵しゆく 鍵和田柚子}「南浦和のダリアを仮りのあはれとす 摂津幸彦」「尼さまにポンポンダリア直立す 岩永佐保」「ダリア提げ拒む言葉を選びをり 江渡 壌」「一滴の雨もとどかめず緋のダリア 中村菊一郎」「曇る日は曇る隈もつダリアかな 林原末井」「海の雲海へしりぞけダリア園 鷹羽狩行」「一掬の水をダリアに恋人に 小林貴子」「朝涼の腕に余るダリアかな 井上美子」「さらばマへリヤ.ジャクソンの闇ダリア捧ぐ 堀井春一郎」「ダリア見し目の華やかに見返しぬ 稲畑汀子」「悲しみのてっぺんダリア燃えている 松本恭子」。(帰る家門先に燃えるダリヤかな ケイスケ)
ハマギク;浜菊(キク科)花言葉は、優美、栄草、環境に立向かう。本州北の浜辺に自生する多年草で、高さ50㎝ほど。野の花とは思えない美しさで、江戸時代すでに観賞用として栽培されていた。花はマーガレットやシャスタ―デージーとよく似ているが、葉を見るとちがいは一目瞭然です。マーガレットは羽状の深い切れこみがある繊細な葉。ジャスターデージー葉が披針形で、葉柄がないのが特。ハマギクも葉柄がないのが特徴。浜菊も葉柄はなく、葉が肉厚で、茎に蜜生する海岸植物らしさをそなえている。「浜菊に海嘯は古き語り草 富安風生」「黄菊白菊其の外の名はなくもがな 嵐 風」「菊の香やならには古き仏達 芭蕉」「有る程の菊なげ入れよ棺の中 夏目漱石」。(次の世のしずけさにある栄草 ケイスケ)
シュウカイドウ;秋海棠(シュウカイド科)花言葉は、片思い;繊細。中国原産の多年草の花。日本へは江戸時代の寛永年間に渡来したといわれる。湿地を好み庭園などにも栽培されるが、野生かもしている。8月末頃から開く。高さ40~60㎝で、ややゆがんだ卵形の葉は緑色。茎から紅色の節と花柄が垂れその先に俯きがちに淡紅色の花を付ける。花の終ったあと年々地下茎から株を増やしてゆくが、花の終ったあと葉腋にできた肉芽(むかご)が地に落ち、これからも新しい苗が出来る。園芸品種には白花のもの、葉に斑の入ったものなどがある。雌雄異株。ベコニアは秋海棠の仲間で、どことなく似通ったところがある。「臥して見る秋海棠の木末かな 正岡子規」「病める手の爪美しや秋海棠 杉田久女」「襖絵は裾古りにけり秋海棠 水原秋桜子」「雨落ちめ俄かに奏で秋海棠 水原秋桜子」「秋海棠一本ありて雨を愛す 山口青邨」「雨落ちの俄かに奏で秋海棠 永井東門居」「うなだれて花恋ふ花よ秋海棠 渡辺水巴」=(秋海棠の花は、すきとおるほどのごく淡い紅色なはなびらが楚々と垂れて美しいが、どことなく寂しげな花である。その感じを「うなだれて花恋ふ花」と具体化した表現である。(秋海棠あこがれ、片思いあり、恋多き花 ケイスケ)