政治的翻弄 (2) 2008-02-11 00:01:02 | 政治の記憶 spacespacespacespacespacespacespacespacespacespacespacespacespa 中日新聞/WEB 佐藤ゆかり議員の2年半<中> 自民の亀裂、野党の躍進招く 2008年2月10日 ( 野田聖子氏(右)が自民に復党後、野田氏支持の地方議員が多い党岐阜市支部の会合で同席した佐藤ゆかり氏=2007年2月、岐阜市内で ) 「恩返ししたい。ガス欠でも走り続ける」。2007年4月の岐阜県議選。当時、自民党副幹事長だった佐藤ゆかり氏(比例東海)は、盟友の笠原多見子県議の決起集会で声を張り上げた。選挙中は付きっきりで街宣に回り、「天下分け目の選挙。精いっぱい応援します」と支援を呼び掛けた。 佐藤氏はその直前の告示日に、予定していた笠原県議の出陣式を欠席、物議を醸していた。実は佐藤氏はその日、今回転出が決まった東京5区と選挙区が一部重なる都議補選などの応援に向かっていた。佐藤氏派の陣営からは「東京の選挙区に移る気ではないか」と不満が漏れた。 報道陣に囲まれ、佐藤氏は「(党から)応援の割り振りを受けた。前日まで戻るつもりだったが、ご迷惑をかけた」と説明した。しかし、佐藤氏の関係者は「党本部からは『地元優先で』を条件にしての応援要請だった」といぶかる。 05年の総選挙により、岐阜市の地方議員は野田氏派と佐藤氏派に割れた。この県議選では5人の自民候補が出馬し、両氏にとって自分に近い候補を当選させるのは重要な課題だった。告示日に各陣営を回っていた野田氏は、親しい市議から佐藤氏が岐阜にいないと知らされ、驚いた表情を見せた。その後、こんな会話を交わした。 市議「佐藤さんも党でいろいろとあるんだな」 野田氏「でも地元候補の応援も党務です」 市議「これからしっかり応援するんだろ」 野田氏「今日は大事だよ」 当時、野田氏は「副幹事長の党務って? みんな地元に帰る。私は大臣の時だって戻ってきたんじゃないかな」と佐藤氏の行動に首をかしげた。佐藤氏が「私が(岐阜1区)支部長」と自分に従うよう主張していたことから、「肝心な初日にいない。そんな支部長いるのかな」とまで語った。 この県議選では5人の自民候補のうち、野田氏が後援会を挙げて支援した現職が落選した。内部の亀裂が深まる自民をよそに、共産新人は1万6400票を集めて2位、民主新人は1万5900票で3位で当選した。佐藤氏は「自民があぐらをかいていてはいけない。無党派層の対策が必要」と問題を提起した。 3カ月後の参院選岐阜選挙区では、藤井孝男元運輸相が自公推薦で当選したが、岐阜市内の得票数は6万9934票。民主公認で当選した平田健二氏の8万3259票を下回った。自公が3分の2以上の議席を獲得し、岐阜1区で実質的に2人の自民候補を当選させた郵政選挙から2年弱。1区の公認争いを早急に決着させ、挙党態勢を整えなければ、とても次の選挙を戦えないことは、もはや誰の目にも明らかだった。 今年1月3日、野田氏は岐阜市の伊奈波神社前での演説で「自民の批判票が多すぎる」と危機感を訴えた。翌日の本紙取材には「(公認問題の解決は)早い方が修復しやすい。切り捨てではなく、それぞれが活動できる場はあると信じている。佐藤議員を失ってはならない」と主張した。 「勝てる候補」を公認候補の選定基準に党本部が野田氏を岐阜1区、佐藤氏を東京5区に振り分ける方針を決めたのはそのすぐ後だった。 検索用単語: 野田聖子/佐藤ゆかり « 政治的翻弄 (1) | トップ | 政治的翻弄 (3) »