14歳でうつ病を発生した・・・・はじまりはじまり。
私は、いじめ問題を一応クリアーした。悪いということは理解した。子供なりに。しかし、性格はあいも変わらずうるさく、何ていうんだろう、歯に衣着せぬ言葉遣いをしており、誰にもハッキリスッパリ何でも物怖じせずいうことが出来ました。問題児っていうか馬鹿なキャラクターでした。
そんな日常の中、中学二年生の時、今も友人のS君の恋話について、ある日、私が、学校の階段で大きい言葉で茶化してしまったのです。すると彼はとても怒って、私を謗り(そしり)、友人関係が一時的に壊れてしまいました・・・・・
これがうつ病のきっかけでした。まさか、S君が、私を、あんなに罵るなんて・・・凍りつきました。今でもそのシーンは覚えています。10年前にあった事です。
それ以後、私は全く喋らなくなり、クラスの中で、「どうしたの?」と頻繁に言われる様になりました。私は、変わりました。180度違う人間に転化したのです。元気を失い、周りは「COOLになった」などと逆に私を褒めるようになりましたが、全く見当違いの評価。
私は、初めてこんなに傷つきました。失望・無気力・・・この時、治療していれば問題なかったのかも。
それからの私は、過剰適応な男になりました。言葉は必ず、慎重に選ぶようになり、フランクな言葉を使う事が出来なくなり、徐々に、全てに失望を覚えてきました。
思春期です。自分を、アイデンティティを構成する年齢で、アイデンティティが形成できなかった、、、。自分を信じることが出来ず、友人の裏切り、世の中への懐疑的失望、高校受験は無気力で、適当に受け、受かりました。しかし、その時には自分の受験番号すら分からなくなっていました「受かったのか??」とボードを見て、帰りに「受かってたみたい」と母親にTELをする。これが記憶できなくなる始まりでした。今も、物事を記憶することが上手くいかないのです。
高校時代は成績は最低ランク。全て合格ギリギリで単位取得。高校時代は更に酷くなり、極期を向かえ始めました。高校に向かうと胃が痛くて歩けなくなる、教室のドアを開けると心臓が破裂しそうになる、人の視線が気になる、人の評価が気になる、人の・・人の・・、といった、過剰適応を繰り返す様になり、かなり挙動不審な人間になりました、が、ひたすらそれを隠し、否定しました。高校生活は、漠然としなく、青春は無かった・・・・ようでした。確信は無いです、
ただ「自分は病気ではない!」と叫びたかった・・・・
しかし、残酷にも時間は過ぎ、大学受験は記憶力の低下から恐らく全盛期の10の1程度の学習能力まで低下し、志望大学に全く引っかかりません。といっても偏差値なら52~54程度の大学です。受験失敗、そして更に地獄へと堕ちていきました・・・・うつを抱きかかえて・・・・・地獄の浪人生活が始まりました。
私は、いじめ問題を一応クリアーした。悪いということは理解した。子供なりに。しかし、性格はあいも変わらずうるさく、何ていうんだろう、歯に衣着せぬ言葉遣いをしており、誰にもハッキリスッパリ何でも物怖じせずいうことが出来ました。問題児っていうか馬鹿なキャラクターでした。
そんな日常の中、中学二年生の時、今も友人のS君の恋話について、ある日、私が、学校の階段で大きい言葉で茶化してしまったのです。すると彼はとても怒って、私を謗り(そしり)、友人関係が一時的に壊れてしまいました・・・・・
これがうつ病のきっかけでした。まさか、S君が、私を、あんなに罵るなんて・・・凍りつきました。今でもそのシーンは覚えています。10年前にあった事です。
それ以後、私は全く喋らなくなり、クラスの中で、「どうしたの?」と頻繁に言われる様になりました。私は、変わりました。180度違う人間に転化したのです。元気を失い、周りは「COOLになった」などと逆に私を褒めるようになりましたが、全く見当違いの評価。
私は、初めてこんなに傷つきました。失望・無気力・・・この時、治療していれば問題なかったのかも。
それからの私は、過剰適応な男になりました。言葉は必ず、慎重に選ぶようになり、フランクな言葉を使う事が出来なくなり、徐々に、全てに失望を覚えてきました。
思春期です。自分を、アイデンティティを構成する年齢で、アイデンティティが形成できなかった、、、。自分を信じることが出来ず、友人の裏切り、世の中への懐疑的失望、高校受験は無気力で、適当に受け、受かりました。しかし、その時には自分の受験番号すら分からなくなっていました「受かったのか??」とボードを見て、帰りに「受かってたみたい」と母親にTELをする。これが記憶できなくなる始まりでした。今も、物事を記憶することが上手くいかないのです。
高校時代は成績は最低ランク。全て合格ギリギリで単位取得。高校時代は更に酷くなり、極期を向かえ始めました。高校に向かうと胃が痛くて歩けなくなる、教室のドアを開けると心臓が破裂しそうになる、人の視線が気になる、人の評価が気になる、人の・・人の・・、といった、過剰適応を繰り返す様になり、かなり挙動不審な人間になりました、が、ひたすらそれを隠し、否定しました。高校生活は、漠然としなく、青春は無かった・・・・ようでした。確信は無いです、
ただ「自分は病気ではない!」と叫びたかった・・・・
しかし、残酷にも時間は過ぎ、大学受験は記憶力の低下から恐らく全盛期の10の1程度の学習能力まで低下し、志望大学に全く引っかかりません。といっても偏差値なら52~54程度の大学です。受験失敗、そして更に地獄へと堕ちていきました・・・・うつを抱きかかえて・・・・・地獄の浪人生活が始まりました。