新聞記者になりたい人のための入門講座

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新聞断想 21

2011年08月08日 | ジャーナリズム

 

 傾向もの」より生ニュース関連の記事を

 者に赴任して秋になると、県警本部の各部屋にも顔なじみの警官がいて、ある日、鑑識課でとりとめのない話をしていた。そのとき、ある課員が身元不明死体票を点検しており、茨城県警だけで身元が分からず、引き取り手のない遺体が計208体もあることを教えてくれた。

 肉親や知人に囲まれ幸せな生活を送ってきた私には信じられない数字で、その鑑識課員が語る身元不明遺体の状況にのめり込んでいった。例えば、1968年10月初めに東茨城郡大洗町の海岸に老人の水死体が漂着、身元が分からず同町の無縁墓地に仮埋葬された。あるいは9月末、水戸市の偕楽園下を走る常磐線の列車に飛び込み自殺した男性も身元不明で、寺の無縁墓地に仮埋葬された。ところがこの男性は自殺する前日と前々日、市内の派出所に花束を持って現れ、「交通事故で亡くなった人の霊を慰めてください」と語ったという。交通事故を起こし、ノイローゼになっていたらしく、その時に名乗った住所、氏名を調べたものの該当者はいなかった。

 私は身元不明遺体の陰に隠された「人生の影」を感じ、茨城版用に原稿を書いた。生ニュース関連ではなかったので、いつでも使える「ヒマダネ」と言ってもよかった。デスクには、この種の原稿は歓迎されるだろうとさえ思った。

 記事は、身元不明死体票を調べる県警鑑識課員の写真を2段で扱い、

 「成仏できない208体  肉親、知人の引き取り待つ」

横見出しで掲載された。

しかし、ある先輩は「役所がまとめた傾向ものよりも、もっと生ニュース関連の記事を探せよ」と厳しく指摘した。新人記者のうちは原則通り、殺し、タタキなど発生ものを中心にその被害者、容疑者関連のニュースを追うべきだとのことだった。

 後から考えると、その通りだと思う。新人記者として、事件報道の最先端を走ってほしいと先輩は願ったのだろう。でも、私はその後も「傾向もの」をよく書いた。数字の裏に、世のなかの動きが隠れている気がして仕方なかった。ただ、原稿にできるだけ生々しい実情を反映させるように工夫をした。

 年が明けたある日、水戸署のパトカーに同乗し、交通違反の取り締まりぶりを取材した。同署や県警本部の許可を得てということではなく、パトカーが出動する際、顔見知りの警官が乗っていたので「一緒に乗っていい?」と頼んで乗り込んだのだ。第一線の警官と、それほど親しくなっていた。また、規則もそれほど厳しくなかった。

 取り締まりの中心は、主にダンプカーなど大型トラックの積載量違反だった。ダンプカーを発見してはサイレンを鳴らして停車を命じ、荷台をチェックするとほぼすべての車が荷台の外側に板をはめ込み、砂利など法定の積載量をオーバーしていた。1回当たりに運ぶ量を可能な限り増やし、運搬料のかさ上げを図ろうとしているのは明らかだった。パトカーの乗員によると、1960年代の末期、茨城県内は鹿島臨海工業地帯など開発が最盛期を迎えており、鹿島、行方郡を中心に県下全域でダンプカーが激しく動いていた。ダンプカーによる交通事故も年々、増えるばかりだった。

 私は県警本部で取材し、ダンプカーによる事故の統計や事故防止のための対策などを取材した。その結果、縦4段の主見出し

    「各地で急増するダンプ事故」

を掲げ、横見出し2本

        「無謀運転や積載量違反」

            「県警、計量器増設し取り締まり強化」

が付いた大々的な「傾向もの」の記事が茨城版に掲載された。

         「開発のカゲに隠れ」

の縦2段見出しも付いていた。

 このときも先輩は、「傾向ものより生ニュースをと言ったのに」とつぶやいた。でも、私はこの記事について悔いは何もなかった。パトカーに乗って実際の取り締まり現場を取材し、鹿島臨海工業地帯造成の現実の側面を込めて原稿を書いたからだ。先輩もそのような趣旨で「傾向もの」をよく書いていた。

 統計上の数字を役所の言う通りに、あるいは頭の中で勝手に解釈するのではなく、生々しい現実を踏まえて統計を理解する――そう教えてくれた先輩に、今でも感謝している。(鹿児島県知覧の旧陸軍飛行場の跡地。戦争中、多くの特攻機が正面の開聞岳を目指して離陸し、沖縄に押し寄せた米軍の攻撃に向かった。私の風景写真アルバムから)