仲間と歩く近郊の山

長年同じ会社に勤務した友人と退職後に楽しんでいる近郊の山歩きの記録です。

雪を楽しんだ愛宕山(2022年1月15日・土)

2022-01-16 | 山歩き


麓から見た雪を纏った愛宕山


清滝バス停はシャーベット状になっていた


バス停から急坂を下り、


凍結した猿渡橋を渉り


清滝の集落を抜けると、


二の鳥居
藤田さんはコタロウの喪中なので鳥居の横を通過された。


お助け水を過ぎ、長い階段を登りきると漸く山道になる。
足元はシャーベット状の雪道だが、まだアイゼンは要らない.
藤田さん頑張っています。


三合目の休憩舎には可愛いダルマさん? ウサギさんかな?
ここでアイゼンを付けた。


五合目付近の道が平坦で左手に桂川の展望が開けている場所


そこからの展望。蛇行する桂川が見える。


少し登ると雪が深くなってきた


保田さんは元気だ!


水尾分れ。
この女性2人は昼食休憩中と三角点で2度会うことになる。左の女性は頼まないのに自らシャッターを押してくれた。中国系の人のようだった。


杉の大木に雪が付いて霧氷のように綺麗だった。青空に映える。




花売り場の横を登る登山者


元気に登って行く


下山する人とすれ違う


亀岡の展望


黒門が近づいてきた。ここまで来るとあと少しで神社だ。


注連縄が新しい


社務所前の参道まであと一息


雪景色と灯篭が綺麗だ!


立ち並ぶ灯篭


にこちゃんマーク?


社殿下の階段を登り、


この門を潜って、




更に階段を登ると社殿だ。


まもなく社殿に到着する川畑


社務所の向かいではお神酒が振舞われていたので、ありがたく頂いた。良く冷えて美味しかった。


参拝を終えてから、食事ができる階段下の休憩舎に向かう。社務所前の薪ストーブのある休憩所は飲食禁止となっていた。


昼食休憩の後、三角点を目指した。途中の展望地から桂川が見えた。


この辺りは愛宕山の北面になるので一挙に積雪が増えた。トレースはあるのだが、一段と雪が深まり、チェーンアイゼンに雪が団子のように付着して歩きにくくなった。
これくらいになると6本爪アイゼンが歩きやすいだろう。


少し進んだ場所から正面に比叡山が見えた。比良は雲の中。


皆さん雪を楽しんでいます。


分岐に立つ地蔵様。三角点は左へ。


「愛宕 三等三角点」890.06mに到着


三角点にタッチ


東だけ展望が開け正面に比叡山が見えた


比叡山をズームアップ。麓の集落は大原だと思う。


三角点で記念撮影


メンバーを入れ替えてパチリ

もう一枚


更にアップで。


神社下まで戻る途中の雪道


愛宕ケーブル駅舎跡を目指したが、子ども連れの人が出て来たのと、明確なトレースに誘われるように進んでしまった。


何か様子が違うなと感じながら、遊園地跡の説明板も有ったのだが、この時点ではここが駅舎跡だと思っていた。


引き返す途中、往路を外れ、最後に低い崖を降りると駅舎跡への道に出た。帰宅して調べてみたらこの道の更に奥にあるようだ。


ちなみにこれが駅舎跡です。2017年1月7日にニッシャのメンバーと登った時の写真です。この時は全く雪はありませんでした。


その時の本殿前での記念撮影です。西尾さん、柳本さんも元気に登っておられました。保田さん、藤田さんはもちろん参加しておられました。


ツツジ尾根分岐から尾根道を下った。標高が下がるにつれて泥んこ道となった。アイゼンは荒神峠の少し下で外した。 


ツツジ尾根から愛宕山


最後に急坂を下って無事登山口に着地


保田さん到着


藤田さんも到着

保津峡駅は橋上駅だ。


水尾へ向かう車道を歩いて保津峡駅へ向かう。


無事ゴールです。

駅名板と記念に一枚


16:12発の京都行普通電車が入線してきた。この電車で京都駅に出て、駅前の醉心で反省会とした。

<感想など>

ニッシャの現役とOB十数名で毎年愛宕山に詣でてきたが、コロナ禍で昨年、今年と中止となったので、OBの有志4名で詣でた。当初は6名だったが、2名は欠席となった。

先の寒波で京都北部は大雪に見舞われたので、久しぶりに大雪の愛宕山に登ることが出来た。
お助け水を過ぎて、階段の連続になるあたりから雪道だったが、大勢の人が歩いているので、土とのミックスの状態だった。三合目辺りから積雪が一段と増え、足も滑るようになったので三合目の休憩所でチェーンアイゼンを付けた。

五合目を過ぎると一段と雪が増え、雪道となってきた。ツツジ尾根道との分岐を過ぎ、水尾分れに着くと気温は-1℃だった。遅れた藤田さんを待って出発し、花売り場、黒門を過ぎると、灯篭が立ち並ぶ参道に着き、社殿下の階段を登り、門を潜って、更に階段を登ると社殿に到着した。
アイゼンを外して本殿に参拝してから階段下の休憩舎で昼食とした。社務所前の薪ストーブのある休憩所は飲食禁止となっていて、この休憩舎だけはガスバーナーの使用がOKだった。

昼食後、三角点を目指した。三角点への道は愛宕山の北面になるので、積雪が一気に増し、気温も下がり、手袋をした指先が痛むほどだった。積雪は50~60cmはあっただろう。トレースはしっかりしておりラッセル無しで三角点まで行けたが、これ位の積雪で踏み固められていないのでチェーンアイゼンでは靴裏に雪が団子のように付着して歩きにくかった。ほぼ平坦な道だったから問題なかったが、急な坂道だったら難儀したのではないだろうか。

前方に広がる京都の街並みや比叡山を眺めた後、神社の方に引き返し、ツツジ尾根の分岐から尾根道を下り、荒神峠を経て保津峡駅に下山した。
アイゼンは荒神峠の少し下で道が泥んこ状態になった辺りで外した。

清滝からのバスは以前は数系統あって適当に下山しても、長時間待つことは無かったが、今は1時間に1本の阪急嵐山行きだけなので、保津峡に下山した。阪急沿線の人は二条駅で下車して10分あまり歩いて大宮駅に出ることになるので、その点は不便かもしれない。


大文字山北斜面を歩き廻り、山科へ(2021年12月12日I)

2021-12-13 | 山歩き


銀閣寺を出て中尾尾根に出る場所を間違えた上に、藤見台に入る場所も間違い、細い踏み跡を辿ったが、踏み跡も無くなり斜面を強引にトラバースして、山道に復帰する途中で黄葉した大きめの葉が降り敷く場所に出て感激。付近一帯が黄色に染まったようだった。


落ち葉を吟味する皆さん


本日の目的の一つ、藤見台近くの落葉スポットにようやく到着


落ち葉で一帯がオレンジに見える。


モミジの葉が降り積もって斜面が赤くなっている。


谷筋を登って行くと見事にひときわ鮮やかに色付いたモミジが一本あった。 


落ち葉のじゅうたんの中を登る藤田さんと惠子さん


中尾の滝に降りて来た。


幻の滝方面へ登り返す途中の小滝。この日はトレランの大会を実施中で、この辺りがコースになっていた。


水場の上、幻の滝近くまで登ってきた。 


谷を登り詰め、出逢坂への登りを左に分けて、右に延びる踏み跡を辿って火床からの登山道に出て下ると、目の前に紅葉した山々が見えてきた。中景は瓜生山だと思う。


火床の下部の森も色付いていた。この景色を眺めながらの贅沢な昼食を摂った。


少しアップで


瓜生山方面 


休憩の後、出発前に火床の下をズームアップ。この後一旦下り、谷を2つほどトラバースして、


鵲(カササギ)峠に登り返した。この辺りを出逢坂と言うのだと思っていた。 


峠から少し登った所に出逢坂の標識があった。アサギマダラの絵が何とも言えず味がある。 


大文字山頂までもう少し。


振り返ると比叡山が霞んではいたが、大きく見えた。


大文字山頂に設置されている「鹿ケ谷 三等三角点」465.44m


山頂からは南~西の方角に展望が開けている。この日は遠景は霞んでいた。


山頂標識 


藤田さん、一句ひねってます。

保田さんは遠くを見つめて何を想う?


大阪のおばちゃん、飴をねだる?


記念に1枚 (右端の人は合成しました)


写真では分かりにくいが、天使の梯子(薄明光線)が微かに見えていた。


山頂で休憩してから京都トレイルを蹴上方面に下り、41番標識から左に分岐する山科ルートFを下った。


良く踏まれた歩きやすい山道を下る事約30分でルートFの登山口に降りてきた。樹の幹にF0のレスキューポイント表示が付けられていた。京都トレイル41番にはF4が有った。降りた所でルートGに合流する。


林道に出て一安心。のどを潤す大阪のおばちゃん。


大阪のおばちゃん、少々お疲れかな?(久しぶりの山だからなあ)


下って行くとルートCの登山口。この少し手前に安祥寺上寺の案内板が有ったが、そこはルートDの入口だったようだが、歩いている時は分からなかった。ルートCとDは何度か交差して登って行くようだ。

ルートAの入口まで降りて来た。ルートAは林道歩きが長く、途中に通過は可能だが酷い倒木地帯がある。ここから登ると直ぐにルートBの取り付きが有るようだ。 


山科聖天 


毘沙門堂の参道。有名なモミジの落ち葉は大部分が無くなっていた。少し遅かったようだ。 


疎水べりの案内板には「国鉄」の文字が見られた。年代物だ。


京阪電車800系(山科駅にて)


乗車する電車が入線してきた(800系の1号車)。三条京阪で京阪電車に乗り換えて京橋に出た。運よく快速特急「洛楽」に乗ることが出来た。以前、京阪特急は今の快速特急と同じ停車駅で、京都の七条から大阪の京橋までノンストップだった。

<感想など>
大文字山の北斜面は細い踏み跡が錯綜していて迷いやすいので、予めジオグラフィカにコースを登録して臨んだが、2度ばかり間違えてしまった。藤見台に行く際に道を間違えと勘違いして引き返し、中尾城址からの尾根道(中尾尾根)に戻り、少し登った所から細い踏み跡を辿ったら、途中で踏み跡が無くなったので斜面を強引に横切って山道に復帰し、藤見台近くの紅葉が降り敷いた場所に辿り着くことが出来た。昨年ほどではないものの、落ち葉で斜面が赤く見える程積もっていた。そこから南に進み、谷から尾根に登った所から北に下り、中尾の滝を目指した。中尾滝付近は開催されていたトレラン大会のコースになっていて大勢のランナーが走っていた。一人に聞けば笠置から走ってきたそうだ。中尾滝を見た後は沢沿いの道を幻の滝方面に登った。途中、紅葉は殆ど終わり、大きな木が2本ほど綺麗に色付いていた程度だった。幻滝付近の分岐を切り返し気味に右に行く予定だったのに直進して谷を詰めた所から右の細い踏み跡を辿ってしまった。谷をトラバースして枝尾根に乗り、急登を登り、右方向の踏み跡を辿ると大文字山登山道と中尾尾根の合流点に出た。そこから大文字登山道を下って火床に出て、昼食休憩とした。火床付近は大勢の登山者やハイキング客でにぎわっていた。北方向の瓜生山や火床の下の森はナラやクヌギがオレンジ色に輝いて見事な景色となっていた。昼食後、火床の中心から銀閣寺への登山道を少し下った場所から谷沿いに中尾尾根に出てから直ぐに左手の細い道に入り、更に枝尾根を越えて幻の滝の上部に出た。1時間30分ほど前に通った道を登り、分岐を左に進んで出逢坂を経て大文字山山頂に出た。山頂は大勢の人が休憩していたので、撮影をしたりして、5分ほどで蹴上方面に下り始めた。当初の計画では七福思案処から山科ルートGへ進み、途中からルートHを経て、疎水沿いの道を天智天皇陵へ行く予定だったが、毘沙門堂のモミジの落ち葉が降り敷いた参道を見たくなってルート変更した。京都トレイル41番標柱から始まる山科ルートFを進んで、ルートGに降り立ち、林道を下って毘沙門堂へ出たが、落ち葉は側道に残るのみで、時期的に少し遅かったようだ。毘沙門堂参道を緩やかに下って山科駅に下山した。ルートFは全体的に緩やかで歩きやすい道だった。又谷越しの斜面はクヌギやナラの大木がオレンジに色付いて、見応えのある秋の風景であった。JR山科駅付近から見える山の斜面も同様に色付いていた。山科駅前の王将で餃子と生ビールでささやかな反省会とした。


山仲間と歩いた葛城古道(2021年10月23日)

2021-10-25 | ハイキング


近鉄御所駅から新宮行バスに揺られて20分ほど、風の森バス停から歩き始めると、目の前に金剛山から葛城山が屏風のように迫ってきた。大阪側とは山の見え方が全く異なる。


金剛山をアップで


ミゾソバ


ヨメナだと思う


和気藹々と歩く。 藤田さん靴を新調されたが、この後トラブルがあるとは・・・。


15分ほど歩いて高鴨神社に到着


先ずはお参りしましょう。


本殿への階段。本殿は1453年の再建で国の重要文化財だそうだ。


池に張り出した舞台が有った。能など奉納するのだろう。


読みにくいが、由緒によれば、この辺りは縄文時代晩期から集落が形成され、この神社は全国の鴨系神社の元宮で、古代から祭祀が行われていたそうだ。


鳥居の前でパチリ。歩き始めたばかりで皆さん元気!!


大きなサンザシの実が赤く色付いていた。


おお待ちどうさんです。


葛城古道の道標がしっかり整備されていて迷う心配は無かった。


路傍のお地蔵さん。


この辺りは城のように立派な民家が多い。


高天(たかま)への入口。「神話の里・高天ヶ原」の標識があった。この辺りにも天孫降臨の高天ヶ原伝説が有るそうだ。宮崎県の高千穂だけだと思っていた。


高天彦神社の入口にある原始的な鳥居。ここから神社まで標高差80mの階段の急登がある。


ヨメナだろう。高天彦神社の駐車場付近に咲いていた。


この花は一際鮮やかな紫色だった。


高天彦神社に到着。ここがこの日の最高地点で、標高450m。


高天彦神社にお参りする保田さんとお参りに向かうK子さん。
保田さんは賽銭箱が有ると必ずお賽銭をあげる。きっとご利益があることでしょう。
次にお参りするK子さんはどうなんでしょう???


高天彦神社の由緒。神社の背後にそびえる白雲岳がご神体だそうだ。白雲岳は下から見ると非常に急峻でピラミダルで、いかにも神が降臨しそうな山容だ。
ダイトレを登って行くと一の鳥居の大分手前に白雲岳頂上985mがある。こんな謂れがあるとは知らなかった。


神社の横から金剛山への登山道が続いていた。ヤマレコを見ていると奈良県側からは良く登られているようだ。登山道の横に水車がある。


杉の巨樹の根元は洞になっていた。

 


参道を振り返る。


縦位置で


境内の休憩所(左)は飲食禁止だったので、神社の横で昼食休憩した。
藤田さんここで新調した靴をバーナーで焦がしてしまった。大事には至らなかったが危ない所だった。歩行に差し支えなかったが不幸中の幸いだった。


高天彦神社から下って行くと、高天寺橋本院がある。高天寺は高野山真言宗の古刹で、往時は聖武天皇から鑑真が住職に任命されたこともあるそうだ。その後、南北朝の争乱に巻き込まれて衰退したが、1677年に高天寺の一子院橋本院として復興し、現在に至っているそうだ。


門前の厄除け十三仏


背景の三角形の山が白雲岳のようだ。




十一面観音を祀る観音堂。


葛城古道は庭園の中を通っている。足裏に優しい道だった。舗道が多かったのでホッとする時間でもあった。


境内の庭園には十月桜が咲いていた。


橋本院の庭園で白雲岳を背景にこの日のメンバー。背景は白雲岳


カメラマンを交代して


紫の鮮やかな菊が咲いていた。ノコンギクのようだ。


橋本院を出ると道は一転して山道の急坂となった。


急な山道を下り、沢を渉って登り返すと開けた場所に出る。そこでは大峰山の大展望が開けていた。


中央左よりは山上ヶ岳、右端は稲村ヶ岳。


少し右に振って、大きな山体の弥山と八経ヶ岳。


極楽寺の鐘楼門


鐘楼門を境内から


極楽寺本堂


よく見ると菊池さんも信心深いようだ。ご利益ありますよ!


住吉神社


道標


何の花だろう???


葛城山が段々と大きくなってきた。


高木神社


境内の大銀杏


大銀杏の下は銀杏で埋め尽くされていた。K子さんは毎年大阪城公園で茶碗蒸し1回分を拾っているが、今年はこの神社で10個ばかり頂いてきた。


収穫を終えたK子さんと見守る皆さん。


道標と葛城山


葛城山に近づいて大きく見えるようになってきた。


大分歩いて名柄の集落。古い街道の風情が残っていた。


杉玉があったので、酒屋さんだと思って進むと、


葛城酒造の醸造所でした。


道を隔てて中村家住宅


この辺りは柿の木の畑が多かったが、収穫せずに放ってある畑が見られた。
この木は広場の端に一本生えていたが、渋柿なんだろうか?


古い郵便局舎を利用したカフェ「郵便名柄館」赤いポストが懐かしい。


長柄神社。
地名は「名柄」で神社は「長柄」、読みはどちらも「ながら」だ。
ここも延喜式内社で1000年以上の歴史を持つ神社だ。


境内の大ケヤキ


案内板


一言主神社の参道


一言主神社。一段と風格を感じた。


お参りする人も多かった。


拝殿。扁額には「式内 大社」とある。延喜式内社だからここも相当に古い。
一言主命は神話の登場人物だが、この地方に勢力を張ったが最終的には大和朝廷に服従した古代葛城族の代表か一族の総称なのだろう。生駒山周辺に勢力を広げていた饒速日命(ニギハイヒノミコト)と同じようだ。饒速日命は東大阪に鎮座する石切神社の主祭神だ。


無患子(ムクロジ)の木。樹齢650年とあった


ムクロジと社務所


ご神木の大銀杏。樹齢1200年。


一言主神社を辞して、集落を抜けると小さな池が有った。


池の土手に咲いていたツリガネニンジン。堤の下には群落が有った。


刈入れの終わった田んぼ


ヤマハッカが群生していた。葉はハッカの香りがした。
ハッカ水を自作して虫よけに使っているが、実物を見るのは初めてだ。
(ハッカ水はハッカ油2mlを10mlの無水アルコールで溶かした後、蒸留水を加えて100mlにする。爽やかな香りがして、ブヨなどの虫よけにもなる。)


高丘宮跡の碑。綏靖天皇(すいぜいてんのう)は神武天皇の第三王子で、日本の第2代天皇と言われていて『日本書紀』での名は神渟名川耳天皇。神話の登場人物だから実在性については諸説ある。全く知らなかった。


棚田のはるか向こうに畝傍山と天香久山が見える。耳成山は手前の森の陰で見えない。心安らぐ景色。

 


棚田の横を通る古道


道端に祀られた石仏


九品寺。
行基の開創という古刹。偶然に住職さんと話ができた。本堂の横に銅像が立っていたので、浄土宗の寺だから法然上人だと思って聞いたら行基だった。近鉄奈良駅を地上に上がった噴水の所と、もう一ヶ所の3ヶ所にあるそうだ。本堂左の鐘楼の鐘は元々興福寺にあったが、変遷を経てこの寺にあるとの事と、右手の地蔵堂の地蔵尊は麓の集落で祀ってあったが行き場がなくなったのでこの寺で祀ってあるそうだ。境内の奥の千体石仏が有名だそうだが、この日は時間が無かったので参拝でできなかったので、是非とも再訪しようと思っている。



山門前には六地蔵が2セット。古道を行き交う人たちの安全を祈願したのだろう。


六地蔵の先に祀られた地蔵尊

 


この日の最終目的地「六地蔵石仏」に着いた。


巨岩の一部に六地蔵が彫られている。大分風化が進んでいる。


石仏の前で休憩する皆さん。大分お疲れです。
このあたりは櫛羅(くじら)という地名で、葛城山の登山口になっている。
登山道は櫛羅の滝コースと北尾根コースの2本あり、前者には櫛羅の滝がある。落差は10mくらいだったと思う。


御所駅に向かう道で振り返ると、金剛山が随分遠くに見え、葛城山との鞍部になる水越峠から差し込む夕日が神々しく見えた。


六地蔵石仏から田んぼの中の生活道路を東に約2km歩いて、ゴールの近鉄御所駅に到着。
皆さんお疲れさまでした。

この時点で皆さんの意識は既に反省会に向いていたはずだ。
反省会は橿原神宮駅中の「きはる」で行い、深く反省したことだった。

< 感想など >
この5月に計画していたが、コロナで延期していた葛城古道を歩いてきた。古道は云いながら大部分は舗装道路だったが、古道から見える山々の大展望には感動したし、古い歴史を積み重ねてきた地域の持つ独特の雰囲気を感じることが出来た。すぐ西側に金剛山と葛城山が障壁のようにダイナミックにそびえたって、1000m級の山とは思えないほどの迫力で迫っていた。終始この山並を眺めながら歩けるという贅沢さだった。南方は大峰山の山並みが連なっているのが遠景として望むことが出来た。山上ヶ岳から稲村ヶ岳、弥山、八経ヶ岳が確認できた。八経ヶ岳の向かって右は仏性ヶ岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳などであろうが、同定は難しかった。大峰山の西方向には高野山の山々も確認できた。東の一角はは多武峰が画していた。
この辺りは標高300m前後の丘陵で縄文時代晩期から集落が形成されていたそうだ。縄文人が好む高燥地だ。稲作が広まるにつれてだんだんと低湿地に移っていく歴史がある。一帯に存在する神社や寺は京都や奈良などのように大きな規模ではないが、殆どが1000年以上の歴史を持ち、幾多の変遷を経ながらも、豊かな地域の皆さんに支えられているのだろう。最初にお参りした高鴨神社は古代鴨族の神社だし、高天(たかま)という所には高天彦神社が祀られていて、高天ヶ原という神話の世界の舞台の候補地の一つだそうだ。いままで高天ヶ原と言えば高千穂と思っていた。神話の世界が現在も生きているような錯覚を覚えてしまった。その後、高天寺・橋本院、極楽寺、住吉神社、長柄神社、高丘宮跡、一言主神社、九品寺などを巡って最後に櫛羅(くじら)集落にある六地蔵石仏にお参りしてから、東に2km程歩いて近鉄御所駅をゴールとした。御所一帯は古代葛城族が栄えた場所であり、日本でも有数の展望と歴史と神話が混然一体となって現在につながっている所であった。このような場所を皆さんと一緒に歩けたことは大きな喜びであった。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 


古の巡礼道・西山古道を歩く(3月27日・土曜日)

2021-03-28 | ハイキング


阪急バスに阪急東向日駅前で乗車して25分、大原野の田園風景の中にある終点・南春日町から歩き始めて最初の分岐に立つ古い石柱。『東 向日町 光明寺 長岡 道』とあった。これから西山の山中を歩いて長岡天神駅まで歩く予定だ。ここは左に進むのだが、・・・


前に来たのは10年前だから、記憶が曖昧になっていて、最初反対方向に行こうとしていた。(菊池さん撮影)



昨年11月以来なので、皆さん嬉しそうだ。コロナ対策をしっかりして歩き始めます。


ホトケノザ


2番目の分岐。左の東海自然歩道へ進む。右は小塩山の淳和天皇陵への道。


分岐で1枚パチリ(菊池さん撮影)


菊池さんも入って1枚


民家の庭先で見たが、何の木だろう。マユミかな?


金蔵寺境内の不動堂前の桜。


金蔵寺本堂下の階段。ここは紅葉で有名だが、その新芽が出ていた。


本堂では声明が上げられていた。山中の寺で聞けるとは思わなかったので感動した。


本堂に参拝して寛ぐ皆さん。藤田さんはストレッチに余念がない。


本堂前を右手に進むと開山堂があり、本堂との間から権現堂への階段がある。小塩山への山道も開山堂の横から出ている。権現堂には愛宕大権現が祀られているそうだ。この寺は718年(養老2年)の創建だが、応仁の乱で焼失したのを徳川綱吉の生母、桂昌院の寄進で再建されたそうだ。本堂の奥に桂昌院廟があった。


仁王門から本堂方向を見上げる。西尾さんを気遣う保田さん。


庫裏横のダンコウバイが満開だった。


参拝を終えて仁王門前で1枚(菊池さん撮影)


金蔵寺を辞し、山道となった東海自然歩道を40分ほど進むと府道733号に出て、すぐに分岐がある。ここは左手杉谷、善峯寺方面へ進む。右に行くと、大原野森林公園・森の案内所へ行ける。


杉谷を目指す元気印のおじさん達。心なしかうつむき加減ですよ。少し疲れましたか?
この右手の斜面のタムシバが綺麗だった。藤田さんはここで一句詠んでいた。(菊池さん撮影)


杉谷集落の入口にある道標。ここから西へ延びる山道を進むとポンポン山へ行ける。この日は善峯寺を目指した。『穴太・善峰巡礼古道』と言うらしい。帰宅して調べてみると、善峯寺は西国三十三所の20番、穴太寺(亀岡市)は21番で両寺を結ぶ巡礼道のようだ。


杉谷でポーズを決めるお三方。菊池さん決まってますね!


道標の脇の梅の古木


杉谷から狭い車道を標高差で160m程下った場所にある西山古道の入口。善峯寺の駐車場への入口が車道の反対側にある。。西山古道とは善峯寺(京都市西京区)、光明寺(長岡京市粟生)、柳谷観音(長岡京市柳谷)を結ぶ信仰の道だったそうで、NPO法人「 京おとくに・街おこしネットワーク」が整備、復興に尽力されたそうだ。


古道に入る前のチェックをする皆さん


古道を10分ほど進むと柳谷観音の全景が見えるポイントがあった。


その先に展望所への分岐があり、左に数分下ると更に展望に優れた場所があり、境内を歩く人が良く見えた。ベンチが有ったのでここで昼食とした。


昼食を終え出発準備をする。藤田さんは皆さんにコーヒーをふるまってくれたので、後かたずけが大変だ。


分岐に戻り、古道を進むと釈迦岳、ポンポン山への道を右に分ける。西山古道は左。


西山古道を40分ほど進むと大沢峠に着く。峠は十字路になっていて休憩場所がある。菊池さんが三脚を立て、無線を使ってリモート撮影に成功。(菊池さん撮影)


大沢峠(四辻)を直進すると島本町大沢、右は釈迦岳、ポンポン山で、西山古道は左に進む。進んだ場所に立つ案内板。四辻に通行止めの看板があったが、何の障害も無かった。結局、何が原因なのか分からなかった。不要な看板は撤去して欲しい。


その後は、このような道標が数多く設置されているので安心して歩ける。


林道と交差する場所


ミツバツツジが咲き始めていた。


柳谷観音の手前に長岡京へ下る西山古道の分岐がある。


西山古道の方角を確認するお三方。


菊池さん到着。この後、西尾さん到着。足が攣ったので頓服を服用されたそうだ。
ここから獣害予防柵を2か所潜って、柳谷観音にお参りした。


柳谷観音本堂


お参りの後、写真撮影する福田さんと藤田さんを見守るお二人。


分岐に戻り、西山古道を長岡京を目指して下山した。この辺りはミツバツツジが満開だった。


尾根から谷に降り、せせらぎが段々と深い谷になり、トラバースするように付けられた山道を下ること50分ほどで京都縦貫自動車道の下を潜るが、その場所にカキドオシが群落を作っていた。ここから奥海印寺の住宅街を抜け、長岡天満宮の横を通って阪急長岡天神駅に出た。

反省会は長岡天神駅前の王将で、約1時間と軽めに行った。(コロナ対策)


NPO法人 京おとくに・街おこしネットワークが発行している地図


春日山原始林と石窟仏を巡る山歩き(2020年11月3日・祝日火曜日)

2020-11-04 | 山歩き


近鉄奈良駅を出発。瓦でできた門柱1対があった。なかなかいい感じだ。当初は前日の予定であったが、雨で一日順延したこの日は気持ちよく晴れ上がった。さあスタートです!!


興福寺境内で若い鹿が寛いでいた。


奈良のシンボル興福寺五重塔


再建成った中金堂を横から撮影


奈良公園のナンキンハゼが色付いていた。奥には奈良国立博物館。正倉院展を観る人が長蛇の列を作っていた。


奈良公園で一枚。左のテントの下に正倉院展参観者が並ぶようだった。


若草山の麓近くの水谷茶寮。古い茅葺の屋根が周囲の景観と調和している。


水谷茶寮の表側。この建物、まだ現役のようだ。


いよいよ春日山遊歩道へ突入! 幅広の砂利道で良く整備されて歩きやすい。急登も無い。


遊歩道は春日山原始林の中を通っている。原生林ではなく、原始林だ。特別天然記念物だそうだ。


前日の雨を吸った樹の幹の苔から水蒸気が立ち上っていた。


朝日が原始林に差し込んできた。


遊歩道を颯爽と歩く保田さんと藤田さん


若草山に到着。若草山は三重になっていて、ここは三重目。麓から見えるのは一重目らしい。


西の方角の展望。右は生駒山地、左は二上山から葛城山の稜線。その向こうに見えていた山並みは六甲山かと思ったが、帰宅して調べたら和泉葛城山付近の山々のようだ。画面中央が二重目。


山頂の一角に鶯塚古墳があった。枕草子にある鶯陵はここではないかと言われているそうだ。


鶯陵の石碑の横に「三笠山 三等三角点341.64m」が設置されている。


北の方角。肉眼では左手に愛宕山、右端の稜線の上に比叡山の山頂が覗いているのが視認できた。

以下、山頂の紅葉


若草山を下りた所の道標。ここから春日山石窟仏、地獄谷石窟仏、首切地蔵を目指します。首切地蔵まで6kmくらいかな。


若草山から奈良奥山ドライブウェーを歩く。ドライブウェーは砂利道で車の通行は非常に少なかったので気持ちよく歩けた。遊歩道の延長のような感じだった。


途中にあった花山地蔵。花山はこの背後の山で、「春日山 四等三角点497.69m」があるが、入山禁止となっている。春日山の奥(東)に位置する。


柱状の石材と自然石に彫られた地蔵尊と右端は風化が激しく判別不能だが周囲を石で囲まれている。


この辺りで一番大きい山桜


根元はねじれている。


老樹に比べたらまだまだ若い皆さん。


鶯ノ滝への下降点にある石碑。「左 鶯能瀧」「右 高山神社瀧坂乃楓」と記されている。


世界遺産の石碑


3人は世界遺産ではありません。念の為。


石碑横の休憩所で昼食。


少し歩いてこの日のお目当ての一つ春日山石窟仏に到着


平安時代の作らしいが、風化して顔が欠落している仏像もある。


こちらは地蔵菩薩


風化が激しい。


石窟仏はこのように屋根と金網で保護されている。


春日山石窟仏からすぐに石畳の柳生街道の分岐がある。


分岐で一枚パチリ


柳生街道・石切峠にある茶店


古い佇まいだ。爺さんが店番していた。ここで引き返して地獄谷石窟仏をめざした。


砂利道から舗装道になり、名前も高円山ドライブウェーに変わった道を約300m歩いた駐車場に立つ案内板。地獄谷石窟仏を見た後はここに戻り、滝坂の道を歩く予定だ。


奈良の世界文化遺産維持の貢献している森だそうだ。


入口に立つ藤田さん


藤田さんを見守る保田さん


地獄谷石窟仏。奈良時代の作ながら微かに色調が残っている。春日山石窟仏より硬い凝灰岩だからだろうか。


石窟仏横の案内柱


外観はこんな感じ。金網と岩を屋根で覆ってある。


首切地蔵


首切地蔵を見上げる皆さん


裏側まで入念にチェック


石畳の柳生街道。江戸時代に奈良奉行が普請したそうだ。


街道横の岩壁に刻まれた朝日観音。真東を向いている。高円山から昇る朝日が当たるのでこの名前が付いたそうだ。旅人の安全を祈念したのだろう。


朝日観音の案内板


少し下って、夕日観音。こちらは南南西を向いていて、夕日が当たるようだ。撮影は14時だったが陽が当たり始めていた。


夕日観音からすぐ、寝仏を鑑賞する皆さん


横たわった仏像が確認できる。
滝坂の道の石仏はこれで終了。あとは石畳の道を歩いて高畑に出る。


寝仏の前で記念撮影。ここまで13km程歩いているが、皆さん元気だ!!


石畳の道は歴史を感じさせるが、雨の後は良く滑るので要注意だ。


高畑町まで来た。ここは春日山遊歩道の南側の入口だ。奈良奥山ドライブウェーの芳山(ほやま)料金所からここまで、滝坂の道の上部の原始林の中を通っている。反対を向いている藤田さんは拗ねているのではなく、一句ひねっているところだ。


良い句ができたようですね。


見上げればナンキンハゼが綺麗に紅葉していた。


路面は落ち葉で真っ赤になっていた。


遊歩道入口から少し下った車道沿いのナンキンハゼ


この日の奈良はナンキンハゼが一番紅葉していて綺麗だった。


高畑町の西入口から春日大社に入り、広大な境内を歩き、本殿に参拝して近鉄奈良駅まで歩いてこの日の山歩きを終えた。


本日歩いたコースです。歩行距離は16.6kmでした。

反省会は近鉄駅前商店街にある大衆酒場the STANDで実施した。日本酒が美味しく全部で9杯も飲んだ。参加された皆さん、ご苦労様でした。