仲間と歩く近郊の山

長年同じ会社に勤務した友人と退職後に楽しんでいる近郊の山歩きの記録です。

長い歴史の重みを感じた木の芽峠

2020-09-20 | 山歩き

6/27に北山を歩いた後、この会では久しぶりに1泊2日で木曽駒ヶ岳を計画していた。東京から山口さんも参加予定だったが、コロナの感染拡大を考慮して、5月の熊野古道・小辺路・果無峠に続いて中止した。この日はほぼ3か月ぶりの例会となった。数日来の雨も晴れ上がり、気持ちの良い初秋の峠越えが楽しめた。


敦賀までサンダーバードを利用、敦賀から新保のR476・木ノ芽トンネル手前の登山口に着いた。
タクシーの運転手さんが撮影してくれた。タクシー代は4000円。


木ノ芽峠の歴史がまとめてある。


登山口にはツユクサが群生していた。


こちらはキンミズヒキ


峠までの中間地点。古い道標に新しい案内板が付けられていた。


保田さん、快調に飛ばしてます。日頃のウォーキングの成果です。


福田さんが追いつくのを待ってパチリ。保田さん余裕の表情。


藤田さんも追いついてきた。


俳句を詠みながら歩くのでやや遅れ気味の藤田さん到着。良い句が詠めましたか?


木ノ芽川沿いの峠への道


弘法の爪書き地蔵の案内


弘法の爪書き地蔵が描かれた大岩。描線は風化して定かでない。


この辺りから下草が伸びて前日の雨が大量に付着していた。難儀するほどではなかった。


紫式部(973頃~1014頃)がこの辺りで歌を詠んだらしい。997年とあるから1000年以上前の話ではないか。


昔の旅人はこのように休憩していたんだなあ。良いデザインだ。


休み石を見て、往古の旅人の苦労に思いを馳せる福田さん


ゲンノショウコ。根を乾燥させて煎じて飲むと胃腸病、特に下痢に効くそうだ。


木ノ芽峠下の木ノ芽川源流地点。冷たかったがあまり綺麗ではなかった。


源流に咲くツリフネソウ。付近一帯に沢山咲いていた。


木ノ芽峠


峠に建つ一軒の民家。築550年だそうだ。御年80歳の前川さんが一人、猫と一緒に暮らしておられる。


藁ぶきの前川家をバックに記念撮影


道元禅師の碑。曹洞宗の総本山・永平寺の開祖。
曹洞宗の教えの根幹は、「只管打坐(しかんたざ)」 で、 ただひたすらに坐るという坐禅だそうだ。


ご主人の前川さんと話が弾み、と言うより前川さんの独壇場ではあったが、
30分以上休憩させて頂き、地元のアイスクリームをご馳走してもらった。アイスの
上に黄な粉がまぶしてあった。


座敷にデンと置かれた茶釜。豊臣秀吉から拝領した陣中茶釜だそうだ。ちなみに前川家は桓武天皇を祖とし、前川さんは初代から数えると55代目だそうだ。平清盛から35代くらいだったかな?織田信長の流れもあるそうだ。信長の先祖は越前の神職だったことは歴史上明らかで、尾張に出て、尾張の守護代織田氏の庶流となり、信長の父、信秀の代に勢力を広げた。前川氏の先祖は朝倉氏に仕えた時代もあったようで、その後は福井の北の荘城に詰めた時期もあったそうだ。代々の宝物は殆ど散逸した模様だ。(前川氏談)


玄関の正面に平重盛の墓があった。重盛は清盛の嫡男。墓誌には前川氏の36代の祖とある。
この墓は現当主の前川さんが平成20年に建立されたようだ


苔むした麦藁屋根を見上げる保田さんは何を想う。歴史の長さ、重さ、はかなさかな?


今庄側から見た前川家。街道の古い面影が濃い。


前川家を辞して街道歩きを再開。


歩き始めたが、良い雰囲気に思わず撮影タイムになった。


北西に展望が広がっていた。


アップすると大きな山塊が確認できたが、どこの山だろう。同定が難しいが方角と距離感から判断すると、永平寺町北側に東西に広がる浄法寺山1052.9mではないだろうか。


ツリフネソウ


アップで


峠からしばらくは幅の広い歩きやすい道が続く。


言奈地蔵(いうなじぞう)のお社


屋根の苔がすごい


トリカブトが多い。季節の花だ。


笠取峠を下ったところにある案内。



ミゾソバがスキー場のゲレンデに咲いていた。


長い舗装道歩きの途中の道標。木ノ芽峠から3km歩いてきた。


綺麗に晴れ上がった空に秋を感じた。


樹の根元には山神様の石塔が建っていた。


山神様の前で


撮影タイム


二ッ屋の宿場跡に着いた。こには遺構が沢山あった。昔は賑わったようだ。


大きなケヤキがあった。


樹齢は300年くらいだそうだ。


ケヤキの横には荒れ果てた日吉神社。北国街道全盛の頃は二ツ屋宿の鎮守だったが豪雪のため住民は離村してしまい、今は荒れ放題になっている。


街道の横の二ツ屋川の小滝。この辺りでは水量が増えてくる。


街道に佇む地蔵尊。比較的新しいようだが風雪を経た表情が良い。


街道脇の広場で昼食休憩。周りの風景に溶け込んで寛ぐ藤田さん。
木株の上にはお茶を沸かすコンロが置いてある。


大分下ってきて、現在の二ツ屋の集落の入り口。民家は大きく立派な造りの家ばかりだった。
正面の建物はトイレ。



二ツ屋の看板と二ツ屋川。奥は藤倉山の稜線。


藤倉山をアップで。


かなり広い範囲の田んぼでソバが栽培されていた。今花盛りで、11月には新ソバが食べられるそうだ。今庄では有名との事だった。地元の人がおいしいソバ屋を教えてくれたが、昼ご飯の直後でお腹が一杯なので、食べられなかった。


ソバの花


ソバ畑の横をゴールに向かって歩く。今庄駅まであと4kmくらいがんばろう!!


藤倉山の麓の新道地区。この辺りも立派な家が多かった。


北陸トンネルの今庄側出口を撮ったつもりが右端に切れてしまった。


南今庄駅を通過する、サンダーバード。鉄道写真初心者なので車両の先頭が切れている。
修業が足りんなあ!!


北陸トンネルを目指す同じサンダーバード。焦っているので斜めになっている。アカンなあ!!


この辺りは鹿蒜の里というらしい。木ノ芽峠の案内もある。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


稲田の向こうを疾走する特急しらさぎ。後部がかけているではないか!!


サンダーバード。同じく後部が欠けている。アカン。これからは鉄道写真は福田さんに任せよう。


田んぼの中を談笑しながら歩くお二人。株の話かな???


今庄に入って直ぐにある鹿蒜神社。鹿蒜の里にあるから鹿蒜神社だろう。式内とある。
式内とは平安時代に編纂された格式である「延喜式」に記載されている神社のこと。


街道は秋の風情が漂っていた。


今庄宿のの入口にある常夜灯


今庄には造り酒屋が4軒ある。


こちらは街の中心付近にある新羅神社。朝鮮半島から移住した人たちは敦賀に上陸して、この地にやってきて集落を作ったのだろう。福井からは伝説上の継体天皇が出ている。朝鮮から渡来した技術集団の長を総称したのだろう。この地を豊かにして力を蓄え、大和に進出し一時代を築いた。その後も大和朝廷の基礎をこの人たちが築き上げたのだと思う。


藤倉山にはここから登るようだ。春の花で有名だったが、鹿害で絶滅したそうだ。
西尾さんの提案で計画したが花がないので断念した経緯がある。


造り酒屋(2軒目)藤田さんは何を想う?


町屋に上げられたうだつ。徳島県美馬市の脇町が有名だが、ここは木製で珍しい。防火と富の象徴で余裕のある家はこぞって上げたそうだ。


広くて立派な本陣跡


本陣の説明


造り酒屋(3軒目)立派なうだつが上がっている。


今庄駅の大きな高札風の看板


今庄付近の案内図

 


今庄駅。観光協会と物産館が同居してる。新しくなって昔の面影は無くなってしまった。(初めて来たけど)


今庄駅構内は昔の面影が残っていた。敦賀方面。画面左には広大な機関区跡があった。北陸トンネルが開通するまで峠を越える為に増結する機関車が配備されていたそうだ。敦賀からの列車は増結した機関車をこの駅で切り離し、敦賀に向かう際は増結して出発したそうだ。(福田さん談)


福井・金沢方面。長いホームが昔の繁栄を物語っていた。今、停車するのは普通電車だけで2両編成だから少々悲しくなる。



敦賀行き521系の普通電車が入ってきた。

この後、敦賀で15:23発の新快速に乗り換えて京都で下車して反省会に臨んだ。
反省会では藤田さんの配慮でエビスビールをたらふく飲むことができた。
藤田さんありがとうございました。
飲み気に走ってしまい、写真はありません。

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。